2021年3月1日月曜日

この国で、「野球」とは何だったのか ―― 「体育会系」から「知的体育会系」への風景の遷移











場所は、甲子園室内練習場。

そこで実施された、「新人合同自主トレ」の中での笑えないエピソード。

2017年1月14日のこと。

甲子園室内練習場
未だ、プロの合同自主トレに慣れていない3人の新人に、檄を飛ばした男がいた。

男の名は、「浪速の春団治」・「球界の春団治」と呼ばれている阪神OB会長・川藤幸三。(以下、敬称略/因みに、初代・桂春団治は、「酒・金・女」の破滅型芸人で、戦前のスーパースター)

檄の内容は、「酒1升飲まんかい」。

20代前半の、3人の新人・一人ひとりに、川藤幸三は「お前ら、酒は飲めるんか?」と聞き質(ただ)した後、言ってのけたのだ。

「プロに入ったら、酒ぐらい飲めるようになれ!」

それを傍らで耳にした統括スカウトが、慌ててストップをかけた。

「何を言ってるんですか、OB会長が」

川藤幸三は、そこでも言ってのける。

「そんなもん関係あるかい!自分の好きなようにやったらええんや」。

川藤幸三
川藤の真意が、「真面目なだけでは、プロの荒波を乗り越えられない」というメッセージを託したことにあると、このエピソードを発信したスポーツ報知は客観的に伝えているが、これを読んだ私には、「1升飲めるように頑張ります。投手陣との距離を詰められたらと思います」と頷いた野手ルーキーとの会話のうちに、ヒューリスティック(簡略化された推論で結論に達する方法)な判断で動きやすい「体育会系」の極端な行動体系を見てしまうのだ。

総合コーチ経験もある川藤幸三自身に対して、全く悪感情を抱くことがないばかりか、最低保障年俸の中で、「川藤ボックス」(身体障害者への甲子園球場の年間予約席)を作るという優しさを持つ男の人気の秘密を知りならも、彼の言動には、「体育会系」の極端な行動体系が弾け切っていて、今や、スポーツ界で常識と化している、科学的メンタルトレーニングの無知・無自覚さに大いに疑問を持たざるを得ないのである。

ついでに書いておきたい。

普通、日本酒を1升以上飲んだら、「微酔期」「酩酊期」「泥酔期」と続く酩酊度が、最終段階である「昏睡期」にまで進み、「血中アルコール濃度」が0.40%(急性アルコール中毒を起こしたら、1〜2時間で、約半数が死亡する状態)になり、脳全体が麻痺状態になると言われ、呼吸中枢(延髄)も危機的状態となることで、最悪の場合は死に至るということ。

大阪市消防局 鶴見消防署HPより
ここで重要なのは、「酒に強い体質」と「酒に弱い体質」とは全く関係がく、どこまでも飲酒量で決まる「血中アルコール濃度」の問題であるということだ。

閑話休題。

スポーツ一般に共通するが、本稿では、川藤幸三のプロ野球人生に貫流する、「体育会系」の行動体系について、日本限定で定義してみると、以下の5点に集約されると考えている。

  上下関係(権力構造)
  共有志向
  精神主義
  礼儀の重視
  組織依存性

以上の5点だが、この問題意識を持って、「体育会系」の極端な行動体系「体育会系原理主義」について、我が国の「野球文化」の体質を総括していきたい。





2  リアリズムなき「体育会系」の迷走






韓国との準決勝に敗れた挙句、マイナーリーグの選手で編成されているアメリカとの3位決定戦にも敗れ、メダルなしの4位という結果になる。

4勝5敗という信じ難い負け越しの成績を残して、「星野ジャパン」と称される、「野球」の国の「国民的球技」が致命的な様態を晒し、その後、元監督自身のブログの炎上に象徴される苛烈なバッシングを惹起させていった。

この「星野ジャパン」の本質を、どう把握したらいいのか。  

私はそれを、本稿の表題にあるように、「リアリズムなき『体育会系』の迷走」と把握している。

言葉を換えれば、「リアリズムの自己完結」が遂行されなかったということである。  それこそが、「星野ジャパン」の本質であった。

【目標設定 状況分析 戦略・戦術 万全の準備 総括・検証】―― この基本的な流れが合理的に進んでいくことによって、そこに一定の自己完結を結ぶとき、私はそれを「リアリズムの自己完結」と呼んでいる。  

半年にも及ぶペナントレースの場合には、徹底したリアリズムの方略ではなく、星野流の「情による管理」も奏功するだろうが、僅かなミスも許されない短期決戦においては、何よりも、「リアリズムの自己完結」の完遂のみが勝敗を分けると断じていい。  

では、「星野ジャパン」の場合、果たしてどうだったのか。

まず、「目標設定」について。  

これは、「金メダル以外いらん」と言い放った監督自身の言葉に象徴されるように、それが最大の目標であったとしても、この言葉は、既に充分過ぎるほど傲慢である。

単に、「金メダルを目標にして、チーム一丸となって頑張りたい」と言うだけでいいのだ。

日本代表選手発表の記者会見
その発言には、「北京五輪野球で、金メダルを獲る価値があるのは、『星野ジャパン』以外にない」という含みを印象づける奢りが潜んでいる。

相手を見縊(みくび)るメンタリティが、そこに踊り、舞い上がっているとさえ思われるから厄介なのだ。  

「状況分析」について言えば、コンピューターを精力的に導入した三宅博(元プロ野球選手で、阪神タイガースのコーチを経てスコアラー人生を送る)ら、名スコアラーが収集した、膨大な価値あるデータを生かし切れなかったのではないかということを言い添えておきたい。

次に、特定目標の成就のために、データ・戦力を効果的に運用する総合的なスキルであり、またその戦略に沿って定めた具体的手法が「戦術」であると把握した上で、精密な「戦略・戦術」の問題について言えば、私は、「星野ジャパン」のネックになっていたと考えている。

一言で言うと、パワーベースボール(ビッグボール)で立ち向かってくるに違いない敵に対して、我が国独特の「スモールベースボール」という「戦略・戦術」を採ったにも拘らず、この「チーム」には、専門分野における専門職による役割分担という、組織的な機能性・合理性・科学性が欠落していたように思われるのである。

三宅博
更に言えば、国際試合であればあるほど重要になる、「審判」という環境に合わせた「選手選び」(ストライクゾーンへの対応力のある選手を選抜基準にする)・「試合までの準備」・「試合運び」が決定的に欠けていたと言っていい。

特に、国際大会における審判諸氏に関する綿密なデータ収集を、名スコアラーに要請しなかったツケが、星野監督の執拗な抗議によって、審判を敵に回してしまった行為に繋がってしまったのである。

それ故にこそ、「リアリズムの自己完結」という把握の中の、「万全の準備」の不足の問題は看過できなかった。

限りなく、「最大集中力」に近い能力の発現を保障する状態を作り出すように努め、「最高身体条件」を保持するという最も重要な条件が、「星野ジャパン」の中で作り出せなかったこと ―― そこに、この「チーム」が組織としての効果的な能力の発現を妨げていた最大の理由があったと思われるのだ。

故障者続出のメンバー選考をしながら、「現時点で、日本の最強メンバーである」という会見をした監督の言葉に驚きを禁じ得ないのである。

「心の中が整理できていない」(上原浩治の言葉)選手を、星野監督はメンバーに選んだだけでなく、彼にクローザーの役割を期待していたのである。

上原浩治(右から2人目)
その上原浩治に対し、「1週間の合宿で、立ち直らせます」という、星野監督の自信に満ちた言葉が、いかなる根拠に基づくものなのか、一切不分明である。

まさに、その不分明さの内に、「精神主義」オンリーの「体育会系原理主義」の傲慢さが印象づけられてならないのだ。

「万全の準備」なしに、極めてハードルの高い、最高到達点に上り詰めることは不可能であるということ。

それを肝に銘じなければならない。  

そのためには、当然の如く、日本球界挙げての強力なバックアップが不可欠な要件になるだろう。

ペナントレースのほんの短い時間を特定的に切り取って、そこで切り取った分だけの熱量・技量・力量のみで、最高到達点への短縮ルートを手に入れられると思うのは傲慢の極みであると言う外ないのである。  

「日本が一番強い」という根拠のない過信のみで、同様に、最高到達点を目指して努力するライバル国をねじ伏せられると思うのは、あまりに安直な観念ではないのか。  

韓国に屈する「星野ジャパン」
「星野ジャパン」の自壊現象は、まさにその内側に、「闘争集団」としての万全の準備を怠った緩々(ゆるゆる)の精神構造に根差していると言えるのだ。

結局、「闘争集団」を率いるスタッフの「戦略・戦術」の甘さと、「万全の準備」への致命的怠慢 ―― 一切が、そこに集約できるとまでは言わないが、少なくとも、そんな初歩的なレベルの瑕疵(かし)を抱えたチームが簡単に勝てるほど、国際試合、なかんずく、オリンピックという特段にハードルの高いステージは甘くないということである。

 「万全の準備」―― それなしに、「リアリズムの自己完結」はあり得ないということに尽きるだろう。

従って、「星野ジャパン」は、残念ながら組織としての体を成していなかったということだ。

組織としての体を成さない集合体は「チーム」であり得る訳がなく、単に「プロの野球選手の寄せ集め」でしかないだろう。

そこには、「チーム」として有効に機能し得る、高度な「集団凝集性」(集団化された個人の能力の結晶性)が形成される余地などなかったのである。

ここに、無視し難いコメントがある。  

 星野ジャパン・帰国会見
「1年8カ月盛り上げていただき、期待され、期待に応えられなかったということは、本当に野球ファン、日本のスポーツファンに申し訳ないという思いでいっぱいです。だけれども、選手たちは日の丸を背負って、必死の思いで食らいついて戦ってくれた。画面を通じて皆さんも感じられたと思います。ただ、結果がこういう結果で、オリンピックの難しさというか、オリンピックでは強い者が勝つのではない、勝った者が強いんだということをしみじみと実感した北京でした。そういう意味では、たまたま日本の野球がこの時期、体調を含め、技術を含めベストではなかったと。それは監督である私の責任です。本当に皆さんに応援してもらいながら、こういう結果になったということは、責任者として大変申し訳ないと思います」(「スポーツナビ」HP 2008年8月25日付/筆者段落構成)  

以上のコメントは、「野球日本代表・帰国会見」における監督自身の言葉である。  

この会見の骨子を穿(うが)って読めば、「本来、世界最強であるはずの日本チームが敗北したのは、『たまたま日本の野球がこの時期、体調を含め、技術を含めベストではなかった』からであって、ベストの状態で戦えば、我が国が金メダルを獲得しただろう」という趣意のように聞こえる。

そこには紛れもなく、強がり以外の何ものでもない声高な把握が、なお、悠々と独歩しているのである。  

更に驚くべきことに、この監督は、この「帰国会見」の3カ月後に発表した公式文書では、以下のような反省的総括を鮮明にしたのだ。

「『気持ちの面で、弱い面が出た。選手たちは気を抜いて戦ったわけではもちろんないが、気持ちの部分で差があったかもしれないとも思う』と指摘。さらに『国際試合を多く経験する場を作ることで国際大会でも動揺することなく本来の実力が発揮できるような経験を積ませることが重要かと感じている』と記した。今後に向けては『この敗戦を糧に、次の国際大会(WBC)では選手が奮起してくれることを期待している』とした。星野氏はこれまで個人のホームページなどで敗戦の弁を述べてきたが、初めて公式文書での反省が明らかになった」(「サンスポ」 2008.11.27付)  


一切を、「気持ちの弱さ」の問題にあると特定しているのだ。

そのメンタル面の弱さを克服するには、「国際試合を多く経験する場を作ること」によって解決できると語っているのである。

無論、「気持ちの弱さ」や「国際試合の少なさ」という指摘には誤りがない、と私も思う。

しかし、それは問題点の全てを説明するものではないのだ。

このような思考の誤謬をクリティカル・シンキングのフィールドで、「滑り坂論法」(事態の悪化の原因を特定の因子に決めつけること)と呼んでいるが、「体育会系」の発想の色濃い星野監督の物言いには、この思考の誤謬が垣間見えるのである。

確かに、国際試合における日本人のメンタル面の弱さは、「ウィンプ系男子」(意気地なし=精神的脆弱さ)の増加とも相俟(あいま)ってか、年々、際立つほどの問題点になってきたとも思えるのは事実。  

それにも拘らず、「星野ジャパン」の敗退理由がそれだけで説明できないことは、先述した通りである。  

日本 オランダ戦(ウィキ)
以上の論考を総括する。

「星野ジャパン」の問題点の第一は、スタッフや選手の選考、プロ野球界の強力なバックアップの問題を含めた「万全の準備の決定的な欠如」である。

もう一つは、「リアリズムなき情感系采配」の問題である。  

詰まる所、「星野ジャパン」は、良かれ悪しかれ、この国の「体育会系」の性格・気質の集中的表現であったと思われるのだ。  

何より、この国にあって、「野球」という名で呼ばれるスポーツの拠って立つ基盤は、スポーツそれ自身の自然な展開の発露と言うより、そこだけは明瞭に、「青少年教育」のカテゴリーに内包される一種特異な何かであった。

この国では、「野球」という球技は、教育の簡便なツールとして存分に利用されたのである。  

以下、「この国で、『野球』とは何だったのか」というテーマで批評を繋いでいきたい。





3  「『野球道』という名のイデオロギー」を定着させた「飛田イズム」 ―― この国で、「野球」とは何だったのか その1





この国の「野球」を、「人間修業の道」と考えた一人の男がいる。

その男の名は、知る人ぞ知る、「学生野球の父」・飛田穂洲(とびたすいしゅう)。  

早大野球部の黄金時代を築き上げ、日本の学生野球の理念を定めた憲章・「学生野球の父」(当時、「学生野球基準要綱」)の作成に尽力し、アマチュア野球界に決定的な影響を与えた骨太の「水戸っぽ」である。

飛田穂洲(ウィキ)
その名を知らなくても、「一球入魂」(いっきゅうにゅうこん)という四字熟語を知らない人は少ないだろう。

その意味は、読んで字のごとく、「一球に精神を集中し、全力を傾注せよ」ということ。

既に、この言葉の中に、飛田穂洲の「精神野球論」のエッセンスが凝縮されている。

元々、この国でスポーツが普及していくベースには、武士道的な徳育主義を重視した一高的野球観(一高は、現在の東京大学教養学部)が濃密に含まれていた。

これが大学野球に進化を遂げていっても、武士道的な理念が温存されていった流れは、飛田穂洲の「精神野球論」によって裏付けられている。  

ここに、飛田穂洲の「精神野球論」の真髄ともいえる表現があるので、その一文を紹介する。  

「ベースボールを遊戯視した時代もあり、現在でも娯楽的に取り扱うものもあろう。野球の面白さ、それを一種の球遊びと考えるものがありとしても強いて異論をとなうる必要はないかも知れない。しかし吾々がしっかり抱いて来た真の野球というものは決して娯楽的に空虚な球遊びではない。  

(略)今日われらがいうところの野球には、精神がなくてはならぬ。ことに学生野球というものにあっては、厳然たる精神を持たなければ存在の意義を為さない。わずかに娯楽的のものに過ぎなければ、多額の費用を投じて野球部を支持するなどは、学校本来の目的上許すべくもないことである。  

(略)野球が好きだからやる、あえて苦痛を忍んでまでやる必要があるか、こうした事を考えるものがあれば直ちに野球部から追い出さねばならぬ。(略)学生野球は遊戯ではない。遊戯でない野球には堅苦しい約束があり、修行者はその約束を守って野球部のため粉骨砕身せねばならない。部長の命ずるままコーチの命ずるまま先輩の命ずるままに従ってグラウンドを馳駆しなければならぬ。各野球部にはそれぞれ野球部としての伝統があり、確立したる野球部精神がある。

(略)・・・精神団体として集まった野球部というものは、自然堅い約束がとりかわされ、すべてチームの指示するところによって行動しなくてはならない」(「飛田穂洲選集 野球読本 第四巻「精神野球」ベースボールマガジン社刊より ―― 昭和10年、「スポーツ良書刊行会」より「中等野球読本」として刊行された/筆者段落構成)  


「野球が好きだからやる」というモチベーションの者を、「直ちに野球部から追い出さねばならぬ」とまで言い切った男が、我が国で論陣を張った事実を、現代の「野球好きの青少年たち」の中で、果たして共有されているだろうか。

「野球というものは決して娯楽的に空虚な球遊びではない」と断じて止まない男の理論は、倫理学の範疇で語られる何かですらある。  

飛田穂洲という稀有なる人格にとって、「野球」とは既に、「道修行」の対象以外の何ものでもなかったのである。

だから彼は、思春期の盛りにある少年たちに対して、「天真無垢」のキャラクター像しか求めないし、そのキャラクター像の共有を、野球を愛する大人たちにも、同時に求めて止まないのだ。  

「天真無垢の少年がただ男らしい勝利に向かってまい進する実景に接しては、自然に心気清浄ならざるを得ないだろう。甲子園の観衆が非常に洗練されているのは純良な選手行動の感化を受けたこと甚大であることを否まれない。熱のない試合の行われているスタンドに悪やじの声の高いのは、選手そのものにも負うべき罪なしとしない」(同著 第五巻「穂洲庵独語」より)  

飛田にとって、「熱のない試合」とは、「娯楽的に空虚な球遊び」として野球に興じている者である。

飛田穂洲之像(茨城県)
そんな者が「悪やじ」を受けるのは、「選手そのものにも負うべき罪」であると言い切るのである。

しかし、「娯楽的に空虚な球遊び」として野球に興じている者を、どのような基準で特定し、評価するのか、全く不分明なのだ。

何もかも、「苦痛を忍んでまでやる」者たちとの、境界線が分らない相対的な尺度でしかないから、一切は、飛田穂洲の熱い思い=イデオロギーを信奉する者の主観でジャッジされるのである。

「甲子園」―― そんな飛田の熱い思いが、この「高校野球の聖地」に花開き、今なお「学生野球憲章」の前文の中に、脈々と受け継がれているのである。

以下、相当に長文な「学生野球憲章」のエッセンスの抜粋である。

「(略)学生野球は経済的な対価を求めず、心と身体を鍛える場である。学生野球は、各校がそれぞれの教育理念に立って行う教育活動の一環として展開されることを基礎として、他校との試合や大会への参加等の交流を通じて、一層普遍的な教育的意味をもつものとなる。

(略)本憲章は、昭和21(1946)年の制定以来、その時々の新しい諸問題に対応すべく6回の改正を経て来たが、その間、前文は一貫して制定時の姿を維持してきた。それは、この前文が、 『学生たることの自覚を基礎とし、学生たることを忘れてはわれらの学生野球は成り立ち得ない。勤勉と規律とはつねにわれらと共にあり、怠惰と放縦とに対しては不断に警戒されなければならない。元来野球はスポーツとしてそれ自身意昧と価値とを持つであろう。しかし学生野球としてはそれに止まらず試合を通じてフェアの精神を体得する事、幸運にも驕らず悲運にも屈せぬ明朗強靭な情意を涵養する事、いかなる艱難をも凌ぎうる強靭な身体を鍛練する事、これこそ実にわれらの野球を導く理念でなければならない』 と、全く正しい思想を表明するものであったことに負うものである。

(略)このような状況に対処するには、これまでの前文の理念を引き継ぎつつも、上述のように、学生野球の枠組みを学生の『教育を受ける権利』の問題として明確に捉えなおさなければならない」

この「学生野球憲章」に収斂される飛田の熱い思いは、この国の敗戦によって、より強靭な「思想」として、猛々しく結ばれていく。  

「戦に負けたのだからと、諦観すれば、それも一応はうなづけるであろう。しかし、日本人三千年の教養が、一敗地にまみれただけで跡形もなくなってよいであろうか。戦争は呪わしいものであろうが、吾々は、悲運戦禍の中に翻弄されたけれども、敗れてなお且つ日本人の矜持を失いたくない。敗戦を生かして、一種の教訓とし、新しい人生を創造せんために、今後日本の生くべき道を探求せんことに、努力傾倒しなくてはならぬと思う。(略)本来の熱情をそのまま新日本の生くべき道を樹立せん為に、勇往邁進すべき心構を十分にして、ヒットを打たなければならぬ。それが青少年のとるべき唯一の道なのである」(同著 第五巻「進め!野球の大道へ!」より)  

「進め!野球の大道へ!」という表現は、殆どアジテーションのそれに近いものである。  彼は一人のアジテーターとなって、この国の戦後の「野球道」を鼓舞して止まなかったのだ。


然るに、彼はポップフライを打ち上げた打者や、スローカーブを投げた投手を、精神が欠如した選手として痛罵(つうば)した。  

「飛田イズム」と呼ばれる、この驚嘆すべき「道修行」である「野球」というスポーツは、他のスポーツのそれを凌駕(りょうが)するかのような、激越な練習至上主義を生み出した事実は否めないだろう。  

今日では、スポーツ科学でも否定されているノードリンクのランニング漬けや、非合理的な兎跳びと、過剰な腹筋に代表される、かつての野球少年たちの定番的な練習メニューを貫流するのは、「精神が野球を作る」という徳育野球の中心的なイデオロギー以外ではない。  

殆ど解説の余地のない「飛田イズム」の輪郭は、そのシンプルで激越な表現によって、「野球」に馴染んでいない人たちにも理解されるだろう。  

しかし、この個性的な人物の人となりを受容できても、その野球観まで受容できる人は、さすがに少ないに違いない。

なぜなら「飛田イズム」とは、紛れもなく、「『野球道』という名のイデオロギー」であるからだ。

イデオロギーの濃度の高い、「イズム」に対して敬遠する人が多いという一点にこそ、常にどこかで、「曖昧さ」に振れていきやすい心理傾向を持つ、我が国の「日本教」的特徴が内在するからである。  





4  「飛田イズム」の焼き直しとしての「島岡イズム」の結晶点 ―― この国で、「野球」とは何だったのか その2





島岡吉郎・「おんりい・いえすたでいHP」より
「精神主義」と「徳育思想」が結合した、「飛田イズム」のエッセンスを抜本的に変えないで、そこに「年次主義」や「教育的体罰論」、「形式主義」、更に「包容力のある情実」等が絡み、そのイデオロギー色を通俗性の内に幾分脱色させ、人間味の濃い関係密度を高める方向に、ホモソーシャル的(男同士の連帯感)な「体育会系」(「体育会系原理主義」と言ってもいい)を立ち上げていくと、星野仙一監督の恩師であり、「御大」と呼ばれた島岡吉郎(きちろう)の「人間力野球」に昇華されていくのであろうか。  

旧制豊山中学(現在・日本大学豊山高等学校)に入学したのも束の間、同校の物理学教師への暴力事件で放校後、学校を点々とした末、明治大学に入学。

明治大学で応援団長として活躍し、卒業後、会社勤務を経て、海軍特務機関員としてマカオに駐在。

戦後、明治大学野球部の監督に就任して以降、就任早々から部内の意識改革や設備の充実に着手し、強固な「体育会系」の結晶点である「島岡イズム」によって、繰り返し優勝を遂げ、中断期間を挟みつつ、1989年4月11日、77歳の時、春季リーグ戦の開幕直後に逝去する。

こんな波乱万丈の人生を送った、故島岡吉郎について書かれた一文を紹介する。

著者は、島岡御大の側近中の側近と、自他とも認める大渓弘文(おおたにひろふみ)。

「御大は物事の形を重んじ、事を起こすのにまず先に形から入ります。ハシの上げ下ろしから挨拶の仕方、ユニホームや布団のたたみ方は言うに及ばず、トイレ掃除、風呂の焚き方まで事細かく学生に指導します。しかもそれらの作業は『上級生が率先して当り下級生に範を垂れる』ことが明大野球部の鉄則です。この指導は練習にも開始時刻の厳守から後片付けまで徹底して貫かれます。しかし、何と言っても御大が重んじた“形”というのは、練習につぐ練習――『猛練習そのもの』こそが究極の『かたち』だったように私は感じます。  

(略)今でも、『投げれば投げるほど』方が強くなるという指導法と、投手の肩は消耗品で『過重に投げるべきではない』という指導法があります。私はその指導法の是非ではなく、それを通じて『強靭な精神力』の培養を御大は求めたのだ、と推測します。一日1000球ピッチング練習と簡単に言いますが、ざっと5時間はかかります。一人で黙々と投げ続けるうちに、周囲の状況も分からなくなるほど孤立感に襲われます。こうしたなかでの肩の強靭さよりも、マウンド上でピンチに動じない強靭な精神力が培われるわけです。谷口さんからの指導法を御大なりに理解して実行したんでしょう。  

(略)明治大学時代でも、今の作新学院大学でもそうなんですが私は技術的なものはほとんど教えていません。プロもそうなんですが指導が『技術に走る』とみんな大失敗する。私たち指導者が胸を張って威張れるのはむしろ『教えていない』ということかも知れません。つまり、いい指導者とは『自分が自分のために最大限に研鑽を積むことができる人間を育てる』ことなんです。これは私が島岡御大から学んだ『教育理念」』です。  (略)したがって、御大自身は高田繁にも星野仙一にも広沢克己にも技術的には何も教えていない。ただ礼儀とか挨拶ということは体が覚えるまでやかましく言った。人間として礼儀も知らず未熟な者が『うわべだけの技術』を得ようとしても、それは一時的なもの。まず野球をする前に人間を磨け!自分を磨け!と」(『今、ここを生き抜く――明治大学野球部監督・島岡吉郎の遺言』大渓弘文著 日刊ゲンダイ発行出版所)  

「トイレ掃除、風呂の焚き方まで事細かく学生に指導します。しかもそれらの作業は『上級生が率先して当り下級生に範を垂れる』ことが明大野球部の鉄則」という指導方法論は、「年次主義」の逆バージョンであって、当然の如く、「年次主義」の否定などではあり得ない。  

ここで紹介される事例は、「飛田イズム」の焼き直しでもあり、むしろ、それを強固な「体育会系」に結合させた「島岡イズム」の結晶点であると言っていい。  

「島岡イズム」の戦略的成功は、「恐怖」と「包容力のある情実」による徹底した組織管理の人心掌握法にあった。

明らかに、右翼思想(明大在学中は応援団長、後に海軍特務機関員)をベースにする「教育主義的体罰」の手法は、権力関係の堅固な形成なしに具現し得ない、相当に肉食系濃度の色濃い、非合理的な「体育会系原理主義」の様態を身体化するように見えるのだ。  

島岡吉郎・「アマナイメージズHP」より
高度成長の時代下にあって、未だ「怖い大人」が散在していた中で、学生運動の激しいうねりとは無縁に、このように自らを叱咤し、檄を飛ばす火の玉のような頑固親父が、大学野球部を仕切っていたのである。  

その命令一下で、競争社会の中で揉(も)まれた、ある意味で打たれ強い団塊世代の若者たちは、鉄拳制裁を受けながらも、人情深い男の指示に従い、時には、左翼学生と暴力沙汰を惹起させながらも、その豊かな才能をプロの世界の内に投げ入れていったのである。  

星野仙一もまた、その一人だった。  

そして、この星野仙一ほど、「島岡イズム」の継承者として相応しい野球人は存在しなかったと言っていい。





5  「島岡イズム」を継承し、「情」による采配を止められない男 ―― この国で、「野球」とは何だったのか その3





星野仙一は、指導者としての能力を買われて、引退後、40歳の若さで中日の采配を振るって以来、その間、3度のリーグ優勝を果たし、2013年の巨人との日本シリーズを制覇し、楽天初と同時に、自身初の日本一になった。

鉄拳の恐怖を越えて、憎き巨人戦で見事な完封勝利を果たした若い投手を、人前も憚(はばか)らずに抱擁する男の監督術は、まさに、「恐怖」と「包容力のある情実」という「島岡イズム」譲りの人心掌握の妙を体現するものだった。  

男は率直に書いている。

「誰に対しても『わかりやすい存在』でなければいけない。是々非々を徹底的に。基準はひとつ、いいか悪いか。点火のためには、時には殴る、それがどうした。『怖さ7割・やさしさ3割』でちょうどいい」

著書の名が「星野流 世界文化社」であることから、言うまでもなく、この男の名は星野仙一監督その人。


このような人心掌握術にケチをつけるつもりは毛頭ないが、この国の野球文化を通して、連綿と受け継がれてきた人心掌握術の主潮の一つである事実は否定できないだろう。

「島岡イズム」の内に継承された「飛田イズム」をルーツとする「星野イズム」は、さすがに、「進め!野球の大道へ!」と叫んで、「大時代(おおじだい)な台詞」とは無縁であり、ポップフライを打ち上げた打者や、スローカーブを投げた投手を、精神が欠如した選手として痛罵(つうば)するアジテーターでは無論ないが、良かれ悪しかれ、先述した「体育会系」の全ての要素、即ち、「上下関係(権力構造)・共有志向・精神主義・礼儀の重視 ・組織依存性」という臭気を放っているのは事実である。

楽天での日本シリーズ初制覇がフロックであると言い切るのは酷だが、少なくとも、プロである一人前の大人の選手に対する、このような暑苦しくも皮膚感覚的な方法論は、長いペナントレースでは有効だったかも知れないが、小さなミスがシリーズの流れを変える怖さを持つ短期決戦の日本シリーズでは、あまり効力を持ち得ないように思われる。

精神面のシンプルな管理の範疇を越えて、短期決戦に惹起する様々な「偶然性」に対して、その度に、そこで出来した「未知の状況に見去った合理的な戦術を、高度な知的判断によって駆使する柔軟性」がなければ、恐らく、短期決戦を制することなど困難であると思えるからだ。  

前述したように、短期決戦であった北京五輪で、「星野ジャパン」が完膚なきまでに破れたのは、ある意味で必然的だった。  

辛辣に言えば、「島岡イズム」の継承者としての星野仙一という男には、「未知の状況に見去った合理的な戦術を、高度な知的判断によって駆使する柔軟性」に欠けていたか、或いは、その必要性を認知しながらも、「自分のやり方ではない」と括って、敢えて、その手法を選択しなかったと思われるのである。  

なぜなら、「自分のやり方ではない」と括っているほどに、「未知の状況に見去った合理的な戦術を、高度な知的判断によって駆使する柔軟性」を持ち得るには、それを自家薬籠(じかやくろう)中の物にしていなければ不可能であるからだ。  

アンケートより
馴れない戦術を選択して「大失敗」するよりも、たとえ、その手法が多大なリスクを伴うものであると感受しつつも、「自分のやり方」を貫徹したときの失敗の方が、自我に与えるダメージが少なくなるのである。

だから、その失敗を、「大失敗」と把握せずに、「やるだけやったのだから、仕方ない」という心理の内に希釈化させることができるのだ。

それ故に、多くの人は、しばしば、同じ失敗を繰り返すのである。

「失敗は失敗のもと」なのだ。  

韓国との「天下分け目」の準決勝戦において、星野監督は同点機で、あろうことか、リリーフの失敗を繰り返していた岩瀬投手を起用するという決定的なミスを犯してしまったが、その心理も以上の把握で説明可能だろう。  

勝敗を決する決定的な局面においても、「情」による采配を止められないのは、本人の顕在化した意識とは微妙に隔たって、実は自我防衛の方略でもあったということだ。

「失敗は失敗のもと」という教訓を学ぶことの難しさもまた、私たちの自我防衛の見えない戦略であるとするなら、既に、それ以外にない辺りにまで形成化された自我を組み替えていくのは殆ど困難であるか、それとも、血を吐くほどの自覚的努力なしに再構築するのは不可能と言えるのだろう。

人間の心の問題の復元力には、臨界点があるということなのか。  

ともあれ、岩瀬起用に象徴される星野監督の采配の偏向性は、「これが俺のやり方だ」という心理的な逃げ場を確保することで希釈化され、最後まで軌道修正されることなく、澱んだ流れの中で貫徹されていったという印象が強いのである。

岩瀬起用・「今日の出来事ロジーHP」より
短期決戦における困難極まる戦いへの、より柔軟な対応力を微塵も保持することなく、「星野ジャパン」は北京の夏に散っていったのである。





6  メンタル面の脆弱さに収束させてしまう「滑り坂論法」の議論の怖さ ―― この国で、「野球」とは何だったのか その4





私の中に、とても印象深いテレビ画像がある。  

「星野ジャパン」について特集を組んだ、NHKテレビのドキュメンタリーの一齣(ひとこま)である。  

「星野ジャパン」に参加予定の選手の自宅に電話し、「出るのか、出ないのか、どっちだ」などという口調で、監督自身が相手の意志を確認していた。

相手の選手は、性急に迫る上司に対して、殆ど間髪を入れず、「はい、出ます」というような反応を返していた。  

しかし、私が見る限り、それは殆ど恫喝と言ってよかった。

なぜなら、そこには、恰も二者択一の選択肢が存在するように見えるが、実際の所、「はい、出ます」という答え以外の選択肢は存在し得ないのである。

そこに、明瞭な権力関係が成立しているからだ。  

この国の野球界で、メディアの強力なバックアップも手伝って、甚大な影響力と絶大な権力性を持つことが、自他共に認知されているかの如き風潮があり、且つ、そこに「体育会系」の風土に馴染んだ者の自我に張り付く上下意識が規定する関係性が破綻していない限り、そこで形成されている権力関係の見えない呪縛の中では、上位に位置する者からの、それ以外の答えを持ち得ない発問に対する反応は限定的であると言う以外にないのだ。

「出るのか、出ないのか、どっちだ」という口調で言われ、不本意ながら出場することになった選手の成績が悪かったとしても、その不調を絶対に転嫁できないので、「お前が自分の意志で選択したんだろ」と釘を刺されれば、もう、一切が「自己責任」の問題にされることが自明であるが故に、権力関係の見えない呪縛が解けない状態が定着してしまうのである。

そこに、可視的な権力を背景に、不可視的な「自己権限の範囲」といった、「見えない縄張り」が作り出されてしまうのは、「体育会系」の風土の極めて特徴的な構造であると言っていい。

「星野ジャパン」という、自らの名を被せたチームの選手を招請する際、件の監督は、既に「島岡イズム」を貫徹させていたということだ。

大体、選手のコンディションへの総合的で精緻な客観的評価よりも、「出る気」の有無を重視する発想自体が、充分に「島岡イズム」の踏襲以外の何ものでもないだろう。  


もう、その時点で、紛う方なく、「リアリズムなき体育会系組織」の欠陥が露呈されていたと言える。  

これまで言及してきたように、そんなスタッフが堅固な「戦略・戦術」を構築し得ず、「万全の準備」の不備のまま、「金メダル以外いらん」と言い放ったビッグイベントに「恐怖突入」していったのである。  

その結果は、殆ど約束されたラインをなぞったものになったのは、言うまでもなかった。  絶対に使ってはならないと思える選手を、絶対に使ってはならないと思える決定的局面で起用し、「これが俺のやり方」という、「リアリズムなき体育会系組織」の手法を最後まで軌道修正できずに、「もう一度、チャンスを与える」という「情」によるモチーフによって貫徹してしまったのである。  

ところが、相も変わらず、件のスタッフ(大野豊投手コーチ)は、「共同記者会見」の場で、「技術とか体力だけじゃない、目に見えないタフさ、力強さが身についてくれればなという思いが強いです」と説明し、単なるメンタル面の問題という把握によって敗戦の弁を語ったのだ。

「バッティングコーチの私の役目として、国際試合の一つのフォアボールであり、1本のヒットであり、ここで1点取るという気持ちが出てこなかった」(田淵幸一ヘッド兼打撃コーチ)  

左から大野豊投手コーチ、田淵幸一ヘッド兼打撃コーチ、山本浩二守備走塁コーチ(右)
これも、「気持ち」の問題で「因果関係」を特定したコメント。

確かに、コーチたちの発言は誤った把握ではない。  

しかし、メンタル面の脆弱さを、今更のように指摘することに、一体、どれほどの意味があると言うのか。

そんなことは、最初から分っていたのではなかったのか。

だからこそ、そのようなメンタル面の脆弱さを、重要なゲームで露呈させない「戦略・戦術」を合理的に導き出す方法論を紡ぎ出し、それに則った指導を貫徹すべきだったのではないのか。

むしろ、その指導の「万全の準備」を怠った責任こそ総括し、自己批判すべきだった。  一切を、メンタル面の脆弱さに収束させてしまう「滑り坂論法」の議論の怖さの内に、「リアリズムなき体育会系組織」の最大の問題点があると思われるのだ。  

幸いなことに、この検証困難な指摘の部分的誤謬は、翌年に開催されたWBCの優勝によって一定程度証明された(「星野ジャパン」の選手が多数参加)ので、あえて声高に、「リアリズムなき体育会系組織」の偏頗(へんぱ)性・狭隘性についての瑕疵を指摘する必要もないのだが、少なくとも、私権の拡大的な定着とストレス耐性の不足によって、「ウィンプ系男子」(弱虫)の一般化現象に歯止めが利かなくなっている事態を目の当たりにするとき、もう、「マッチョ系男子」への求心力効果としての「リアリズムなき体育会系組織」それ自身の破綻を、否が応でも認知せざるを得なくなっているようである。  

思えば、「星野ジャパン」の戦いの中で顕著になった事態の一つとして、同情すべき点が見られたとは言え、同じミスを繰り返した選手(GG佐藤)に対して、彼の所属球団の監督が、「メンタルケアが必要だな」などという発言を生み出してしまうほど、花形のプロスポーツのフィールドにあってさえも、「マッチョ系男子」の体裁を繕(つくろ)うことにストレスを感受してしまう、この国のスポーツ文化の変容のさまに、改めて驚きを禁じ得ないのである。  

GG佐藤
だからこそと言うべきか、そのような「ウィンプ系」化の現実の様態を明瞭に認知した上で、例えば、北京五輪について言えば、馴れないポジションを守らせないなどというような配慮をすることなどで、出来得る限り、選手個々の中の見えにくい脆弱な部分を、重要な戦いのステージの場で発現しないで済む戦術の工夫が求められるのであろう。  

参考までに、「星野ジャパン」に言及した、野村克也(当時、楽天監督)の分析を紹介する。  

「『恐怖で動かす』タイプの代表といえるのは、もちろん星野仙一である。星野を前にすると、選手は『やらねば怒られる』という気持ちを抱くに違いない。はっきりいえば、『やらなければぶっとばされる』という恐怖感である。星野が阪神の監督になったとたん、緩みきっていた阪神のムードが一変したと感じたのは私だけではないだろ。場合によっては、鉄拳も辞さない星野の怖さが、選手たちに緊張感を与え、やる気を引き出したのである。

どんな指揮官であっても、選手時代に薫陶を得た監督の影響を受けるものだ。星野は明治大学での四年間を、厳しいことで知られる故島岡吉郎監督のもとで過ごした。そこで人を動かすにはまず『怖さ』が必要だと悟ったのではないか。最初にガツンとかますことで、いわば選手の意識改革を促すのである。

ただし、星野が偉いところは、恐怖だけ終わらない点にある。恐怖を与えつつも、『情感』にもあふれているのだ。これも『人間野球』を指導の基本にしていた島岡さんを見て学んだことだろう。失敗して叱った選手には、必ずもう一度チャンスを与えるのは、北京オリンピックでリリーフに失敗した岩瀬仁紀を使い続けたことに現れているだろうし、選手の夫人の誕生日には花束を贈ったというのも有名な話だ。また、KOされたピッチャーやスランプに陥った選手には『気分転換してこい』とポケットマネーを差し出すこともめずらしくなく、中日の監督時代は活躍した選手には報奨金を与えたという。

(略)『報酬』も巧みに使っていたわけだ。そしてなにより、星野は年長者に非常にかわいがられ、人脈も幅広い。したがって卓抜した政治力を有している。私にはできなかった補強を次々に成功させ、阪神の環境を一変させたのは、この星野の政治力によるところが大だったと思う。


「恐怖で動かす」タイプの代表である星野監督は、その政治力の卓抜さを利用して、ゼネラルマネージャーに向いているかも知れないが、「島野育夫というヘッドコーチを置き、現場の細かい采配などは彼に任せていたようだ」という言葉に集約されているように、「名参謀を必要とする」星野監督は、その名参謀なしにゲームをリードできないという点において、暗に、監督としては不向きであると言っているのである。

そして、その名参謀を特定的に選択・招集できなかったことが、北京五輪の最大の敗因と、野村監督は分析しているのである。  

私自身、野村監督の分析を認めつつも、「名参謀の不在」が北京五輪の最大の敗因と考えていない根拠は、名参謀・島野育夫が存在したはずの日本シリーズ(中日ドラゴンズ・阪神タイガース時代)で敗退してしまった事実を重視するからである。

亡・島野育夫コーチ
結局、短期決戦という特殊な状況下での戦いにおいても、「失敗して叱った選手には、もう一度チャンスを与える」という、「星野流」の采配の拠って立つ精神的基盤の根深さは、状況に応じて柔軟に対応し得る範疇に収斂されないからなのだ。  

つくづく、「自我の拠って立つものの強靭な幻想の壊れにくさがあるからこそ、人間が生きていける」いう「真理」を、切に実感する次第である。





7  「体育会系」から「知的体育会系」への風景の遷移 ―― この国で、「野球」とは何だったのか その5






更に、学生時代から「体育会系」と馴染まず、日本ハムとの日本シリーズ第5戦において、完全試合目前の山井大介投手を、クローザーの岩瀬仁紀投手に継投させる采配をして、賛否両論を巻き起こした一件に集中的に具現されているように、一貫してリアリズムの指導に徹するように見える落合博信監督(当時、中日ドラゴンズ)。

この二人に代表されるように、右翼思想をベースにする「島岡イズム」の継承者としての、星野仙一のようなタイプの監督は、昨今の野球界では、「スノッブ効果」的な希少性の価値しか持ち得ず、「ゆとり世代」の若者を相手にする現場監督にも、より時代の空気に合わせた指導理論の出現が喫緊のテーマになっているということなのだろう。

現在の野球界には、個人プレーの余地を多分に残すが故に、ゲームでの自由の幅が大きいサッカーの一定の人気の継続性を例に挙げるまでもなく、「包容力のある情実」による人心掌握的効果を交えながらも、本人基準限定のルール違反者には鉄拳制裁をも辞さないという、「島岡イズム」的な「体育会系原理主義」の有効性を疑問視する傾向が、いよいよ増幅されてきて、もう、このような大時代的な「マッチョ系の文法」が通用しない風潮が定着していくに違いない。  

以下、参考までに、大学の「体育会系」のクラブの衰退を伝える専門家の簡単な報告を紹介する。

「大学生のスポーツ段階をどう見るかということですが、体育会系のクラブが衰退し、それに対して同好会だとか各種のニュースポーツを、大学内外でやるというものがかなり活発になっているという現象が指摘されてから久しいと思います。そして特に少子化、スポーツの多様化の中で、体育会系の部活動に加わるという人が減るという傾向がますます強まっていると思います。

おそらく、小・中・高からの経験者にしても、いわゆる『燃え尽き症候群』という形で燃え尽きてしまったり、あるいは、大学のクラブの体質がイヤだということで、大学で担い手になるということがないのではないかと思います」(「講演『変革期における青少年スポーツのあり方』大阪経済法科大学法学部教授日本スポーツ法学会理事 中村浩爾 」/筆者段落構成)  

体育会系クラブから、自由な空気感の漂う同好会やニュースポーツへのシフトの広がりの中で、濃密な関係性よりも精神主義・年次主義やホモソーシャル的な縛りから解放された、軽量感のあるスポーツ文化を自分なりのペースで楽しむ時間を充足し、自己完結していく。

もう、それで充分である。

以下、少し長いが、幾つかの大学運動部を、そのHPから紹介する。  

慶應義塾大学医学部空手部
「医科系の空手界では我が部はビッグな存在で、各種の競技大会でたびたび組手や形の優勝をしています。勝利を収めることも大切ですが、医学部空手部を通して、部員達に経験してもらいたいと思っているのは次の3点です。

1 物事の本質を見極め、何が必要か考え、行動する事。
2 礼儀と他人に対する思いやり。
3 空手が上達する楽しさ。

能率良く上達する練習を心がけています。初歩の初歩からやっています。経験者はもちろん、運動が苦手な人にも私達の道場の入り口はいつもワイドオープンです」(「慶應義塾大学医学部空手部」HPより)  

次に紹介するのは、東大バスケットボール部。

東京大学 男子バスケットボール部
「運動会と聞くと皆さんは『ちょっと』と思うかもしれませんが、その必要はありません。バスケ部員はとても仲が良く、それでいてコートに立てば真剣に、厳しく練習しています。

東大のバスケットボールとは:東京大学は関東大学リーグの3部の上位に位置しています。関東大学リーグには120校以上の大学があり、3部の上位というのはその中での20位程度にあたります。関東大学リーグは全国1レベルの高いリーグであり、東大より上位の大学は全国の名だたる高校からのスポーツ推薦やセレクションによる選手で固められています。

東大は推薦もセレクションもない大学の中で無類の強さを誇っており、推薦のない大学が推薦で集められた強豪の大学に立ち向かい、打ち破っていくことは東大バスケ部の大きな魅力であると言えるでしょう。

しかし、そのようなレベルの高いリーグで勝つという事は簡単ではありません。東大バスケ部にはバスケが上手くなるための方法論が確立されていますし、わからないことはみんなで1から教えます。身長などの体格差も、頭をフルに使い、どんなプレーをすればよいか、そのためにはどんな練習をすればよいかと考えることによって補われています」(「東京大学」HPより)

今度は、東大少林寺拳法部。

東大少林寺拳法部
「少林寺拳法を知っている人が少ないということは、やっていた人も少ないということに他なりません。大学から始める人がほとんどなので、スタートラインは同じ。運動経験が無いという人でも安心して始められます。大会は段位によって分かれて行われるので、新入生のうちから日本武道館で活躍できるのも大きな魅力です。

運動部と言うと『練習がキツそう』というイメージがつきものですが、練習は駒場で週3回、2時間だけ。科学的で合理的な練習が、国際的にも有名な少林寺拳法本部指導員である眞田監督7段の指導のもとで行われております。大会で非常に優秀な成績を収めている、と言う事実にご注目ください。

来たれ、老若男女。

我が部の大きな特色として、部員の多さが挙げられます。これは多様性の表れでもあります。新入生が入ると100名以上になる大きな部であり、OB・OGは700名にものぼります。少林寺拳法と言う1つのものを共有しながら、個性あふれる人間たちが結びついているのです。純粋に強くなりたい人、人間関係を築きたい人、体を動かしたい人、どんな動機でも構いません。まずは気軽に練習をのぞきに来てください。そこにはあるはずです。あなたのニーズに適うものが。あなたの感覚に訴えるものが。あなたの居心地のいい空間が。そして、あなたの未来が」(「東京大学」HPより)  

以上の中で注目したいのは、「慶應義塾医学部空手部」HPにある、「物事の本質を見極め、何が必要か考え、行動する事」・「空手が上達する楽しさ」というアピールポイント。

更に、「東京大学」HPにある、「身長などの体格差も、頭をフルに使い、どんなプレーをすればよいか、そのためにはどんな練習をすればよいかと考えることによって補われています」という自己PRの一文。

とても共感する。

ここには、明らかに、「体育会系」・「体育会系原理主義」と一線を画する、現代の大学運動部の風景の一端が垣間見える。

それは、アマチュア、プロを通して顕在化している、「体育会系」のクラブの衰退の危機を埋めるに足る、有価値の可能性を示唆する大学運動部の風景の変容へのメッセージであると言っていい。

私はこのような傾向を、「体育会系」から「知的体育会系」への遷移という風に把握したい。

「知的体育会系」 ―― それは、不断に思考を欠かさずに動いていく、能動的な「実践知」の指導者像というイメージとして把握されるビジネス用語であるが、私はこの言葉に、自分流の解釈を付与している。

即ち、「知的体育会系」の指導者像とは、「合理的思考性」・「根拠が明瞭化された実践力」・「覚悟と決断力を併せ持つリーダー性」・「目標実現のプロセスでの誤謬の修正力」・「組織内部の相対的な柔軟性」・「偏狭性を排した集団凝集性の形成」等の概念に収斂される、「リアリズムの組織集団」というイメージである。  

ここで言う「偏狭性を排した集団凝集性の形成」とは、一致団結して目標に向かって進んでいく組織としての「チームビルディング」を構築していくことである。

他の要素と濃密に絡み合って形成される、この「チームビルディング」の構築なしに、「物事の本質を見極め、何が必要か考え、行動する」という「合理的思考性」をフル稼働させる、「リアリズムの組織集団」の立ち上げが困難であると、私は考える。

また、「実践知」は詰まる所、「合理主義」・「状況分析力」・「万全の準備」・「柔軟性」・「リアリズム」・「情報の共有」・「客観的な総括・反省力」という概念の重要性に収斂されることになるだろう。

私が言う所の、「リアリズムの自己完結」である。  

恐らく、このような思考様式を持ち得ない指導者は、厳しい競争の中で淘汰されていくだろう。  

難しい時代の中の、野球界の新しい指導者像も、その辺りのメンタリティとは無縁に立ち上げられていかないとも思われる。  

その意味で、身内からではなく、日本チームが勝つための最も強力なスタッフを整え、万全の準備で臨んだ結果、WBCの連覇を果たした「サムライ・ジャパン」(チームに個人名をつけない、このネーミングはいい)の軌跡は、この国が向かうべき新しい組織像・リーダー像を示唆するものになっていたと言っていい。

多くの監督経験者が辞退した末に選ばれた原監督が、「サムライ・ジャパン」の顔ぶれが決まったときの会見は感銘深いものがあった。

原監督は、こう言い切ったのだ。

「本当の意味でチームが結成された。監督、コーチ、選手と、いろんな意思が重なり合う。その中からいい選択をして、いいチームになっていきたい。強いチーム、勝つチームをつくる。この一点に集中してスタートしたい」(「産経ニュース」2009年2月22日付)  

この言葉は決して厭味に聞こえないので、その時点において、戦略的にも、「チーム」への求心力を高める決定力を持つ言葉になったと言える。  

「リアリズムの自己完結」を遂行したように見える、「サムライ・ジャパン」の粘り強い戦いは、既に原監督の、それ以外にない明瞭な監督受託表明と、その後の完璧なスタッフ編成、更に、選手選考のプライオリティの筆頭に、コンディションの問題を最優先に挙げたことのプロセスの中に、「サムライ・ジャパン」の快進撃が約束されていたと思えるのだ。  


「サムライ・ジャパン」は、その本来のサイズが小さくとも、連覇というハードな最大目標に向かう、目眩(めくるめ)く風景の異なる変容の航跡を通して、確実にステップアップを図っていくに足る、一つの強固なチームになり得たのである。  

要するに、「サムライ・ジャパン」は「チームビルディング」を構築し得たからこそ、困難な目標を達成するに至ったということではないか。

「チームビルディング」を構築し得た「サムライ・ジャパン」と、最後まで「チーム」としての最強の機能集団を形成し得なかった、「星野ジャパン」との差は歴然としていたのである。



(注)「二軍の選手の場合は、野球選手としてのスキルを伸ばす前に、まずは社会人としての常識を身につけてもらわなければならない。そのため、厳しく接する必要も出てくるでしょう。しかし、一軍のグラウンドはビジネスマンの仕事場と一緒。とにかく野球という仕事において、自分の力を伸ばす場所です。その点を踏まえると、どうすれば選手がいいパフォーマンスを見せてくれるかを考えたとき、結論は明白でした。『ミスには寛容に、のびのびとプレーさせれば選手は伸びる』。自然とそのような考えを持つに至ったのです」(「寛容力~怒らないから選手は伸びる」(講談社刊)より




(2017年2月)



0 件のコメント: