2008年11月11日火曜日

補論:視覚の氾濫


       

 視覚の氾濫は、スポーツシーンに留まらない。

 文化なる過半の記号に様々な装飾が施されていて、この目眩(めくるめ)く時代の隅々をも照り返さずにはいられない。時代はすっかり陰翳を失ってしまったのだ。(写真はドジャー・スタジアム)

 沈黙を失い、省察を失い、恥じらい含みの偽善を失い、内側を固めていくような継続的な感情も見えにくくなってきた。多くのものが白日の下に晒されるから、取るに足らない引き込み線までもが値踏みされ、僅かに放たれた差異に面白いように反応してしまう。終わりが見えない泡立ちの中では、その僅かな差異が、何かいつも決定的な落差を示しているようにならなくなる。

 陰翳の喪失と、微小な差異への拘り。

 この二つは無縁ではない。

 陰翳の喪失による、フラットでストレートな時代の造形が、薄明で出し入れしていた情念の多くを突き崩し、深々と解毒処理を施して、そこに誰の眼にも見えやすい読解ラインを無秩序に広げていくことで、安易な流れが形成されていく。そこに集合する感情には、個としての時間を開いていくことの辛さが含まれている分だけ差異に敏感になっていて、放たれた差異を埋めようとする意志が、ラインに乗ってもがくようにして流れを捕捉しにかかる。流れの中の差異が取るに足らないものでも、拘りの強さが、そこで差異感性をいつまでも安堵させないのである。

 このような時代の、そのような差異感性の辺りには、縦横にアンテナが張り巡らされていて、そこに集合する情報の雲海から垂れ流されるシャワーをいつも無造作に浴びてしまうから、人々は動かないと、移ろわないことに我慢し難い感性を育んでいってしまうのである。

 差異を放たれるのを恐れる人々は、差異を放つ快感に必ずしも生きようとしているわけではない。差異を見つけにくい関係の中にも嵌り難く、そこに気休め程度の差異を仮構して、存在の航跡を確かめていかざるを得ないのである。人は皆、他者とほんの少し違った何者かであろうとしているに違いなのだ。

 そんな人々を、視覚の氾濫が囲繞する。

 シャワーのようなその情報の洪水に、無秩序で繋がりをもてないサウンドが雪崩れ込んできて、空気をいつも飽きさせなくしているかのようである。異種の空気で生命を繋ぐには立ち上げ切れないし、馴染んだ空気のその無秩序な変容に自我を流して、時代が運んでくれる向うに移ろっていくだけだ。

 一切を照らし出す時代の灯火の安寧に馴れ過ぎて、闇を壊したそのパワーの際限のなさに、人々は無自覚になり過ぎているのかも知れない。視覚の氾濫に終わりが来ないのだ。薄明を梳(と)かして闇を剥(は)いでいく時代の推進力は、いよいよ圧倒的である。

 照らして、晒して、拡げて、転がして、塞いで、削ろうとする。その照り返しの継続的な強さが、却って闇を待望させずにはおかないだろう。

 都市の其処彼処で闇がゲリラ的に蝟集(いしゅう)し、時代に削られた脆弱な自我が突進力だけを身にまとって、空気を裂き、陽光に散る。陽光が強いから翳(かざ)そうとし、裂け目を開いて窪地を作り、そこに潜ろうとする。

 陽光の下では、益々熱射が放たれて、宴が続き、眼光だけが駆け抜ける。そこでは、刺激的なる一撃は、次の一撃までの繋ぎの役割しか持たず、この連鎖の速度が少しずつ増強されて、視覚の氾濫は微妙な差異の彩りの氾濫ともなって、いつまでも終わりの来ないゲームを捨てなくてはならないようである。動くことを止められないからである。


      

 敬遠の四球を投げることを屈辱的だと考えて、マウンドで泣いた投手がいた。

 溢れてくる涙を止められなかったに違いないそんな異様な光景を、確かにテレビ画像は同情含みで映し出していた。消化試合ゆえ、その画像はお茶の間にリアルタイムで届けられなかったが、深夜の格好のセールス商品となって、その不条理を批判する各種コメント付きの報道がしばらく続いた。例年、この時期に展開されるお馴染みの光景が、いよいよお国柄のスポーツ文化の、そのネガティブな有りようを際立たせる印象を強めてきたように思われるのだ。その一点に、私の関心は惹起されたのである。

 思えば、その昔、松永選手への11連続敬遠四球のエピソード(注1)の「理不尽性」は、この種のタイトル絡みの敬遠劇の極北の感があった。同選手は怒りを込めて、大きくコースを外れたボール目掛けて、自らのバットを投げたのだ。

 しかしこんな激越な事例も、「涙の敬遠劇」のインパクトに届かず、まもなく雲散霧消していったというだけの顛末に終始したのである。

 しかし今、スタジアムでのブーイングの大きさは、良かれ悪しかれ、つまらないプレーに対して必要以上の拒否反応を持って応える、アメリカン・スポーツのコピーそのものであるように見える。明らかに、より刺激的で、より劇的なスポーツシーンを求める人々の欲望の氾濫が、そこに巨大な渦を巻いている。消費としてのスポーツの堪能が、敬遠劇の茶番によって著しく阻害された苛立ちが、巨大なブーイングの中に集合する。これが今、時代を大きく動かしていくのだ。

 あのスタジアム全体を揺るがすようなウェーブ現象を見ればいい。

 ウェーブの嵐が、付き合い観戦で球場にやって来たノンフリークたちを強制的に立たせて、踊らせて、酔うことの共有を暗黙裡に迫るのである。見知らぬ他者が坩堝(るつぼ)の中で溶かし合う現象は、まさに私たちに馴染み深い、様々なる「祭り」の儀式のそれに似た一種不可避な様態であるに違いない。

 しかし今、この熱狂が立ち処にメディアを動かし、一気に国民的話題を作り上げていく。しばしば、旧来のケチな慣行に過ぎなかったものが凶悪犯人に仕立てられ、集中的に叩かれて、屠られる。

 松永選手の事例は極端であるにせよ、果たして、タイトル絡みの敬遠劇がそれほど罪深いものであるのか、一考の余地があるだろう。

 この行為を、チーム内の集団主義のシフトというラインで考えてみれば分りやすい。即ち、その年のペナントを手にするまでの集団主義という黄金律が、我がプロ野球には厳として存在する。オール・フォー・ワン(一人の栄誉の達成のために仲間が協力する)の理念は、無論、ラグビーの専売特許ではない。重要なのは、この理念がペナントの行方が定まった日から、オール・フォー・ワンという理念に根ざす集団主義に大きく振れてしまうという事実である。日本人の集団主義の根深さが、そこにある。

 一年間頑張ってタイトルに手が届くところにいる選手に、他の仲間が一致協力してプレーを演出するのは人情でもあるし、そうしなければ、和を乱す輩という烙印を押されることへの恐怖感もある。

 この集団主義に、今、時代のウェーブが襲い掛かっているかのようだ。

 若年層を中心にしたアメリカ流の個人主義が、視覚の氾濫をもたらす巨大なスペクタクル社会のグローバルな展開に乗って、視覚的には醜悪なるものと感受されるだろう、この国の集団主義のケチな慣行を恫喝しにかかっているのである。

 プロ野球は今、大きく化けることを強いられているように見える。果たして、この急速な時代の変化に、我らがプロ野球は堪え切れるのか。グローバル化社会の泡立った時代の流れに、その身を埋没させることなく、人々がそこに求めた本来的な思いを繋いでいけるのか。目眩(めくるめ)く眩いまでの時代の陥穽を、確信的に突破できるのか。


       

 プロ野球シーンでの、タイトル争いに絡む敬遠を醜悪視する空気が、ここに来て広がりを見せている。

 これは、「野球」が「ベースボール」に接近しつつあることの反映でもある。それには、日本人の大リーグ入り以降、この国で大リーグ中継の放送が増えてきたことによって、本場のベースボールの臨場感溢れるフィールドの格闘技を、リアルタイムで堪能できることになったことが何と言っても大きいだろう。市場を世界的に拡大したいと考えている大リーグの戦略の一つとして、野球という文化を持つ日本の市場が開拓されつつあるということ、これが今、プロ野球の文化伝統に微妙な波動を与えているのである。

 よりエキサイティングなシーンを待望するファンの声に鋭敏に反応して、ベースボールは一大文化としての進化を果たしてきた。このベースボールの醍醐味が、この国の茶の間にダイレクトに届けられるのだ。マグワイアとソーサが「堂々」と勝負し合って、そこで本塁打を放つ。このシーンが私たちに与えた影響は大きく、勝負を回避する日本のプロ野球の卑小さを際立たせてしまったのである。
 
 集団主義を重んじる日本人が、消化試合における、シフトされた集団主義(チームのための個人の協調→個人のためのチームの協調)の有りように耐え切れなくなってきた。彼らの中には、消化試合を失くせと言う者までいる。即ち、リーグ優勝が決まった時点で公式戦を打ち切ってしまえば、敬遠合戦を事前に防止できるというのである。

 しかし、この案はいかにも乱暴である。

 例えば、10試合残して公式戦を打ち切られたチームに、僅か一本差で、或いは、僅か一厘差でホームラン王、または首位打者を狙う選手が在籍していたらどうするのか。打撃部門の首位を走る選手の消化試合が少ない場合、今度はその選手のタイトルを保証するために、その選手のチームメイトが、首位独走のチームのリーグ優勝を、ペナントの早い段階でアシストすることだって不可能ではないのである。

 私に言わせれば、制度を幾らいじくっても消化試合の敬遠劇は消滅しないと思う。その底流に、この国に根強い集団主義が深々と寝そべっているからだ。私たちの国のプロ野球は、ここで暮らす人々の生き方や生活哲学の縮図となっているのである。この国では、帰属集団のルールこそ絶対的であり、唯一の憲法とさえ言っていいのである。

 従って、先の「涙の敬遠劇」は、集団内では明瞭なルール違反となるのだ。

 タイトルを争うチームの仲間に非礼なるし、それ以上に、「君のこれまでの勝利の陰に、ナインの協力があることを忘れるな」という組織の声を無視できないのである。ここを突き抜けられる日本人は、継続的な能力の高さが客観的に認知された特殊な場合に限られる。涙の投手のその翌年の活躍は、誰も保証できないのだ。だからこそ、協力すべきときにはその労を惜しむなという暗黙の恫喝が、この国ではリアリティを持ってしまうのである。

 帰属集団のルールの遵法にのみ生きる日本人の集団主義(逆に、帰属集団外では、「旅の恥を掻き捨てる」ことができる)が、プロ野球シーンで槍玉に上がっているようにも見えるが、果たして、筋肉のぶつかり合いでしかないような本場のベースボールへのアプローチが、日本人の準国技であるプロ野球を、その基層から変質させることが可能なのか。

 同じ球技でも、プレーの自由度が高い分、フィールドに自我を表出し得るサッカーとは違うのだ。丸ごと監督の指示で動く野球の組織度の高さが、プロ野球をベースボールと決定的に分けている。パワーの絶対量の不足を、チームプレーや個人のスキルの強化で補っているプロ野球を、安直にベースボールと比較するには無理があるということだ。

 ラグビーやサッカーから分れて、徹底的に合理的なアメフトを作り出したアメリカは、プレーに偶然性(注2)が入り込むことを最も嫌うから、パワーと技術の純度を高める方向にベースボール(と言っても、各チームのボールパーク=野球場の設計には、偶然性を許容する個性が存在するが)を進化させていく外はなく、組織力で勝とうとするプロ野球との乖離は簡単に縮まらないように見えるのだ。

 ともあれ、ベースボールの表層の視覚的部分だけを鍍金(めっき)仕立てにして、集団主義で貫かれたプロ野球が、それなしにリーグ制覇できるという地平に逢着する見込みが稀薄であるのもまた、充分に確からしいと言えようか。プロ野球がどれほどベースボールに接近しても、内側からこぞって化けてしまう事態の到来が迫っているとは思えないのである。


      

 あらゆるものが沸々とし、過熱して来ている。

 バブルが遠く去った世の中とは思えないほど、其処彼処(そこかしこ)で風景がけばけばしくなってきて、その眩いばかりの彩(いろど)りが視界を印象的に埋め尽くす。

 市街にはファミリーカーが溢れ、人気のレストランに列をなす。前宣伝の派手な挌闘技のイベントに、洒落た出で立ちの若者が蝟集(いしゅう)する。渓谷にはフライ・フィッシィング(注3)、湖にはバス釣り(注4)の、磯には投げ釣りの面々がエリアを占拠し、ビューポイントにはアマチュアカメラマンが好ポジションを争って、その群がりの様自体が滑稽な被写体を提供している。運動会では、ビデオ撮影の好位置を目掛けて、早朝から子供孝行のパパさんたちが校門に待機するのだ。禁煙指定のないプラットホームには、銜(くわ)え煙草の老若男女が足を組んで電車の入線を待ち、その傍らで、厚底靴の若い男女が携帯片手に、大声で耳障りなプライバシーを周囲に放っているのである。

 閑静なはずの図書館では、幼児らが館内を駈け巡り、それを注意する図書館員の姿に出会うことは稀である。子供を注意する親の叱咤の台詞の中では、「叱られるから、走るのを止めなさい」という信じ難い親のメッセージも多く、しばしば茫然自失。「ここは本を借りたり、読んだりする所だから騒ぐな」という注意を稀に聞くと、却って感心してしまったりもする始末。

 風景のけばけばしさの印象は、人々の私権があらゆるエリアで噴き上がって来ていることの、その加速的で、集中的な表現であるようにも思える。それぞれの軽快なステップによる様々な身体表現がそこに媒介されることで、少なくとも、私たちの視覚に印象的に捕捉されてしまうのか。視覚の氾濫は私権の氾濫だったのか。

 私権の氾濫の目眩く舞踏のステップが、時代の空気を無秩序にクロスし、緩慢であること、反応が鈍いこと、潜り込んでしまうこと、偏屈であること、身奇麗でないこと、歌わないことなどを感覚的に異化しつつ、より刺激的な展開を描き出していくのだ。

 豊穣なるものへの幻想と、名状し難い欠落感覚への戸惑い。移動することによってのみ埋められると信じる時代の消し難き芳香が、人々を押し上げ、転がし、その眼光を搦(から)め捕っていく。大いなる時代や軽やかなる舞踏の饗宴が、そこから離脱することへの恐怖をも多分に随伴して、ラインが見えないほどの広がりの中で波立っているのである。             

(本稿の脱稿も、「スポーツの風景」と同様に、1996年末である。また本稿の一部と「筆者注」については、2007年3月時点での執筆である)


(注1)阪急時代の1988年に、高沢選手との首位打者争いの中で、11連続敬遠四球という、当の本人の意に沿わない日本新記録を樹立することになった。

(注2)競技の偶然性を重視するスポーツイベントが、ヨーロッパにある。モナコグランプリという名の、伝統的なF1コースがそれである。モナコグランプリは市街を走るためにコースの幅が非常に狭く、且つ、直線が少ないが故に多大な危険性が伴うことから、ドライバーの超絶的技術が要求されるのである。このモンテカルロ市街地コースでのF1レースには、まさに競技の偶然性の要素を摂取する思想が脈打っているのである。

(注3)フライとは、擬餌鉤(ルアー)の一つのこと。鉤に羽毛などを巻いくことで、水生昆虫のように見せる。このフライを使って、イワナ・ヤマメなどの渓流魚を釣る、一種、スポーツ感覚の流行的なフィッシィングの手法。

(注4)ルアーを使用しての「ゲームフィッシング」として、最も人気が高い。その対象魚は、言わずと知れた「ブラックバス」。大正時代末期に、赤星鉄馬(「大正銀行」の頭取を勤めた実業家)が、アメリカから持ち込んだ外来種であるブラックバスを芦ノ湖に放流したことに淵源するが、今では、「ブルーギル」と共に、その魚食性と繁殖力の高さから、国内の生態系を壊すという問題を惹起させて、法規制されているものの、「ゲームフィッシング」の是非論が問われている。「ランカーサイズ」(50cm以上のバス)のブラックバスのフィッシングが人気になっていることは、周知の事実。


 【まとめに代えて】

 様々に分化し、拡大的に普及・定着していった近代スポーツは、今、高度大衆消費社会の中で、個々の多様なる好みのサイズによって特定的に切り取られ、存分に蕩尽されていく流れは既に自明であるだろう。

 そんな眩い時代の中で、いよいよ過半の人々の熱狂を作り出し、その熱狂を上手に自己完結させながらもなお、それを継続させていく感情文脈があるとするならば、それは本稿で言及してきた「勝利→興奮→歓喜」というライン以外ではないと言っていい。

 その感情文脈のラインが存在するからこそ、多くのの人々の熱狂を誘(いざな)うスポーツの圧倒的な求心力は、そこに不滅の輝きを放って止まないのである。

 この感情文脈のラインは多くの人々の熱狂を継続的に保証しながら、絶えず適正なタームで自己完結させていく合理的なスキルの導入によって、そこだけは上手に切り取られたような特定的な時間を合法的に管理し、殆ど予定調和の見えない流れの中で、特定的な時間に熱狂を集合させた人々の感情を、本来の日常性に戻していく作業を疎かにすることはないであろう。

 近代スポーツはいよいよ「祭り」の様相を顕在化させてきて、そこで噴き上がって来る得体の知れないほどの情動の集合に対して、社会の規範や秩序を統括する国家主体が没交渉で遠望するスタンスに留まるわけがないのである。

 因みに、「性」、「暴力」、「ドラッグ」と「祭り」を野放しにする国家が存在するはずがない。それらは社会の大きな秩序を撹乱する要素を内包しているので、相互にリンクする負性の状況を作り出してしまうことの怖さを、経験的に学習できていない国家の存在はあり得ないと言える。従って、「祭り」の様相をより顕在化させている近代スポーツが、国家の管理の枠から逸脱して、奔放自在な解放的展開の特権を手に入れることなど考えられないのである。


 ―― 本稿を脱稿した、20世紀末のスポーツ文化の状況から早や8年。益々、「祭り」としてのスポーツの風景は際立ってきた感が強い。この流れはいよいよ加速するばかりである。そんな中で人々は、特定的な時間に集合させた熱狂を、本来の日常性に戻していく規範的な作業の継続的で、確信的な営為に戸惑っているようにも見えるのだ。

 野球好きな私の場合に関しては、脊髄損傷者としての不自由な生活と付き合って丸7年というもの、野球シーズンになると、午前中のメジャーリーグ観戦と夜間のプロ野球観戦を日常化しているので、殆ど野球漬けの毎日になってしまうという始末。

 その野球漬けの日々の中で、私もまた、「勝利→興奮→歓喜」という感情文脈のラインにすっかり搦め捕られてしまっていて、正直、その日常性はシーズンオフのそれとは明らかに齟齬(そご)が生まれているという具合。

 つくづく、近代スポーツの感情文脈が抱え込んでいるものの、その途方もない圧倒的なパワーを思い知らされるのだ。その感情文脈に抱かれている、些かエキサイティングな時間の中で、少しでも、自分の疾病からくる身体的苦痛を中和させることができる経験則によって、私はいつしか、この特段に眩い「劇的空間が放つ催眠効果」の加工された物語を受容し、時には過剰に弄(まさぐ)っていたのである。

 そんな私が意を決したように開いた新しい時間、それはシーズンオフにおける「映画評論」の私的作業だった。2005年の秋から始めたその作業によって、私は野球シーズンに入ってもなお、それを中断させることのない相対化の営為に、何とか成就したのである。

 「観るスポーツとしての娯楽」―― その心地良き世界との付き合い方について、私なりに出した一定の規範的文脈がある。稿の最後にそれについて、箇条書きする。

 以下の通りである。

 その一。

 「適正なスタンス」の確保である。

 近代スポーツの麻薬のような文化を愉悦していくには、常にそれとの距離感を絶えず測り、自分なりのスタンスを作り上げねばならないということだ。

 その二。

 「自己完結感」を不断に確認し、時間の始まりと終わりに納得づくのケジメをつけていくことである。

 その三。

 「相対化のスキル」を駆使していくことで、自分の了解可能な日常性を構築していくこと。相対化することによって、自分の日常性に潤いを持たせるような時間を作り上げていけば、そこに能動的で創造的な営為を開くことが可能になる。

 以上、極めて抽象的だが、この三つの自己規範を堅持していくことで、私は何とか、自分なりに納得し得る日常性を繋ぐことができたのである。

 私の場合、この日常性の中で手に入れるものの価値は、かけがえのないほどの何かであり、今ではそれなしに考えられない日常性を構築していると自負できるものとなっている。ここで手に入れたものの価値は、自分の残り少ない人生の時間を切に惜しむほどの何かとなって、私の日常性に「固有なる時間」という観念を固く結んでいるのだ。

 ようやく私の中で、脊髄損傷という、極めて厄介な疾病と付き合えるようになった次第である。

(2007年3月脱稿)

絶対印象主義の世俗性―まとめとして


 スポーツシーンにおけるスペクタクル性の人工的増幅は、NBAファイナル、ワールド・シリーズ、スーパーボウル(注1)からオール・スター戦、ボクシングの世界戦、ライスボウル(注2)に至るまで、年々顕著な展開を見せ、それが何気なくチャンネルを合わせただけに過ぎない視聴者を、強く印象的に捕捉する。そして、加工的増幅に走らない普通のスポーツシーンを、少しずつ、しかし確実にオールドファッション化してしまうのである。(写真はNFL)

 今では、印象的なスペクタクル性に欠ける、「暗い、じめじめした」情報は、そこに固有の商品価値を持つものではない限り、殆ど見向きもされないであろう。

 大体、空気を突き抜けるほどの実力を持っていれば、アトラクティブ・スマイラー(微笑むだけで、他人を惹きつける人)を演じる必要すらなく、無能な大人を虚仮(こけ)にしても喝采を浴びることも可能である。しかし、実力を継続的に保証していくこと自体、並大抵ではなく、それを貫徹できる稀有なスペシャリストの天才性は参考にはなるまい。

 それに対して、多くの凡人は視覚先導による絶対印象主義の世俗性の中に、そこそこに嵌(はま)って、より愉楽性に満ちた日常を彩ることに腐心している。

 エンドレスな日常に少しでも振幅を持たせるため、人々はホビーの世界を開くことを捨てないであろう。大衆的に集合しやすい様々なホビーは、人々のダイレクトなニーズに対して、当然の如く、鋭敏に反応する。より刺激的で、より視覚的な映像がそこに大量生産されるから、いよいよ初発の印象が充分な捕捉力を持つような情報こそが。そこで選択されるのである。

 こうして世には、初発の捕捉力を持つ商品が氾濫し、その商品の突破力が空気を難なく制覇する。視覚の氾濫が止まらなくなるのだ。
 
 価値は表層にあり。
 
 表層に滲み出てくることなく、滲み出させる能力の欠けたるものは、そこにどれほどのスキルの結晶がみられても、今、それは何ものにもなり得ない。奥深く沈潜し、価値が価値であるところの深みを彷徨する時間を楽しむには、我々は多忙過ぎる。動き過ぎる。移ろい過ぎる。ガードが弱過ぎる。沈黙の価値を知らな過ぎるのだ。

 表層を嗅ぎ分けるアンテナだけが益々シャープになって、ステージに溢れた熱気が、文明の不滅なる神話にほんの束の間、遊ばれている。               

(本稿の脱稿は1996年末。なお本稿の一部については、2007年以降の補筆である)



(注1)NFL(アメリカンフットボールリーグの略で、1920年に創立)の王座を決める、アメリカのスポーツ文化の頂点に位置するビッグイベント。ナショナル-コンファレンス( NFC )とアメリカン-コンファレンス( AFC )の優勝チームが対戦する。 

(注2)アメリカンフットボール日本選手権のこと。学生代表と社会人代表が、毎年1月に、東京ドームで王座を賭けて雌雄を決する。以下、日本アメリカンフットボール協会の公式HPを紹介する。 

 「日本アメリカンフットボール協会は、アマチュアの団体であり、国内唯一のアメリカンフットボールの統括団体として、その普及と発展のために活動しています。 日本アメリカンフットボール協会に所属しているチームは、中学、高等学校、大学、社会人と大きく4つの種別に分けられています。また地域的には、大きく東日本と西日本の2つに、細かく、北海道、東北、関東、甲信越、東海、北陸、関西、中四国、九州の9つの地域に分けられています」

 因みに、その目的は以下の通り。
 
 「この団体は、わが国におけるアメリカンフットボール競技界を統括し代表する団体として、アメリカンフットボール(タッチフットボールを含む)を普及振興し、その健全な発展を図るとともに国民体力の向上と明朗なスポーツマンシップの函養につとめ、もって社会文化の向上に寄与する事を目的とする」(公式HPより)

 

2008年11月10日月曜日

大衆消費社会のスポーツの未来


 大衆の熱狂と、そのコインの裏側にある苛立ちの激しさが、いつの間にか、現代スポーツを変色させてしまったようだ。プレーの主体はいつも何かに駆り立てられるようになり、空気を先取りして、それに応えるべく、超絶技巧への開拓に余念がないようにも見えるのである。

 勿論、その観念の中に今、「国家」の存在はない。そこにあるのは「個人」であり、「家族」であり、「組織」であり、「ファン」である。

 登山もまた、「人類」→「国家」→「組織」乃至「個人」(単独行)という観念シフトの中で、あれほど時代の中で泡立っていたはずの、言ってみれば、「大きな物語」に張り付いていた「使命感」という心地良きモチーフが、いつしか消滅してしまったようにも見えるのである。

 使命登攀から、ホビー登攀でもあるフリー・クライミング(注1/写真)へのシフトは、今や、一切の道具の使用なしに3メートルほどの岩場を登る、「ボルダリング」のような格付けの級段方式を採用したゲームスポーツの登場などによって、かつてのストイックなクライマー文化の範疇では説明できないほどに、限りなく劇的な転換であったと言えるだろう。

 加えて、樹木を傷つけずに木登りするという「ツリークライミング」になると、殆ど遊びとスポーツ、更に教育(木登りの体験学習)との区別をすることが意味を持たなくなると言っていい。アメリカの樹木医が発案したこの「スポーツ」は、我が国において、「ツリークライミングジャパン」という普及組織を持っていて、各地で活発な活動展開をしていることはニュースにもなるほどである。

 国民栄誉賞の植村直己(注2)の冒険行は、このシフトの橋頭堡(きょうとうほ)でもあったのか。

 このようにスポーツは、プレー主体から十字架の重量感を取り除くことに成功したが、それを埋めるべく、フィールドの興奮をより掻(か)き立てるようなサーカスの醍醐味へのニーズが、一段と強化されるに至ったのである。

 あの伝説的な死を遂げたF1レーサーのセナ(注3)は、ブラジルを背負っていたのではない。死と背中合わせのサーカスを期待した大衆の熱狂を背負っていたのだ。安全コストを代償にして、高速マシーンに進化した特殊仕様車を操って、その最強の機能の発現を、生命臨界点のギリギリのところで出し入れする危ういステージの上で、そこに爆発的にプールした熱狂に、F1レーサーが反応すればするほど、そのF1レーサーの自在性が少しずつ失われていくのである。

 ペナントを制覇した監督は、必ず、「ファンの皆さんのお陰です」などとリップサービスするが、この台詞が今、日々のヒーロー・インタビューの場で日常的に語られている。優勝の夜、川に飛び込むファンのパフォーマンスもまた年中行事化しつつある。

 近年、ライブ中継の視聴率が低下しつつありながらも、祭りとしての娯楽の本質はいよいよ過熱化し、「劇的空間プロ野球」などと形容され、誰も彼もが面白く、即物的で、刺激的なスポーツシーンを求めて止まなくなってきた。

 親分と称される某野球解説者は、「暗い、じめじめした野球は面白かねぇ」などと、およそ解説者らしからぬ言辞を吐いている。明らかに、氏は昨今のスポーツ過熱の現象を意識し、このような放言が受容される空気を嗅ぎ取った上で、敢えて言ってのけている。しかし、バントか犠飛で三進させた虎の子のランナーを、スクイズで還すという基礎的な戦術を、「暗い、じめじめした野球」というイメージで括って見せる、その貧困なる野球観を後押しするうねりは、今や軽視できなくなっているのだ。

 派手で、見えるところだけに評価が集中し、そこに熱狂が重なるスポーツの繁栄を保証するには、プレー主体の過剰な演技性と、熱狂に繋がるパーツの超絶技巧を繰り返し見せ続けなければならない。この辛さが、思いの外プレー主体に負荷がかかって来るから、選手寿命を蝕(むしば)んでいくと思われる。

 さすがに今、「権藤、権藤、雨、権藤」(注4)といったような苛酷登板は姿を消したが、昔と比べ物にならないほどの注目度の高さがプレーヤーを囲繞し、必要以上の刺激を放ち、彼らの自我を磨耗させるのである。

 150キロを超えた投球があった有力新人を追い駆け回し、夢の100マイルの速球(注5)のお披露目が今にも迫っているかのような煽りが収まらず、空気はいつも泡立っている。

 ある短期間にのみ目立った活躍した選手の、そのほんの入り口の辺りで、既に煽りを先取りするから、知らずのうちに、何か特定的なイメージによって印象を増強させていく。その期間が終息し、そこに商品価値となる何ものも見出せなくなったら、もうそれで有力新人へのフォローも幕切れとなる。一つの消費という現象が終焉しただけの話なのである。またスポーツマスコミは、新しい人々の気を引く商品を探しに行くだろう。それだけのことだ。

 しかし熱狂はいつも、苛立ちを随伴してしまう。

 不満足な消費で置き去りにされたエネルギーが、一つの集合された苛立ちの塊となって、犠牲の羊をも探しに行く。一回的消費の俄(にわ)かヒーローが、翌日には哀れな羊にも化ける。

 その昔、子供たちをあれほど熱狂させた「たまごっち」(注6)が、やがて不燃物のゴミになったように(新世紀を迎えて第二次ブームを起こしたが、メディア露出は抑制的だった)が、消費の醍醐味が見えなくなれば、いかなる仮構のストーリーも、そこに束の間、華麗に舞った俄かヒーローも、殆ど無感情に廃棄されていく運命を避けられないのだ。大衆消費社会のこの上ない愉楽と危うさが、方向を定められずに虚空を漂っていて、日夜、人々を夢の未来へと誘(いざな)って止まないかのようである。

 消費としてのスポーツが、今のように際限なく噴き上げていなかった頃、人々はまだまだ英雄を欲しがっていた。彗星の如く現れたヒーローに、自分の青春や人生を重ね合わせていくことで、そのヒーローは人々の自我の中で長く伝説化され、いつまでも生き残されていた。スポーツのそんな牧歌的な時代には、審判員もまた、今ほどピリピリしていなかったのである。

 警察官も学校教師も、町内の一家言を持つ説教おじさんも、そして我が家のお父さんや、隣居のおばさんも、必ずしも切れまくっていたわけではないのに拘らず、その存在自体が、ある種の脅威を漂わせているかのように感じられた時代があり、またその存在自体で、空気が引き締まってしまうような場所が随所にあった。

 子供の心に、殆ど無前提に規範意識が刷り込まれていたから、少しくらい気の弱い教師でも、教師であるというその一点によって、空気を制する下手な技巧が通用した時代が、まだギリギリに生き残っていたのである。戦後の民主化が急ピッチで進んでいても、私たちの大衆消費社会は未形成で、そこには共同体のエキスが充分に蔓延していたのだ。
 
 プロ野球も未だ1リーグ制の時代(1950年に2リーグに分裂)で、既に大衆娯楽の一方の雄であったが、自ら下したジャッジへの信念を決して曲げない確信的審判員の存在が認知され、それを伝説化する土壌がなお健在だったのである。二出川延明(注7)という名の男が、この頃作った伝説は、残念ながら今、同じ仲間によって継承されていない。写真と戦う審判員がいるはずがないからだ。

 中日杯争奪戦で球審を務めたその男は、ホームでのクロスプレーでアウトの宣告をしたが、一見するとセーフに見えたので、当然の如く、猛抗議を受けた。男はいつものように、抗議を全く受け付けない。相手もとうとう無駄な抗議を諦めて、ベンチに下がった。全く普通の出来事に過ぎないが、この国の野球文化にも、抗議が通用しないような審判がいて、それを許容する時代があったのだ。

 翌朝、このジャッジがミスであったことを証拠付ける写真がスポーツ紙に踊った。紙面を手にしたリーグ会長が、審判諸氏との会食の席上、「君、ミスをしたのではないかね」と、男に穏やかな口調で尋ねた。

 男はじっとこの写真を見据えた後、こう言い放って見せたのである。
 
 「会長、写真が間違っています」
 
 この予想だにしない確信的言辞に、会長は苦笑するしかなかったという。

 このエピソードに怒気を込めて反発する人は、プロ野球観戦者には絶対に向いていない。審判のミスジャッジの可能性を否定せず、それを受容してまでも機械に依拠する判定を拒む、野球というスポーツを楽しむには、ある種の覚悟が必要なのだ。「私がルールブックだ!」と言えるほどの確信的審判員だからこそ、この一貫したジャッジに異を唱える愚かさに気付かされるのである。(因みに、メジャーリーグでは、2008年よりホームランの判定に限ってビデオに依拠したジャッジが導入された)

 今、これだけの審判員が、この国に果たして何人いるだろうか。

 清原選手の幻のホームランの映像に対して、責任審判が「テレビの映像が間違っている」と放言したら、その居直りの厚顔無恥さを囂囂(ごうごう)と非難する、硬直した面々によるお仕置きが待っているに違いない。

 かつてこの国のメディアを騒がせた「サッチー騒動」(注8)なるものの中で、少年野球のどうでもいいトラブルまでも、公共の電波を使って「悪女退治」をいつまでも止めなかったこの過剰な時代では、居直り審判が蒙るサンクション(社会的制裁)に簡単に終わりが見えないであろうことは充分に察せられる。ましてや、審判の権威を普通の視野でアシストするスポーツ文化の片鱗も存在しない時代である。

 更にこの国には、審判員=プロ野球選手失格者という偏見が、プレーヤー・サイドに少なからずある。二出川神話は、当人が巨人の主力選手であったという出自に無縁だったとは思われないが、それ以上に、戦後文化の構造の中に、匿名社会の一方通行の卑劣なる攻撃性を、様々なツールによって未だ手に入れていなかった、ある種「長閑なる時代」が、そんな神話を生み出したとも言えるのだ。
 
 その時代が、今はもうない。

 審判は、そこでは消費の対象にすらなりえない。人々の視線の埒外に、彼らは存在する。大衆消費社会のスポーツの未来は、果たしてもう化けていく余地はないのだろうか。

 先に、親分と称される某野球解説者の発言(「暗い、じめじめした野球は面白かねぇ」)こそが、消費としてのスポーツの時流に乗った、ごく普通の大衆的気分を代表するものであることに言及した。このような物言いは大衆受けするのである。

 海の向こうのメジャー・リーグが、視覚的印象度の強い豪快な打撃戦にますます流れていったように、我がプロ野球も、四球の打者走者を犠打で送って、単打で還す3人野球よりも、スラッガーの一撃による、一人野球の「大艦巨砲主義」(注9)の方が、視覚的印象度を増幅させた分だけ、遥かに大衆の受容度が高くなる。現代は、視覚的な絶対印象主義の時代なのである。
 
 以上の現象は、何もベースボールシーンに限らないであろう。

 肉体と肉体が狭い範囲で炸裂し合うだけの格闘技シーンでも、ドームを借り切って、派手な演出で熱狂を作り出すK-1(注10)等の、その仮構空間の人工的なスペクタクル性は増幅するばかりである。これは、武道的イデオロギーを濃厚に映す極真空手(注11)の全国大会のその厳粛性とは、明らかに一線を画するものと言える。

 それは、鮮烈なスペクタクル性という衣裳を、その格闘技がどれほど必要としているかという需要度の落差でもある。それ以外ではないのだ。

 視覚的な絶対印象主義の氾濫は、ネット上に於けるWeb2.0等の参加型の情報爆発の、殆ど匿名性の快楽とリンクしつつ、いつでも必要な分のガス抜きを可能にする自己完結感を手に入れて、面白いように時代の表層を滑走しているかのようである。


(注1)「傾斜が緩ければ足だけでも登れますが、傾斜が増してくると、手を使わないと登ることは困難になります。ロッククライミングは、足だけではなく手も使い急峻な岩を登るスポーツです。 岩の凹凸を直接手足で保持して登ることをフリークライミングといい、クライミングの根元的なスタイルです(それに対し、人為的支点に体重をあずけて登ることをエイドクライミングといいます) 。

 墜落時の安全確保のためにロープを使用することもありますが、人工的な手段を使わないことが前提ですので、自分の身体能力を駆使して登るほかありません。ロッククライミングの対象は、そのスケールや自然条件によっていくつかのカテゴリーに分かれています。

 比較的規模の小さな岩場を登ることを“クラッグ)崖の意味)クライミング”といいます。小さい岩場では、大きな岩壁や山岳でのクライミングとは異なり、いかに急峻で手がかりに乏しくともフリークライミングで登るのが普通です。フリークライミングは本来スタイルを表す言葉ですが、日本の場合はやや他国とは異なる歴史的事情により、このクラッグクライミングを指してフリークライミングと呼んでいます」(「日本フリークライミング協会」HPより)

(注2)1970年にエベレスト登頂に成功するが、マスコミで扱われる登頂者のみの脚光への不満から、彼の冒険スタイルは単独行に移行した。その後の彼の単独行は、航空機のサポートを受けての「犬橇(いぬぞり)による北極点到達」に象徴される、大規模な擬似「単独冒険」へと発展していったように思われる。しかし1984年に、厳冬期のマッキンリー登山に挑むが遭難した。その遺体は今も発見されていない。

(注3)F1のワールド・チャンピオンに3度輝いた、ブラジルのレーサー。とりわけ1988年には、マクラ―レン(イギリスのレーシング・チーム)に移籍して、当時最高のレーサーであったプロスト(F1グランプリで51勝を上げたフランス人)と組んで大活躍をした。1994年、レース中にマシーン・コントロールを失って、コンクリートの壁に激突し、頭部強打による事故死。

(注4)中日ドラゴンズの権藤博(現在、プロ野球解説者)が、1961年にノンプロ(ブリヂストンタイヤ)から入団して僅か2年間で、72勝の勝ち星を挙げるほどの活躍をしたことから、この有名な言葉が生まれた。

 因みに、3年目以降からは、苛酷登板の影響で成績は急降下して、1968年には引退に追い込まれた。後に「横浜」の監督になって、日本シリーズをも制覇するが、その投手起用は、「先発、中継ぎ、抑え」という完全分業制を遂行することで一貫していた。明らかに、その起用には自分の経験からの反省があったと思われる。

(注5)時速100マイルは、160キロのスピードに値する。本場アメリカでは、100マイル投手は、殆ど全てのチームに存在すると言っていい。因みに、1960年代半ばまでマイナー・リーグで活躍した、ダルコウスキー(サウスポー)が、110マイル近い速球を投げたとも言われているが、私自身は未見である。

(注6)株式会社バンダイ(玩具を中心として、様々な生活用品を製造・販売するメーカー)によって発売されたゲームで、1997年に爆発的な社会現象を作り出した。

(注7)日本のプロ野球が発足した1936年に、自分の胸を突き飛ばした選手に対して、当時、史上初の「退場宣告」した審判が二出川延明であったというエピソードでも分るように、長い審判歴の間に多くの伝説的ジャッジを含む逸話を残している。

 中でも、ボールと判定したことへの抗議に対して、「気持ちが入ってないからボールだ」と一括した逸話は、審判が確たる信念を持って試合に臨むことの大切さを示唆していて、とても興味深い。一瞬のジャッジに対して、機械に委ねることを一切しない、「野球」というスポーツ文化における審判の存在感の大きさを、改めて確認する思いである。           
                                   
(注8)1999年、当時阪神の監督であった野村克也の妻であり、タレントでもあった野村沙知代が、交友関係のある浅香光代によって、公職選挙法違反(選挙に立候補した際に、経歴詐称したというもの)で告発されたが、結局、不起訴処分となった。その間、芸能界を中心にメディアの格好の消費(私はこのような現象を、「特定他者の消費の構造」と呼んでいる)の対象とされ、「サッチー騒動」と称される、一連の低俗的な文化現象が出来した。

(注9)英国の戦艦として有名なドレッドノート(超ド級戦艦と呼ばれた)の影響で、20世紀前半の各国の海軍の主流は巨大な戦艦の製造にあり、その流れの中で、日本も「大和」や「武蔵」を造るが、この戦艦の建造を中心とする考え方を、一般に「大艦巨砲主義」という。

 因みに、第二次世界大戦の時点では、航空機を主力にした航空母艦による戦術に移行していった。日本の敗戦の根柢には、この視覚的印象度の眩いまでの、「大艦巨砲主義」への拘りがあったと思われる。

(注10)1993年に、正道会館の石井和義によって創設され立ち技中心の格闘技(キック・ボクシング、空手)で、フジテレビが主催するヘビー級のグランプリが成功し、現在、TBS主催のミドル級の大会も人気を呼んでいる。

 過去に、アンディ・フグ(2000年に死去)、ピーター・アーツ(三度のGP優勝)、アーネスト・ホースト(四度のGP優勝)レミー・ボンヤスキー(GP連覇)セーム・シュルト(空手出身だが、PRIDEのリングにも参戦)武蔵(二度のGP準優勝)、魔裟斗(日本人初のK-1MAX世界王者)等の著名選手を輩出する。

(注11)大山倍達によって完成され、今や世界の国々に支部を多く抱え、多大な影響力を持つが、大山の死後、各派に分裂した。以下、極真会館北九州支部のHPに紹介された、極真空手の精神について書かれた文を引用する。なお、会派内の分裂の結果、2003年に「新極真会」が発足し、テレビ東京等で大会の中継が行われている。

 「すべての武道は、いずれも厳しい自己修練を課し、その奥義を極めることによって自己の人格形成、すなわち人間としての正しい道を極めることを目指すものです。極真空手は、この武道本来の意味を全うすることを本義に置いています。

 また直接打撃制、無差別による実践的空手を通し、相手の痛みを知ることによって、人間本来のやさしさを知るという理念も、極真の信ずる道です。

 極真とは、 『千日をもって初心とし、万日をもって極みとする』という武道の格言から発した名称です。完成はないと言われるほどの、厳しく険しい武道の真髄を極める意です。極真会館に伝統的に受け継がれている精神である、『頭は低く目は高く、口慎んで心広く、孝を原点として他を益す』 とは、創始者である故大山倍達自身が、長年の厳しい修行人生の中で確立した極真精神です。

 また一方では、極真の挨拶『押忍(おす)』の精神には、尊敬、感謝、忍耐という精神があります。心身を錬磨すると同時に、伝統や礼節を重んじる極真会館での修行が、実生活に活かされると信じます」。(筆者段落構成)

 
 以下、そのエッセンス。

 「一、我々は心身を練磨し 確固不抜の心技を極めること
  一、我々は武の真髄を極め 機に発し感に敏になること
  一、我々は質実剛健を以って 克己の精神を涵養すること
  一、我々は礼節を重んじ 長上を敬し粗暴の振舞いを慎むこと
  一、我々は神仏を尊び 謙譲の美徳を忘れざること
  一、我々は智性と体力とを向上させ 事に望んで過たざること
  一、我々は生涯の修行を空手の道に通じ 極真の道を全うすること」

2008年11月8日土曜日

野球の現在―審判受難の問題の背景


 プロ野球を長く観ていて、近年、非常に気になる現象がある。ジャッジに対するクレームが、何かひどく過剰になっているような気がするのだ。ここで言う過剰とは、ジャッジに関わる当該選手や監督のみならず、メディアや一般ファンの全てが、ジャッジにヒステリックな反応をしているように見えるのである。

 「野球試合で最も重要な役割を演じながら、最も賞賛されないのが審判の仕事である」

 これは、セ・リーグで31年間の審判生活を経験した島秀之助の言葉である(「プロ野球審判の眼」岩波新書)。ここで島は、勿論、称賛を乞うているわけではない。それどころか、昨今のプロ野球には、審判に対する称賛はおろか、中傷、攻撃が眼に余り、何か審判受難の時代の到来という印象が強い。恐らく、島が肌で感じた審判受難の感覚より露骨な尖りを見せているに違いない。島秀之助の言葉は、そのような事態のあからさまな到来に対して、彼なりの感覚で警鐘を鳴らしているのである。

 審判の不手際による、明らかなミスジャッジに対する抗議なら仕方がないかも知れないが、昨今のクレームのレベルは適正な抗議の範疇を遥かに超えているのだ。

 例えば、際どいストライク、ボールの球審の判定や、スチールなどによるアウト、セーフの塁審の判定に執拗な抗議が延々と続けられ、時として、「もっとしっかりジャッジして欲しい」などと、不勉強な解説者(データを実況アナウンサーから教えられる人物が多い)から横槍が入れられたりして、しばしば審判狩りの様相を呈したりする始末。

 また、実況放送を聞いていて、よく投手出身の解説者が、「投手は一球に命を賭けているのだから、審判は良く見て欲しい」などとコメントすることがある。このワンサイドの物言いの傲慢さに、私は思わず、「審判だって命を賭けているのだ」と反論したくもなってくる。

 「もっとしっかりジャッジしろ」とは、恐らく、一般ファンの共通心情である。中には、審判の偏った判定を露骨に非難する人々も多く、伝聞だけでメディアを介して責め立てる。こういう具合だから、ミスジャッジの証拠を得たメディアは、有無を言わせず、当該審判に対して一気呵成に畳み掛けて、その牙を剥き出して止まないのである。

1999年、巨人対阪神戦の一コマ。

 清原選手が放った本塁打が安打にされたときのメディアの反応は、感情丸出しの審判狩りそのものだった。NHKを除く全局が、この虐めに加担したかのようだったのである。ミスジャッジへの批判は止むを得ないところだったが、審判の一つのミスが試合をぶち壊したと言わんばかりの情緒過多な放送は、審判員を心理的に追い詰めていく効果しか持たなかった。それでなくともより劇的で、よりエキサイティングなシーンを求めがちな、昨今のファン心理を過熱させるだけなのだ。

 穿(うが)って言えば、スポーツ観戦を情緒の洪水で満たしていくことに歯止めがかからないファン心理に迎合するばかりか、しばしばそれを先取りし、より刺激的な情報でスポーツシーンを囲繞していく役割を、大衆消費時代のメディアが果たしているとも読み取れるのである。

 しばしば、メディア・スクラム(集団的過熱取材)を露わにして止まない攻撃的な煽情報道こそ、消費をコアとする社会に相応しいメディアの流れ方であり、見過ぎ世過ぎの道でもあろう。煽情報道は必ずしもスポーツマスコミや、大衆週刊誌の専売特許ではないが、それでも、その踏み込み方のヒートぶりは見出し戦争の様相を呈しているのは周知の事実。煽情報道が大衆消費社会に深々と根を張っている限り、スケープ・ゴートを必要とせざるを得ないのだ。そして、そのスケープ・ゴートは、限りなく「本物の権力」から遠い対象が望まれるであろう。 

 プロ野球審判員は、全ての微妙な判定が、いずれかのチームのファンからの苛烈な非難に晒され、そこでの怒号や野次が、半ば以上、憂さ晴らしの役割を果たしている。彼らプロ野球審判員は、品性を欠いた監督や選手から人権侵害すれすれの罵声を浴び、突かれ、蹴られることもあるのだ。彼らは哀れにも、グラウンドでの格好のスケープ・ゴートにならざるを得ない構造性が、そこにあると言わざるを得ないのである。

 私には未だに信じ難い四つの事件が、過去のプロ野球シーンの中に確かにあった。

 1982年のこと。阪神の現役コーチが審判に殴る、蹴るという暴行を働いて、永久出場停止処分になった事件(注1)がその一つ。あろうことか、この処分はやがて解除され、二ヶ月間の出場停止処分に変更されている。

 1990年には、ロッテの金田監督が審判を蹴飛ばして、一ヶ月の出場停止処分になっている(注2)。これがその二。

 そして、1997年の6月。

 日米審判交流で日本に派遣されていたディミュロ審判が、中日(当時)の大豊選手を退場処分にした際に、選手や首脳陣に胸を突かれるなど、一方的な暴行を受けて辞任し、シーズン半ばで帰国した事件(注3)。

 これが三つ目の事件だが、氏のコメントの中に、「身の危険を感じた」という内容のものがあった。あろうことか、この切実な心情を訴えたコメントに対し、スポーツマスコミは概(おおむ)ね一笑に付するという反応によって応えたのだ。この印象は蓋(けだ)し鮮烈だった。

 四つ目の事件は、1998年。

 巨人のガルベス投手が審判に向かって、硬球を投げた事件(注4)がそれである。

 その結果、同投手は退団する羽目になったが、翌年再入団。まるで何ごともなかったかのように1年間投げ続けて、マスコミも全くそれに言及することはなかった。過去を安直に白紙にする日本人的配慮と言うより、審判への傷害未遂事件という過去そのものが、そこに全く存在しなかったと把握されているようにも見えて、私には却って薄気味悪かった。

 そのことに関して、私に全く解せないのは、事件への道義的責任を感じて丸坊主にしたほどの責任監督(長嶋茂雄氏)が、単に戦力不足とも思える理由から、同投手を再入団させた一貫性のない行動である。この監督の倫理感覚の底の浅さに驚くと同時に、同投手に狙われた審判氏への心情を察するに余りある。

 以上の四つの審判受難の事件は、この国のプロ野球の文化的成熟度の低さを露呈するものである。暴力主体をスポイルするスポーツマスコミと、それに煽られて悪乗りするファンの間に、「ミスジャッジする審判が悪い」という空気の形成が助長されていく。

 この流れは、よりエキサイティングなベースボール・シーンを求めがちな、消費としてのスポーツの商品価値を全く貶めないどころか、犠牲の羊を必要とするほどの過剰な展開と重なって、大量消費社会の近未来スポーツの危うさを予感させるのである。

 そのことを痛感させる極めつけのシーンがある。

 プロ野球の年中行事のようになっている乱闘シーンがそれである。

 両軍入り乱れての格闘技もどきのこの逸脱性は、明らかに消費としてのスポーツという市場に踊った、解放された祭りの醍醐味を見せるものである。

 遊びから分化したスポーツが、本来そこに内在していた「模擬」、「眩暈」という祭りの要素に、「競争」、「偶然」(以上の四つの概念は、フランスの社会学者ロジェ・カイヨワが「遊びと人間」で使用したもの)という近代的要素を加えて昇華したはずの一大娯楽に潜む爆発性が、解毒処理されながらも、熱狂が集合するグラウンドに弾けていく危うさは常にあるということだ。

 スタジアムで消費するファンに、サーカスを見せることを宿命づけられた現代スポーツは、一方で薬物に依拠して記録を更新する回路を、他方では祭りの爆発性を、ゲームの合法的内実、または、非合法的逸脱性によって不断に保証する回路を既に開いてしまっている。プレーの主体は、消費されていくものとしての価値を少しでも上げていくために、絶えず何かに駆り立てられているようであり、熱狂に突き動かされて、より多くの本塁打を、より迫力あるKOシーンを、より華麗なる演技を、継続的に披露し続けねばならないように仕立て上げられていく。

 “より速く、より高く、より劇的であれ”
 
 氷のリンクでは、4回転ジャンプの饗宴を、ローラン・ギャロス(注5)のクレーコート(土でできたテニスコート)では、果てしなく続くラリーの応酬を、ウィンブルドン(注6)の芝では高速サーブの超絶技巧を、F1レース(カーレースの最高峰)では、最強のエンジンによる時速300キロの夢の世界を(注7)、夏のアルプスには、屈強な男たちが厳しいドーピング・チェックを受けながらも、マイヨジョーヌ(注8)目指して山を昇降するのである。
 
 このじわじわと進行する消費としてのスポーツの、その無秩序な流れをリードする熱狂が、しばしばミスジャッジに足元を掬(すく)われて、プロ野球シーンでは一気に苛立ちが集合し、その最も非武装の部分に雪崩れ込んでいく。

 プロ野球審判員は、一見グラウンドの権力もどきだが、そこに権威の裏づけが殆どないから、職域での異様な熱狂を裁き切れないのである。ここに、審判の受難劇の深刻な事情がある。彼らに、フーリガン(注9)にも似た野蛮を制圧することを求めるには、殆ど銃の携帯を認知する以外ないのかも知れないのである。
 
 哀れなる者、汝の名は審判諸氏なり。

 審判受難の現象は、海の向こうの本場アメリカでも相当深刻なようである。

 メジャー・リーグが変貌しているのである。いや寧ろ、消費としてのスポーツはアメリカにおいて顕著だから、この国のスポーツ文化も、高度大衆消費社会の放漫なる荒波に洗われて漂流している現実は当然でもある。

 然るに、五階級(ルーキー、1A、2A、3A、メジャー)に対応した審判員の階梯のそれぞれに定員制があり、その入り口に当る審判学校への入学自体が既に狭き門になっていて(1日、10時間の受講が義務)、その頂点に当るメジャー・リーグ審判の収入は、日本のプロ野球の2倍を超えていると言う。

 そして、労組すら存在するそのアメリカで、一体何が起っているのか。

 メジャー・リーグ審判員は70人に満たないが、一つでもポストが空かない限り、下位リーグからの補填はない。メジャー・リーグ審判まで上り詰める審判員は、審判学校卒業者たちの僅か100分の1を占めるに過ぎず、そこに彼らの権威の高さが窺えるだろう。

 1998年のメジャー・リーグ・シーンに、そのことを実証するエピソードがあった。

 近年、稀に見るスラッガーで有名なマグワイア選手がストライクの判定に猛抗議して、退場させられた出来事があった翌日、注目度の高い当選手は記者会見を開いた。そこで彼は、深く反省する内容のコメントを開陳したのである。

 「大リーグ公式ルールブック」によると、審判員の判断に基づく裁定は最終のものであり、その裁定に異議を唱えることは決して許されないのである。彼の会見の目的は、例え彼が、一年目のメジャー審判のミスジャッジを確信していたにせよ、審判制度に風穴を開ける愚を侵してはならないことを、公的に確認するためであったように思える。制度の維持は、プレイヤーサイドが審判の権威を認知する努力なくしては極めて困難であるということだ。

 実は、マグワイア選手が退場させられた直後、スタジアムにはブーイングの嵐が渦巻き、騒然となった。当選手は、熱狂に走る観客たちの不満の捌(は)け口が、孤立する審判に向かう事態を回避したかったに違いない。当選手の本塁打をリアルタイムで観たいと願うファン心理にとって、「非情」なジャッジは許し難きものとなるのである。

 熱狂が集合するスタジアムの反応は早く、巨大な坩堝(るつぼ)のようなのだ。

 今、スタジアムは、一日過ぎれば解消する類の些細な変事に必要以上に反応し、沸騰してしまう。より刺激的なシーンを求める観衆の熱狂が波動となって、しばしばプレーヤーを動かし、プレーヤーもまたそれを活力源にして、そこに更に巨大となった熱狂が無秩序に暴れ回る。ファンは息詰まる投手戦よりも、熱狂を作り出す乱打戦を求めるようになり、これがジャッジの改定を巻き込んで、内角や高めのボールをストライクにとるに及び、打撃戦化の流れが極まったのだ。

 それは、審判の権威の失墜化の流れと軌を一にするだろう。
 空中戦になりやすい打撃戦では、投手戦に比べてジャッジの影響力は小さくなり、審判は単なる進行係と化していくのである。

 審判員の危機意識が底流となって、遂にナ・リーグ13人の辞職騒動が起きた。失墜しつつある審判の権威の回復を狙ったこのギャンブルは、審判員の完全敗北となり、ア・リーグを含む20名の審判員の辞職が決定した。1999年9月のことであった。

 衛星放送画像が伝えて来るファンの反応はあまりに冷淡で、「審判は生意気だ」と吐き捨てる人がいることに驚かされた。これが、大リーグの現在なのか。しばしば選手よりも大柄で、クレームが少し長く続いただけで相手を退場させてきた、あの威圧感溢れる大リーグ審判員と、それを支えてきたであろうベースボール文化が、今明らかに変貌しつつあると言うのか。

 ナ・リーグは辞職した審判の穴を、3A審判からの補填で賄った。メジャー・リーグ審判員の誇りはズタズタに引き裂かれたのである。

 消費としてのスポーツが、かくまでにヒートする時代の向うに、一体何が見えるのか。

 因みに、審判の権威を守ろうと尽力したマグワイア選手は、この年、65本の本塁打を放って、3年連続のホームラン王に輝いた。(以上、衛星放送第1、「メジャーリーグの最強の演出家たち」/1999年9月23日放送参照)因みに、彼の引退後、薬物疑惑スキャンダルによって、マグワイア氏が米議会の場で証人喚問された事実も添えておく。


(注1)前年に守備・走塁コーチに就任した島野育夫が、8月31日の大洋(現在、横浜ベイスターズ)戦で、藤田平の打球のファール判定に対して猛抗議した挙句、退場宣告に激昂した柴田猛コーチと共に、審判に激しく暴行を働いた由々しき事件。

(注2)1990年6月23日、西武との試合で高木敏昭審判の判定と、その直後の退場宣告に激昂した金田正一監督は、同審判に対して足蹴りを加えるという無法振り。更に試合後の会見で、同監督は、「下手な審判がいなくなるまで、何回でもやってやるぞ」などと言いたい放題。この発言に憤慨した高木審判は、「こんな奴がいるところで、ジャッジができるか」と厳しい態度で反応して、結局、シーズン途中で辞任した。同審判は、13年に及ぶ審判活に自らピリオドを打つことになったのである。

(注3)ストライクとコールされたことへの執拗な抗議に対して、ディミュロ審判が大豊選手を退場処分した際に、中日の選手から暴行を受けて乱闘騒ぎとなったことに審判氏は大きなショックを受け、後日、アメリカに帰国したことで、「日米野球摩擦」として、連日スポーツ・マスコミを騒がせた。アメリカCNNのトップニュースとなったこの事件の根底には、「野球エリート」になれなかった、この国の審判員に対する、差別感情を含むプレイヤーサイドの優越意識が横臥(おうが)しているように思われる。

(注4)同年7月の阪神線で、橘高淳(きつたかあつし)球審のボールの判定に冷静さを失った巨人のガルベス投手は、元々、集中力の継続し難い同投手の欠点が露呈され、その直後にホームランされたことで完全に切れてしまった。彼は投手交代の際に、あろうことか、ベンチに退きかけるや否や、危険な硬球のボールを、球審めがけて投げつけるという事件を出来させたのである。全く弁明の余地のない、言語道断な無法振りに対する球団の処置の甘さもまた、充分にお粗末極まりなかった。

(注5)ブローニュの森(パリ郊外)にある、全仏オープンテニスの開催地。会場名の由来は、冒険飛行家の名からとった。

(注6)ロンドン市郊外の地で、全英テニス選手権大会(全英オープン)の開催地。ウィンブルドン・テニスは、最も権威あるテニス大会であるとされる。

(注7)モナコでは、このロケットカーが市内を走り、目前でサーカスを披露し、そのグランプリレースは、アメリカのインディ500やフランスのル・マン24時間と並び、「世界三大レース」の一つとされる

(注8)ツール・ド・フランス(真夏のアルプスを走る世界最高峰の自転車レースで、夏季五輪、サッカーW杯に次ぐビッグ・イベント)の総合チャンピオンになった者が、その名誉を称えられて送られる、黄色いジャージのこと。  

(注9)ヨーロッパ(特にイングランド)のサッカー場で、殆ど自己目的的に騒動を起こす熱狂的ファンのこと。サポーター同士の衝突が常態化したことで、近年、暴動目当ての「サポーター」に対する事前の取締りが強化されている。移民が増えている欧州では、人種差別的なトラブルの出来が問題化され始めた。

 また、1985年5月、ブリュッセルのヘイゼル・スタジアムで起こったサポーターによる乱闘死事件(死者39名)は、「ヘイゼルの悲劇」と呼ばれてあまりに有名である。

 更に、2009年3月の「コートジボワールの悲劇」では、観客が22人死亡するという事件が発生。

高校野球という物語


 近代スポーツの勝敗至上主義にのみ流れないで、「道修行」による人格完成の理念を模索し続けているように見えるスポーツがある。我らが国の高校野球である。
 
 それは厭味たっぷりに言えば、「ひたむきな青春が、汗と涙と友情に溢れたスポーツを純粋に追求する」という風に括られるだろうか。理念がプレーにまで影響を与えるスポーツは、この「高校野球」をもって極北とすると言っていい。

 かつて、星陵高校時代の松井秀喜選手に対して、5打席連続敬遠という挙に出た相手バッテリーと監督が、連日のようにマスコミ、大衆の非難を浴びたエピソードはあまりに有名である(注1)。

 このときの人々の声高な主張を要約すれば、「高校野球らしくない」ということ。敬遠四球という、全く普通のプレーの技巧が、甲子園では暗黙の禁じ手になっているのである。このグラウンドでは、高校生は押し並べて、「高校生らしい」野球のプレーの実践が要請されているのだ。

 誰によってか。

 恐らく、高野連(注2)のみではあるまい。過半の高校野球ファンによってである、と考えた方がいい。高校野球フリークと、その周囲に屯(たむろ)する無数の愛好者たちが、主催者側に架橋し得る唯一の強力なコード、それを私は、「高校野球という物語」と呼ぶ。 

 この物語の普遍的様相を持つ理念への蹂躙はおよそ看過できないものであり、侵犯者への情緒的反応のヒートぶりは、物語への酩酊と、その連年に及ぶ確認を必要とする人々にとって、殆ど自然な現象であると言えるのである。
 
 高校野球という物語。

 私はそれを、「純粋・連帯・服従」という三命題によって把握している(「夢スポーツの三命題」とも呼んでいる)。

 球児たちは、甲子園という夢舞台で物語をなぞることを要請される。

 彼らはスポーツ天使となって「純粋」を表出し、「連帯」を作り出し、「服従」を演じて見せる。天使たちはそこで、野外公演の有能なパフォーマーと化し、ステージの其処彼処(そこかしこ)にユニフォームの黒が駆け抜ける。しかし踏み越えることはない。そこに眩い肉体が炸裂することがあっても、彼らが規範を踏み越えることは殆どない。

 仲間のミスを責めないし、連投のエースが打ち込まれたら、このスポーツの本来的な性格から言って、多くの場合、マウンドに友情の輪が作られる。「連帯」こそ、夢スポーツの中枢的テーマなのだ。

 頭から一塁に滑り込み、そのしなやかな肉体で打球をブロックする。一つのアウトに地団駄を踏み、一つのヒットに踊り上がる。「純粋」こそ、物語を貫流する最強の表現なのだ。

 そして天使たちは、監督や審判の指示や判断に決して異を唱えず、追随の姿勢を露にする。「服従」というシャドウワークの命題も、ここでは不可欠なのだ。「野球の聖地」に足を踏み入れた人々は、天使たちの服従のさまを目撃し、確認することで安堵し、予定調和の世界に誘(いざな)われるのである。

 人々は、物語をリアルタイムで堪能する。そこに秩序の不滅を読み取って、変転極まりない世相の浮薄さの向こうに、青春の普遍的な輝きを幻視するのであろうか。

 高度成長期を支えた基幹的なメンタリティであった、人々の「幸福競争」の果てに喪失した、共同体と安寧の秩序。これを観劇するために仮構された舞台こそ、「野球の聖地」が最も輝くであろう、この国の公式祭事であるかの如き、「我らの夏の甲子園」なのではないか。

 夢スポーツとしての高校野球という物語は、実は大いなる夢芝居でもあったのだ。そこに究極のアマチュアリズムの仕掛けがあるのかも知れない。

 たかだが、高校生の多々あるスポーツの一つに過ぎない高校野球が、この国では殆ど国民文化の様相を呈していることが、既に充分に驚異である。そのことは、夏の高校野球のピーク(準々決勝辺りが、最もエキサイティングすると言われる)が、お盆の民族移動のリターン期と重なっていることでも分る。

 郷里で寛(くつろ)ぎながら野球観戦する人々(帰郷期には、郷里の代表校が勝ち残っている確率はそれほど低くない)の意識には、都市近郊で集中的に崩壊していった地域共同体への観念的回帰への思いが、色濃く投影されている。郷土を代表する球児たちの一挙手一投足は、都会からエスケープしてきた人々が、既に実体を持たない郷土を追体験するために、そこに仮託された青春の日々の輝きなのか。

 高校野球は甘美であったと信じたい過去を定着させ、その過去との往還から、熱源を受給することを願う人々の、様々な含みを補償する最後の夏祭りであるのか。だからこそ、あの石油危機の激震がこの国をヒットしたとき、省エネ政策の一環として、高校野球中継の中止案が国会に提出された際、与野党こぞってこれに反対したというエピソードが異様にリアリティを持つのである。

 夏の高校野球 ―― それはこの国では、スポーツ以上の何かであるらしい。

 年に一度、過去と出会うために苛酷な渋滞を縫って帰郷した人々が、僅かな時間を切り取って、その絶妙なタイミングで届けられる夢スポーツの饗宴を追体験することの意味は、幾重にも増して深いものがある。それは既に郷土性を持たないプロ野球や、冠野球と化した都市対抗野球では到底及ばず、本来、郷土色の強いJリーグサッカーも尻窄(しりすぼ)みの現状では、夏祭りを彩る術がない。

 因みに、そんなサッカーでも、五輪やワールドカップ予選での注目度が高いので、郷土愛(パトリオティズム)より愛国心(ナショナリズム)の求心力への傾斜が無視し難くなってきたと言えるのだろうか。

 自壊しつつある郷土愛を、今は一人、高校野球のみが塞き止めているのかも知れない。或いは、高校野球にラベリング(注3)された、「夢スポーツの三命題」に内包するものの求心力の大きさが、ここでは侮れないのか。

 夢スポーツとしての高校野球とは、「純粋」、「連帯」、「服従」という三重奏に乗せられて、変形著しい郷土なる何かと情緒的にクロスすることで、束の間、過去との往還を愉悦する娯楽の切り札なのではないか。
 
 そこには、変化の速度が性急過ぎる時代に生きる人々の、なお変わって欲しくないものへの大いなる思いが熱気含みで集合し、それらの思いを最もよく収斂するカードとして選択されたものの持続性が、充分過ぎるほどに自己顕示しているかのようである。

 高校野球というシンボリックなスポーツは、変わらざるものの価値を確認し得る最も直接的な文化様態であった。

 その確認を必要とする人々をも巻き込んだ時代の速度感、それがこの文化様態の底流を這っている。良かれ悪しかれ、過去とクロスしながらでないと流れに乗っていけないような何か、それがまだこの国に、充分な思いを馳せて生き残っているということだ。

 流れの形而上学 ―― 高校野球のシャドウテーマの一つに、それがある。
 
 この国の高校野球はスポーツであると同時に、いやしばしば、それ以上に教育であると言っていい。夢スポーツに夢教育が濃密に絡んできて、現実の枠内で踊るスポーツ天使たちは、ひたむきに感動をリレーさせながら、予定調和の世界を駆けていく。

 「殉教」、「変身」、「奇跡」。これを私は「夢教育の三命題」という風に捉えている。天使たちのステージでの身体疾駆もまた、この見えないゴールデンルールをどこかでなぞっている。天使たちの熱きステージは、父母に公開された教育参観の場であるとも言えるのである。

 三命題の基本イメージはこうだ。

 こに熱血教師がいて、不良生徒がいる。教師はその生徒の教育に、彼なりに命を賭けたつもりになっている(殉教)。愛に飢えているに違いないと勝手読みされた生徒に、熱血教師は肯定的ストローク(注4)を連射して、ここに変化が起こる(変身)。生徒の変身は教師の確信的ストロークの結実である、という善意に満ちた思い込みの中から、何人も為しえなかっただろう行為の稀少性への称賛が生まれ、これを記憶のうちに特殊類型として固めていく。「ここに遂に、橋が架けられた」(奇跡)と。

 やがてこの類型は、こうすれば全ての生徒の歪みが是正されていくという類の確信的指針として般化されていき、成就された夢教育の一つの銘柄が、そこに普遍的価値を持つ貴重なる情報として巷にセールスされていくのだ。

 この殆ど定番的な物語は、教師の過剰な使命感と、本来は純粋であるはずの不良生徒の過剰なリバウンドが、メンタルに絡み合う情景をベースにして、生徒の一大改心で大団円を迎えるという構図を自明にするものとなっている。この一大改心を、正義と良心への語り口で貫徹するには、当然、「不良生徒は本来純粋であるにも拘らず、斬り捨て御免の詰め込み教育が彼らの心を蝕んだのだ」、というような独善的把握を前提にした方が、善悪二元論で一刀両断できる分だけ分りやすく、俗受けもするのである。

 困ったことに、このような短絡的文脈の中にも常に一片の真実が含まれているから、一切の語り口を一蹴するには及ばないが、「大人=悪、子供=善」という二元論の決定付けには、ゆめゆめ加担すべきではないだろう。

 夢教育は幻想である。

 それはあまりに過剰な物語である。

 バイアスの濃度も相当に深い。それは、教育のリアリズムと相対主義を軽視し過ぎているから、実体のない理想論と倣岸な決定論が安易に繋がって、徒(いたずら)に正義のマーチを奏でずにはいられなくなるようだ。

 この夢教育が、丸ごと夢スポーツの黄金律と重なって、高校野球という物語は、誰にも文句を言わせないほどのパワーをまとうことになった。夢スポーツは夢教育の強力な補完を受けることで、物語をより純化させるのだ。純化された物語が感動をより強め、そこに名状し難い余韻を残し、これが物語の継続性を保証しにかかるとも言えるのである。

 高校野球という物語の、複雑で多様なる要素の集合性に、今更ながら驚きを禁じ得ない次第である。

 大人を悪と決め付けた夢教育の語り口の中から、純粋であるべきはずの不良生徒の改心という基幹ストーリーが分娩される。そしてこの改心の重要な契機に、高校野球という、丸ごと教育的なスポーツを媒介させてみる。更にそこに、「汗と涙の猛特訓」というスポ根ワールドの定番メニューを適当にあしらえば、教育サイドの「殉教」、「変身」が、スポーツサイドの「純粋」、「服従」というコンセプションと符合することが読み取れるのである。

 また、教育サイドの「奇跡」が夢スポーツの中に表現されていることを確かめるには、「爽やかイレブン」(徳島池田高校)が全国制覇した、あの快進撃を想起してもいい。或いは、「野球の聖地」に於ける、ノーシード校の「甲子園化け」という快挙を例示してもいいだろう。

 例えば、徳島池田高校の快進撃のときの名物監督のように、包容力豊かな養父でありながら、ハートを持つ監督の野球への「殉教」が、そこに生徒(球児)たちの様々なリバウンドに反応しつつ、彼らを夢舞台で「変身」させ、全国制覇という「奇跡」を達成した著名な物語をなぞっていくだけで、既に充分に、高校野球という物語の真髄を追体験することが可能である。
 
 スポーツ天使たちの野外公演は、本来、異質であるはずの二つの世界を溶融させて、読み切りの感動篇をリアルタイムで作り出す、このロマンティシズムの芳醇な快楽は捨て難い。だから聖域への侵犯に対して過敏に反応してしまうのだ。

 物語に背馳(はいち)するなら、本当の所、商業マスコミが勝手に作り出した「怪物君」の存在だって不要である。この夢舞台には、選手たちの個性を際立たせてしまうほどの英雄伝説は特段に必要ないのである。ここでは、完全試合と、先発全員安打を並立させるようなワンサイドゲームは、それほど待望されないのだ。圧勝の快楽はプロスポーツに譲ればいい。江川卓(すぐる・注5)という豪球投手を擁した作新学院が呆気なく散ったように、強豪高が必ず勝つというリアリズムそのものが要らないのである。

 連続打席敬遠という、おぞましいまでのリアリズムは、夢スポーツと夢教育へのアンチテーゼとしか捉えられないに違いないのだ。それはスポーツでありながら教育であり、そこで溶融されて昇華したロマンティシズムが、スポーツという身体表現を介して、苦渋なまでに美しく、それ以上攪拌(かくはん)できないほどの純度で振舞われ、突き抜かれていると言えるのである。

 それ故、この国の人々は、連続打席敬遠の底流を貫く勝利至上主義に、単に反発したのではないのだ。安直に一塁に歩かせて、場面ごとの力関係の優劣でゲームを組み立てていくスポーツ合理主義や、そのような小賢しい処理によって、香しきロマンティシズムを遠ざけてしまう効率の論理等に対して、明らかに物語の侵犯を嗅ぎ取ったのである。

 物語への侵犯という見えないジャスティスが、ここでは空気を支配するのだ。問題行動の出来に対して、常に高野連が当該高校に連帯責任を求めるのは、結局、この世界だけには、個人と組織を分離させない全体主義の風潮の温存を強いていることを示している。

 マスコミ、大衆も高野連を批判しつつも、恐らく、その官僚的体質を毛嫌いしているだけで、物語の共有性を反古にしようとは思っていないであろう。その関係は対立的ではなく、単に非協力的であるに過ぎないのだ。空気を支配するジャスティスは、一貫してそこに堅固な呼吸を繋いでいるのである。

 今年もまた暑い夏がやって来て、新しい伝説を物語に加えて、足早に駆けていく。物語の基幹ラインは、無論変わらない。大人たちが求めて止まない少年たちのひたむきさが、そこに集中的に身体化され、その一つ一つが、恰も、宝物のような記憶のポケットに収納され、守り継がれていく。

 そして天使たちは、いつの日か大人になる。

 ある者はプロになり、そこで初めて本物のスターになる。未完の英雄伝説を完結させるのである。ベンツに乗り、浮名を流し、億単位のプレーヤーになるのだ。

 その変貌に、誰も異議を唱えない。天使は別の世界に旅立ったに過ぎないのだ。天使を卒業させた人々がいて、卒業証書を手にしたかつての天使が、そこにいた。羽ばたいた天使たちに、人々は拍手を届けた。それだけのことである。

 人々はまた今年も、聖域が守り継がれたことに安堵する。

 秩序は生きている。来年も守られるはずだ。泣きながら土を持ち帰る天使がいる限り、物語は壊れない。それで充分なのである。

 元々、この国でスポーツが普及していくベースには、武士道的な徳育主義を重視した一高的野球観が濃密に含まれていた。これが大学野球に進化を遂げていっても、武士道的な理念が温存されていった流れは、かの有名な飛田穂洲(とびたすいしゅう・注6)の精神野球論によって裏付けられている。

 ここに、彼の精神野球論の真髄ともいえる表現があるので、その一文を紹介する。

 「ベースボールを遊戯視した時代もあり、現在でも娯楽的に取り扱うものもあろう。野球の面白さ、それを一種の球遊びと考えるものがありとしても強いて異論をとなうる必要はないかも知れない。しかし吾々がしっかり抱いて来た真の野球というものは決して娯楽的に空虚な球遊びではない。

 (略)今日われらがいうところの野球には、精神がなくてはならぬ。ことに学生野球というものにあっては、厳然たる精神を持たなければ存在の意義を為さない。わずかに娯楽的のものに過ぎなければ、多額の費用を投じて野球部を支持するなどは、学校本来の目的上許すべくもないことである。

 (略)野球が好きだからやる、あえて苦痛を忍んでまでやる必要があるか、こうした事を考えるものがあれば直ちに野球部から追い出さねばならぬ。

 (略)学生野球は遊戯ではない。遊戯でない野球には堅苦しい約束があり、修行者はその約束を守って野球部のため粉骨砕身せねばならない。部長の命ずるままコーチの命ずるまま先輩の命ずるままに従ってグラウンドを馳駆しなければならぬ。

 各野球部にはそれぞれ野球部としての伝統があり、確立したる野球部精神がある。

 (略)・・・精神団体として集まった野球部というものは、自然堅い約束がとりかわされ、すべてチームの指示するところによって行動しなくてはならない」(「飛田穂洲選集 野球読本 第四巻『精神野球』」ベースボールマガジン社刊より ―― 昭和10年、『スポーツ良書刊行会』より、『中等野球読本』として刊行された・注7/筆者段落構成)

 以上の文脈を貫流する「精神野球論」についての解説は、殆ど無用と思われる。

 「野球というものは決して娯楽的に空虚な球遊びではない」と断じて止まない男の理論は、倫理学の範疇で語られる何かですらあるだろう。

 飛田穂洲という稀有なる人格にとって、「野球」とは既に、「道修行」の対象以外の何ものでもなかったのである。だから彼は思春期の盛りにある少年たちに対して、「天真無垢」のキャラクター像しか求めないし、そのキャラクター像の共有を、野球を愛する大人たちにも同時に求めて止まないのだ。

 「天真無垢の少年がただ男らしい勝利に向かってまい進する実景に接しては、自然に心気清浄ならざるを得ないだろう。甲子園の観衆が非常に洗練されているのは純良な選手行動の感化を受けたこと甚大であることを否まれない。熱のない試合の行われているスタンドに悪やじの声の高いのは、選手そのものにも負うべき罪なしとしない」(同著 第五巻『穂洲庵独語』より)

 「甲子園」―― そんな飛田の熱い思いが、この「高校野球の聖地」に花開いて、今なお先述した、「学生野球憲章」の前文の中に、脈々と受け継がれているのである。その飛田の熱い思いは、この国の敗戦によって、より強靭な「思想」として猛々しく結ばれていったのである。

 「戦に負けたのだからと、諦観すれば、それも一応はうなづけるであろう。しかし、日本人三千年の教養が、一敗地にまみれただけで跡形もなくなってよいであろうか。戦争は呪わしいものであろうが、吾々は、悲運戦禍の中に翻弄されたけれども、敗れてなお且つ日本人の矜持を失いたくない。敗戦を生かして、一種の教訓とし、新しい人生を創造せんために、今後日本の生くべき道を探求せんことに、努力傾倒しなくてはならぬと思う(略)本来の熱情をそのまま新日本の生くべき道を樹立せん為に、勇往邁進すべき心構を十分にして、ヒットを打たなければならぬ。それが青少年のとるべき唯一の道なのである」(同著 第五巻『進め!野球の大道へ!』より)

 「進め!野球の大道へ!」という表現は、殆どアジテーションのそれに近いものである。彼は一人のアジテーターとなって、この国の戦後の「野球道」を鼓舞して止まなかったのだ。このような気概のある大人は近年とんと見かけないが故に、却ってある種のノスタルジーすら感じさせるそのメンタリティは、「人格表現者としての日本の男」という意味において稀少価値ですらあると言えようか。

 然るに、彼はポップフライを打ち上げた打者や、スローカーブを投げた投手を、精神が欠如した選手として痛罵した。

 飛田イズムと呼ばれる、この「道修行」であるべき野球というスポーツは、他のスポーツのそれを凌駕するかのような、激越な練習至上主義を生み出した事実は否めないだろう。今日では、スポーツ科学でも否定されているノードリンクのランニング漬けや、非合理的な兎跳びと、過剰な腹筋に代表される、かつての野球少年たちの定番的な練習メニューを貫流するのは、「精神が野球を作る」という徳育野球の中心的なイデオロギー以外ではないのである(注8)。

 あの伝説的な、読売巨人軍の「茂林寺の千本ノック」(注9)のエピソードは、精神野球のエッセンスが草創期のプロ野球にも浸透していたことを能弁に物語っている。本来、アマチュアリズムとしての飛田イズムが、一貫して野球界にその影響を留めていることは疑問の余地がないところである。

 先述したように、その飛田イズムの原形を濃厚に留めているのが、我が高校野球である。そこには、飛田イズムの極北的テーゼが生きているかのようだ。

 そのテーゼを要約すると ―― 第一に、プレーと人格を直結させたこと。第二に、アフタープレーと人格をも直結させたこと。この二点に尽きる。

 前者については、既に書いた。怖いのは後者である。野球選手は私生活でも点検され、罷り間違っても恋愛などに溺れてはならぬ。まして、監督たる者が不倫や金儲けに走ることなど、言語道断。そういう思想が、この世界に睨みを利かせている。

 試合に負けて泣かない者を、人格欠陥者と決め付けた飛田という男の過剰さは、紛れもなく、このような男を必要とする時代の産物であるだろう。無論私も、このような男がいて、それなりに若者に説教を垂れる場面が散見される状況の有りようを、決して否定するものではない。いや寧ろ、このような男の不在の状況を嘆いてもいる。

 だが特定の権力をバックボーンにして、あまりに非科学的な精神主義の過剰な押し付けだけは御免蒙りたい。その個々の能力の限界を明らかに越えていくことを求める、一切の人間的振舞いは、百害あって一利なしであるという外にないのだ。過剰なる人間の非合理的な振舞いこそ、この世で最も注意すべき現象であると考えているからである。

 然るに、この些か独善的なイデオロギーが、良かれ悪しかれ、今も高校野球を少なからず覆っていて、球児はプレーと同時に、その態度までも射抜かれているようだ。徳育野球を信仰する人々が、球児たちを過剰なまでに包囲している。その包囲網は、体力を持て余した少年野球こそ、教育のカテゴリーに含まれる主要な何かであるからだ。

 高校野球という物語の過剰さ。

 それは結局、夢スポーツと夢教育という二つの物語が、絡み合って放たれる豊穣な熱源を供給源としていた。その甘美なリリシズムと比類なきパワーが、人々を夢の世界に誘(いざな)って、それぞれの含みを持った自我に消し難い記憶を焼き付ける。物語の継続力を、そこに保証しにかかるのだ。

 エンドレスな快楽の転がしゲームに明け暮れている感のある、このナルシズム文化濃厚なる平成の世に、規範体系を決して逸脱しないこの国の高校野球が、長々と呼吸を繋いでいる。何故、それが可能なのか。それは先述来のテーマと当然リンクしてくるはずだ。

 高校野球という物語の深い所で、時代の速度とバランスを取ることを強く求める人々の、密かな思いが揺蕩(たゆた)っている。時代の速度は過剰だから、それに拮抗する物語もまた過剰となる。揺蕩っている思いは見えないが、そこで身体化するラインは溢れるほどに叙情的である。ラインの叙情性の向こうに物語の叙情性がある。物語の叙情性の更に奥深い所に、物語のシャドー・モチーフかも知れない、もう一つの叙情性がある。

 時代の過剰が物語をリバウンドさせた。時代の性急なる速度が、物語を叙情のラインで固めていったのである。だから物語は叙情の氾濫になったのだ。

 時代に繋がって生きるしか術がない人々には、叙情による癒し以外に物語の整合性をキープできないのか。人々がとうの昔に失ってしまった自己完結感を随伴した、循環型社会システムへの原点回帰への密かな思い ―― これが物語のシャドー・モチーフとなって、奥深い所で、寄せては返す波のように揺蕩っている。物語に張り付いた様々な要素が集合して、高校野球は常に必要以上に泡立っているのである。


(注1)1992年8月16日、夏の甲子園でのこと。1回戦を完勝した星稜高校に対して、2回戦の相手である明徳義塾高校(高知県)は、サードで4番を打つ、スラッガーの松井秀喜選手の全打席において、無走者の場面でも敬遠策をとるという作戦によって勝利した。

 その際、明徳義塾高校の、野球ルールに則った当然の作戦を許容しない甲子園の観客によって、明徳義塾高校の全ての関係者は激しいブーイングを浴びせられたり、グラウンドにメガホンやゴミを投げ入れられたりして、一時、「高校野球の聖地」は騒然となった。

 当然の如く、その愚行の根柢にあるメンタリティは、「甲子園球児らしからぬプレー」であるという強靭な物語。その後、高野連会長による、ものものしい記者会見を開く事態にまで発展するというおまけつきだった。

(注2)財団法人日本高等学校野球連盟の略。高校の野球部員に「高校生らしさ」を求める余り、しばしば、問題を起こした高校の出場を辞退させるという処置に対して批判されることがある。その拠って立つ根拠は、日本学生野球協会が定めている「学生野球憲章」である。

 因みに、「学生野球憲章」の前文の文章は以下の通り。

 「われらの野球は日本の学生野球として学生たることの自覚を基礎とし、学生たることを忘れてはわれらの野球は成り立ち得ない。勤勉と規律とはつねにわれらと共にあり、怠惰と放縦とに対しては不断に警戒されなければならない。元来野球はスポーツとしてそれ自身意昧と価値とを持つであろう。しかし学生野球としてはそれに止まらず試合を通じてフェアの精神を体得する事、幸運にも騎らず非運にも屈せぬ明朗強靭な情意を涵養する事、いかなる艱難をも凌ぎうる強健な身体を鍛練する事、これこそ実にわれらの野球を導く理念でなければならない。この理念を想望してわれらここに憲章を定める」

 そしてこの肩章の附則の中に、「学生野球の本義に違背し、又は違背するおそれのある行為があると認めるときは、審査室の議を経て、その部長、監督、コーチ、選手又は部員に対しては、警告、謹慎又は出場禁止の処置をし、その者の所属する野球部に対しては、警告、謹慎、出場禁止又は除名の処置をすることができる」という一文があり、これが出場辞退の一つの根拠になっている。(高野連HPより)

(注3)ロバート・キング・マートン(アメリカの社会学者)が提示した「自己成就的予言」(誤った規定が、その規定に沿った新しい行動を惹起させ、それがやがてリアリティを持つという考え)に起因する概念だが、ここでは単に、「レッテルを貼る」と言う意味で使っている。
        
(注4)相手の心情を理解し、肯定的に働きかけていくこと。

(注5)作新学院時代に、2度の完全試合、9度のノーヒットノーラン、とりわけ5試合を投げて75奪三振という記録を打ち立てた、栃木県大会(甲子園の予選大会)での快投は有名。江川は後に法政大学に入学し、大学時代での成績も群を抜いていた(通算47勝)。江川事件(ドラフト会議前日の「空白の一日」を利用して、巨人に入団した際の一連の騒動)で世間を騒然とさせたが、巨人時代にも速球主体の投球で活躍した。

(注6)「一球入魂」という言葉で有名な、「学生野球の父」。早稲田大学在学時代から野球に打ち込み、後に同大学野球部の初代監督として活躍する。マスコミでの評論活動の傍ら、学生野球の普及と発展に尽力した。「穂洲」の名はペンネーム。
                          
(注7)因みに、本書には、野球の実践プレーについての詳細な記述があって、それが本書の大半を占めている。彼が単に、一人の観念的な精神主義者でなかったことだけは確かである。

(注8)兎跳びは膝を痛めるだけであり、また腹筋に至っては、首を痛める確率が高く、明らかに間違ったトレーニング方法であるとされている。

(注9)「『茂林寺の猛練習』とも言う。春の公式戦、満州遠征の終了後、群馬県内で行われた合宿練習は、2度に渡るアメリカ遠征で成功を収め、“天狗”になっていた選手たちを叩きなおす意味合いも込められていた。この練習で、今に続く巨人の基礎が形作られたと言える。この年春は2勝5敗と満足の行く成績が挙げられなかったが、秋には18勝9敗の好成績で優勝。早くも特訓の成果が現れた」(「読売巨人軍の公式サイト」より引用)

消費としてのスポーツ ― プロとアマの問題に寄せて


 多くの人々が考え違いをしていると思われる問題の一つに、プロとアマの問題がある。(ラグビーの試合中のスクラム)
 
 一体、プロとアマのボーダーをどこで引いたらいいのかという問題提起は、オリンピックを開催する度に必ず出来するので、私たちにとって非常に身近なテーマになっている。議論の流れが、アマチュアリズムの解体の方向に進んでいることもまた周知の事実である。

 それにも拘らず、多くの人々がアマチュアリズムを「非商業主義」とか、「勝利至上主義の否定」とか、「愛好精神」等々というイメージによって漠然と把握することで、そこに何か、プロとは違う純粋なメンタリティを読み取っているらしいことに、正直私は馴染めない。プロとアマを分けるのは、金と勝負への拘りであり、詰まる所、それらをリトマス紙にするときの感情の純度の問題なのだ、というアマチュア礼賛者たちの確信的な声が聞こえてきそうでもある。

 果たしてそうか。

 現実問題を言えば、今や、その境界は殆ど崩れてしまっている。テニスにはプロが出場し、1992年のバルセロナ大会のバスケはNBA(注1)の一人舞台。レスリングにさえもプロの参加が検討され、2000年のシドニー五輪からは、プロ野球選手がステージに乗るという具合。既に、最も華やかな国際舞台において、ルビコン川は渡られてしまったのである。
 
 驚くべきことでもない。
 
 1920年代の英国の陸上ランナーを描いた、「炎のランナー」(ヒュー・ハドソン監督)という映画には、プロコーチを雇って自分の記録を伸ばしたユダヤ人ランナーのエピソードが、実話として興味深く描かれていた。プロ・アマの問題は、近代オリンピックが宿命的に抱えていたことを知るべきである。

 「有閑階級の理論」で著名なヴェブレン(注2)によると、元々、スポーツの起源は貴族階級の狩猟をルーツにすると言う。彼らは、自らが労働から解放された階級であることを誇示するために狩猟をゲーム化したのである。スポーツは貴族の階級的デモンストレーションだった、という説は極めて興味深い。 

 英国貴族のノーブレス・オブリッジの思想(紳士は対価を求めるな)と、スポーツの起源には極めて符合性がある、と私は見ている。アマチュアリズムとは、要するに、「不労所得階級である上流階級の発想」(山田誠著「スポーツマンシップの国 イギリス」/TBSブリタニカ刊)として英国に生まれ、貴族の特権的浪費をプライドに包んで合理化したイデオロギーだったということだ。
 
 無論、このラインとは没交渉に、民衆の自然発生的スポーツの流れがある。

 その代表が、11世紀の子供文化の中に誕生したフットボールである。ボールを蹴って、ゴールポストに入れるという単純な遊びが普及しないわけがなく、その熱狂による勤労停滞を恐れた英国国王が、何度も「蹴球禁止命令」(注3)を出した話は有名である。

 サッカーに狂奔する人々の中に、アマチュアリズムの小賢しい差別的観念が寸分にも入り込む余地などない。元々、民衆はスポーツに過剰な理念を仮託しないのだ。スポーツで稼げる人間がプロとなり、その稼ぎを安定させるためにスキルを磨き、長くプロを張って生きる。それだけのことだ。

 近代社会でのプロ選手が金と勝負に拘るのは当然過ぎることであり、それと一線を画すかのような愉楽としてのスポーツの価値なるものが、相互に厳しく対峙するものでもあるまい。
 
 オリンピックが今後、プロ・アマなしの高度な身体運動技能のコンクールとして、進化を果たしていく流れは、技巧のレベルにおいて既に限界が見え隠れしているものの、基幹的な流れの加速化は止まらない。アマチュアリズムを死守せよと叫ぶ人々は、商業主義のオリンピックを蹴飛ばして、自分たちで納得のいくスポーツ文化を純粋培養していけばいいのである。それもまた、相応の文化的価値を持つに違いないのだ。

 思うに、プロとアマチュアの違いを、職業的自立とか感情の純度の問題で分けることに、果たしてどれだけの意味があると言うのか。

 勝敗に拘るのは近代スポーツの宿命だから、敢えてその概念を分水嶺にするのも及ばない。職業的自立性によって、両者の間に明瞭な境界を引こうとするならば、殆どのプロボクサーはプロの看板を降ろさなくてはならないだろう。彼らはまさにプロボクサーを続けるために、他の職業に就き、そこで日々の糧を得ているのである。それでも彼らは、単に趣味だけでボクシングを続けているわけではないのだ。

 私の知っている、ある元東洋チャンピオン(2008年現在・ボクシングジム経営)は、彼がまだ無名の頃、B級トーナメント戦で対戦した相手に対して、「アマチュア上がりに負けるわけにはいかない」と洩らしたことがある。彼はこのとき、一日の大半を運送店のドライバーとして拘束されていて、そこで得た僅かな収入でジム通いを続けていた。しかし彼の意識の中では、プロボクサーという明瞭な自己規定が既に厳然と形成されていたのである。

 ここで、「プロが、アマチュア上がりに負けるわけにはいかない」というときのアマチュア概念には、「プロの洗礼を受けたことがない者」という重大な含みがある。

 プロとは、それを職業にする者である。正確に言えば、それを職業にしているという意識である。それを職業にしながら、そこから糧を得ていなくても、職業意識によってそれと繋がっているならば、その主体は紛れもなく、それに対するプロそれ自身であると言っていい。プロとアマの差とは、このような職業意識にこそあるのだ。

 明瞭な職業意識を持つ者が、それに対する職業意識をまだ充分に形成していない者に負けられないという意識こそが、まさにプロ意識そのものなのである。プロで何年もの間、培ってきた経験による自負が、人気先行の新人に闘士を燃やすとき、その自負に嫉妬心が張り付いていたにしても、それを含むメンタリティもまた、紛う方なくプロ意識といっていい。

 職業意識が培養した自尊感情の差が、しばしばリングでの戦いの優劣の差を分ける。より高みに上ったプロは、簡単に敗北するわけにはいかないのである。

 敗北しても、敗因を語らない。語ってはならないのだ。ただ、力が及ばなかった。そう語るだけだ。それ以外の言葉は不要である。コンディション作りに失敗したとか、先週からの風邪が治らないとか、肉親の不幸で精神的に参っていたとか等々の弁明はおよそプロの言辞ではない。プロとは、敗北の弁明を自らに許さない職業的負荷意識である。その意識の差がプロとアマを分ける。それ以外ではないのである。

 独自路線を歩むラグビーのモットーとなっている、「オール・フォー・ワン、ワン・フォー・オール」(皆は一人のために、一人は皆のために)という二律背反的な理念によって、アマチュアリズムを駆け上るのもまた、一つの充分過ぎる存在証明ではある。文化でもあるし、それを守る知恵でもあるだろう。

 しかし、ラグビーという近代スポーツの面白さは、そんな理念を遥かに超えたところにこそある。スクラム(注4)やモール(注5)となった巨漢の激突の迫力と、巨木の間を抜ける小兵の疾風の如き走り。このダイナミズムとスピードこそ、近代スポーツの魅力の源泉である。

 これが、大衆を興奮の坩堝にする。大衆は理念では反応しないのだ。

 理念で開かれた近代スポーツが大衆に届けた最大の快楽は、近代スポーツそれ自身の超絶的技巧の進化にあった。大衆は単に、スポーツの醍醐味を堪能したいだけなのである。プロであろうとアマであろうと、人々は面白ければそれでいいのである。

 そんな生理で動く大衆に、近代スポーツは鋭敏に反応し、過剰な技巧によって応えていこうとする。アスリートサイドが、大衆の無言の要請に反応していく速度が性急になって、外野席から俯瞰していると、しばしば筋肉増強剤を使ってまでも、記録の更新に駆り立てられる過剰さに驚かされるのだ。

 現代スポーツの過剰さは、先進国の高度成長以降の大衆消費経済と、その欲望自然主義の繁栄である。より超絶した技巧を消費する、言ってみれば、「快楽の代謝」という一点に、大衆の熱狂が集合する。

 かつて、MLB(注6)にそれほど関心がなかったこの国において、そのMLBの本場で1998年を頂点として展開された、マーク・マグワイア(セントラル・カージナルス)とサミー・ソーサ(シカゴ・カブス)の連年に渡ったホームラン競争の過熱は、大衆がリードする現代スポーツの一つの到達点であったと言えようか。
 
 では、「家畜福祉」(福祉の考えによる家畜の飼育)の思想によって問題化されつつも、まるで合理主義を究めた「光線管理」(黄体ホルモンの分泌を刺激するためにのみ、朝夕にライトアップ)によるウィンドレス鶏舎の蜜飼いの採卵マシーンの如く、スポーツ合理主義的な推進力によって駆り立てられたアスリートたちは、超絶度を進化させ尽くした向こうに、一体何を見るか。

 100mを8秒台で走り、42キロを1時間台で走る時代が到来することが本当にあり得るのか。砲丸投げ、棒高跳び、競泳、スピードスケートなども含めて、近代スポーツはそろそろ、人間の身体の能力限界に近づいているように思える。人類最後の記録に達する時期が迫っているのだ。ミュンヘン大会から、短距離では100分の1秒の計測を採用しているが、これが1000分の1秒になり、10000分の1秒の計測にシフトしていくことに、果たしてどれほどの価値があるのか。

 大衆の注目と熱狂の中で進化してきた近代スポーツに、簡単に限界が迫っているとは思わないが、効率の追求(勝敗主義の帰結)と、ロマンの追求(物語としてのスポーツ)の結合のうちに、大衆の熱狂を保証してきた近代スポーツが効率の追求を捨てて、超絶技巧への走りを緩和し、表現の純度のみで人々の熱狂に応えていく時代を開くことになるのか。誰もその行方は分らないのだ。
 
 いやそもそも、大衆の熱狂に反応するスポーツの在り処が問われるのかも知れぬ。過剰な観念を払拭し切った果てに、新しいアマチュアリズムの展開が見られるのかも知れぬ。それでも勝敗主義の自壊には至るまい。ロマンの追求を清算する事態の展開もあり得ないだろうから、記録の更新への拘泥を柔軟にするという展開によって(例えば、170キロの快速球への期待をあっさり反古にして、他の可能性に効率的追求をシフトするなど)、大衆の熱狂に誘導的に反応していくという未来図を描く以外にないのかも知れない。スポーツを消費する時代が、いよいよ鮮明になってきた。


(注1)全米プロバスケットボール協会の略。アメリカの四大スポーツの一つで、1946年に発足し、現在、全30チームによってレギュラーシーズンを戦う。

(注2)19世紀から20世紀にかけて活躍した、アメリカの著名な社会学者、経済学者。制度派経済学の創始者としてガルブレイスらに影響を与えた。主著である「有閑階級の理論」は、貴族の心理や生態を克明に分析していて、十分に説得力がある。

(注12)14世紀のイングランド、街路で行なわれた蹴球試合において、あまりの暴力沙汰が頻発するのに業を煮やしたロンドン市長によって「治安維持のために発せられたる布告」がこの蹴球禁止令である。その頃の蹴球は、現在のサッカーとは似ても似つかぬもので、いわば喧嘩祭りのようなものであった。少なくとも一定のルールに従うスポーツではなかった。(「サッカーのルーツを探る」加藤良一氏HPより)

(注13)「ボールを所持していたプレーヤーがボールを前に落としてしまったり(ノックオン)、ボールを前に投げてしまったり(スローフォワード)、軽い反則があった後に行われるプレーのリスタート方法です。両チームのフォワード(FW)8人同士が組み合い、両チームが組み合った中間に、一方のチームのプレーヤー(スクラムハーフ)がボールを投げ入れます。投げ入れられたボールを、投げ入れたプレーヤーのいるチームが足で後ろにかきだし、スクラムを組んだ最後方のプレーヤー(ナンバーエイトやスクラムハーフ)がボールを取り出すことによってプレーが再開されます」(Sports-rule.com「ラグビーの用語解説」より)

(注14)両チームの選手が、ボールを持った選手を囲んで、組み合った状態で、それぞれの肉体を密着させているゲーム様態のこと。

(注15)メジャー・リーグ・ベースボール(大リーグ)の略で、現在、アメリカとカナダ(トロント・ブルージェイズの1チームのみ)のチーム合わせて30チームが、各地区に分かれてリーグ戦を戦い、そこで勝ち残った両リーグの代表が、10月のワールドシリーズのステージで、ワールドチャンピオンを決める。