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金メダルを獲得した日本女子団体パシュート |
そこで作られた新種のスポーツは、時代の鮮度が削(そ)がれることがないように、万全のルールを作り、「より面白く」・「より緊張感を保証」し、観る者と一体化する競技を構築していく。
「競争性」と「偶発性」によって成る近代スポーツの本質である、「競争的偶発性」の純度を高めるまで構築されていくのだ。
かくて、鮮度の高い競技に観る者を釘付けにする。
大脳辺縁系が感受した刺激的情報が、瞬時に、間脳に位置する視床下部に伝達されるや、副腎髄質ホルモンが分泌される。
また、副腎皮質刺激ホルモンも分泌され、コルチゾール(脳の海馬を萎縮させる)という「脳内ホルモン」=神経伝達物質に伝達され、血糖値を上げることで身体運動を活発にさせていく。
交感神経が振戦(しんせん・震えのこと)を起こし、消化機能を停止させ、膀胱を弛緩(しかん)し、心臓の心拍数を高め、血圧を上げ、瞳孔を開かせ、筋肉を刺激し、血糖値を上げることで身体運動を活発にさせていくのだ。
感情の生理過程に収斂され、自律神経系(特に交感神経系)の活動によって生み出される現象は、人間の体内の本能的構造の所産である。
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自律神経の基礎知識 |
考えてみると、多くのアスリートにとって、競技そのものが恐怖=「脅威的状況」なのだ。
ここで、私は鮮明に想起する。競技そのものが、恐怖=「脅威的状況」に囲繞されたアスリートのことを。
高梨沙羅は、シーズンごとの大会・スキージャンプ・ワールドカップでは勝利を重ねている一方で、オリンピックや、オリンピック以上に選手から重要視されていて、隔年開催の「世界選手権」(実力者が優勝するビッグイベント)といった大舞台(おおぶたい)で結果を出せないのだ。
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4位に終わった「ソチ五輪」 |
この「ソチ五輪」から、向かい風ならポイントを引き、追い風だと加算する「ウインドファクター」(距離が出にくい追い風の不利の解消を失くすため)が導入されていたが、高梨のジャンプは「ウインドファクター」の加算点を考慮しても、メダルに届かない失敗ジャンプだった。
明らかに、高梨の「メンタル面の脆弱さ」が露わになった失敗ジャンプの現実は、推して知るべしという印象を拭(ぬぐ)えなかった。
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4位に終わった「ソチ五輪」 |
ワールドカップ通算53勝・歴代最多タイ記録保持者という、目が眩(くら)むような「単独行」の輝きが、「平昌五輪」が待つ2018年のシーズンに入るや、自家薬籠中の物(じかやくろうちゅうのもの)であったはずのリレハンメルでのワールドカップでは3位に留まり、結局、国内での札幌大会での2位が最高成績だった。
共に、一気に力を付けてきた欧州勢である。
そんな強敵揃いの中での、「平昌五輪「」の銅メダル。
今回もまた、「ウインドファクター」に翻弄され、刻々と天候が変わる苛酷な〈状況〉下で、「五輪」という魔物が棲む「戦場」が醸し出す、一種異様な空気に搦(から)め捕られつつ、必死に踠(もが)きながら、どうしても手に入れなければならない「特別の価値」を奪い取ったからである。
高梨沙羅にとって、「メダル」という、直径数センチ大の円形の延べ板は、珠玉なる「特別の価値」以外の何ものでもなかった。
色は何でも良かった。
「銅メダル如き」と言って、当て擦(こす)る者がいても、そんな雑音などどうでも良かった。
「ソチ五輪」の雪辱を果たすこと。
それだけだった。
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「平昌五輪」の高梨沙羅 |
そう、信じることで充分だったのではないか。
リアルに言えば、高梨沙羅の「平昌五輪」の意味は、それだけだったのだろう。
そんな彼女に、私は最大級の賛辞を惜しまない。
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伊藤有希と抱き合う高梨沙羅 |
「目標にしていた金メダルには届かなかったんですが、最後の最後に渾身(こんしん)の、ここにきて一番いいジャンプが飛べた。なにより日本のチームのみんなが下で待っていてくれたのがすごく嬉しくて。結果的には、金メダルをとることはできなかったですけど、自分の中でも記憶に残る、そして競技人生の糧になる、すごく貴重の経験をさせていただいたと思います。(略)やはりまだ自分は金メダルをとる器ではないとわかりました」(「ハフポスト日本版ニュース 2018年2月13日」)
このインタビューの中で重要なのは、「自分は金メダルをとる器ではないとわかりました」という発言である。
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「まだ自分は金メダルをとる器ではない」 |
だから、「平昌五輪」が「競技人生の糧」になる。
「今・ここ」から再出発する。
そんな覚悟を言語化したのである。
前述したように、恐怖を感知したとき、人間は「逃走」を回避し、「闘争」に立ち向かう。
そこで、自らを囲繞する「脅威的状況」を突破していく。
多くのアスリートにとって、競技そのものが恐怖==「脅威的状況」なのである。
思えば、高梨沙羅には、「五輪」という魔物が棲む「戦場」そのものが、恐怖=「脅威的状況」だった。
そこで、自らを囲繞する「脅威的状況」を突破していく。
多くのアスリートにとって、競技そのものが恐怖==「脅威的状況」なのである。
思えば、高梨沙羅には、「五輪」という魔物が棲む「戦場」そのものが、恐怖=「脅威的状況」だった。
その後、周囲の揶揄(やゆ)に抗して、彼女は化粧を意識するようになった。
「キレイにしていることで、自信になるというか(中略)化粧をすることで、こう、スイッチが入るというか」
これは、「報道ステーション」(テレビ朝日系)での高梨沙羅の言葉。
私には、彼女の気持ちが透けて見えるようだ。
他者への関心を前提とする化粧行動を通して、自分の印象を適正に管理し、充分に視覚的な自己表現を果たしていく。
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「化粧をすることで、スイッチ・オンする」 |
この高梨沙羅の自己表現の本質は、非攻撃的で、適度な自己主張としての「アサーション」であると言っていい。
「化粧をすることで、スイッチ・オンする」
化粧行動が、自らを変えていくのだ。
差別的なセクハラ行為の含みを持つ化粧行動それ自身が、様々な他者の視線を浴びることになるので、承認欲求を満たす一方で、鋭角的な視線の恐怖に馴致(じゅんち)することで免疫耐性を強化していく。
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化粧行動の自立性 |
この精神状態が自尊感情の強化に繋がるのだ。
だから、高梨沙羅の化粧行動が、視覚的な自己表現をも超え、適度な自己主張としての「アサーション」と化す。
「競争的偶発性」の純度を高めるまで構築されていく近代スポーツの宿命は、決して勝敗に拘泥(こうでい)しない、ジョギングのような「レクリエーションスポーツ」や、「自由自在」の「遊び」にまで下降せず、多くの場合、競技そのものが「恐怖超え」を必然化してしまっているのである。
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高梨沙羅の「恐怖超え」 |
それが、高梨沙羅の「平昌五輪」の全てだったのではないか。
私には、そう思われてならないのである。
2 「チームパシュート」こそ、鮮度の高い近代スポーツの結晶点である
繰り返しになるが、観る者の好奇心に睦み合うように作られ、そこで作られた新種のスポーツは、時代の鮮度が削(そ)がれることがないように、万全のルールを作り、観る者と一体化する競技を構築していく。
「競争的偶発性」の純度を高めるまで構築されていくのだ。
かくて、鮮度の高い競技に観る者を釘付けにする。
このとき、競技者も観る者も、活性化したホルモン分泌によって、「ハラハラドキドキ」という精神状態を作り出していくのだ。
競技を介して、競技者と観る者が一体化するのである。
これが、近代スポーツの宿命である。
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2012年ロンドンオリンピックにおける女子チームパシュート(ウィキ) |
本来、個人競技であるスピードスケートに導入された初の団体競技で、2000年頃から始まり、「トリノ五輪」(2006年)から正式採用された歴史の浅い競技である。
この競技が面白いのは、ジャンプ競技のように、近代スポーツの魅力の一つである「競争的偶発性」の純度の高さが保証されているばかりか、それ以上に、「戦略・戦術」が重要な要素になっているという点にある。
個人競技としてのスピードスケートは、基本的に「強い者が勝つ」という印象を拭(ぬぐ)えないが、「チームパシュート」の場合、「団体追い抜き競技」と呼称されているように、必ずしも、常に好タイムで走り切るスピードスケーターの、その本来的な能力の高さで勝負が決まるとは限らないのである。
「平昌五輪」で金メダルを獲った、日本女子の「チームパシュート」の場合、1チーム3名編成のスケーターが、1試合2チームという競技原則の中で、6周(2400m)でタイムを競うスポーツ。
この「団体追い抜き競技」の特徴は、競技する2チームが横一線に並んで同時スタートをするのではなく、各チームがコースの反対側に分れて、同じ方向にスタートをするという方式をとっていること。
また、Pursuit(追撃)という英語で判然とするように、タイムを競う「団体追い抜き競技」は、3人目のシューズのブレード(スケートの靴に付ける金属の刃)の先端がゴールした時点がタイムとして記録されるので、横一線に並んでのゴールになりやすい。
従って、脱落者を出さないため、3人がいかに速くゴールするかという点がポイントになる。
競技がスタートするや、3名の選手が縦一列に隊列を組むが、平均時速が50キロ近いので、先頭の選手が50キロの風圧を受け続けることになる。
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日本女子チームは足運びから腕の振り方まで息ピッタリ |
ここに、「チームパシュート」の最大の魅力がある。
最も興味深いのは、コーナーで先頭を入れ替わりながら滑走しつつ、先頭の選手を風よけにしながら後方の選手の体力を温存するが、3名の選手が、最低でも1周は先頭を走行しなくてはならないというルールがあること。
だから、個人の力量が抜きん出ていても、その個人の力量が、「チーム」としての結集力に収斂されているか否か、それが勝敗の分岐点になる。
まさに、この「チームパシュート」こそ、トライ・アンド・エラー(試行錯誤)を重ねながら高度化した、鮮度の高い近代スポーツの結晶点であると言える。
3 「平昌五輪」 ―― 近代スポーツの宿命と結晶点
平昌五輪の「チームパシュート」の決勝で、日本が強豪・オランダを下して金メダルを獲得した余韻がまだ残っているが、動画で何度観ても、日本女子の「チーム」としての結集力に感嘆する。
私が平昌五輪で最も印象に残り、絶賛したい競技だった。
400メートルのリンクを、3人で隊列を組み、6周する難しいレースを、日本は2分53秒89の五輪新記録で制したのである。
個々の力では、スケート王国・オランダのスケーターより劣っているにも拘らず、「空気抵抗」という最大の敵を巧みに利用し、それまで徹底的に合理的・科学的な鍛錬を重ねてきた、日本女子チームの「戦略・戦術」が見事に奏功し、完璧なチームワークで圧勝した。
これは、単なる「競争的偶発性」の勝利ではない。
日本女子チームが、年間300日を超える合宿によって、「空気抵抗」を軽減する鍛錬を重ねてきた結果である。
「一糸乱れぬ隊列」=「黄金のワンライン」。
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日本女子チーム |
人工的に風を作る風洞内で風速や圧力の分布を計測し、理想の隊列・先頭選手交代の効率を割り出す実験・「風洞(ふうどう)実験」を繰り返してきたことが決定的に大きい。
更に、選手の心拍数のデータを重視し、食事・栄養面の管理に及ぶ指導を図るなど、近代スポーツに総合的且つ、科学的トレーニングを積極的に導入したのだ。
スピードスケートのナショナルチーム(NT)の中長距離競技を率いて、殆ど完璧に成就したのは、オランダのコーチの力量に拠るところが大きかった。
件のコーチの名は、2017年段階で38歳のヨハン・デビット。
スピードスケートのアスリートだったが、記録を残すことのない無名の選手だった。
選手に向かないが、指導力はあった。
最新科学に基づき、選手の能力をマキシマムに高める指導を徹底する。
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ヨハン・デビット |
ヨハン・デビットの徹底的な指導の成果が、個の力量に頼る強豪のオランダの、強力女子チームに逆転勝ちし、金メダル獲得によって検証されるに至る。
残念ながら、個の力量に頼るオランダの女子チームは、完成形の「チーム」を構築し得なかったということだ。
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高木美帆 |
3人の息がピタリと揃った「黄金のワンライン」 ―― 高木美帆を中心にした日本女子チームの圧巻の滑り。
このフレーズに収斂される、平昌五輪の「チームパシュート」の優勝だった。
500メートルの銀、1000メートルの銅に象徴されるように、先頭からオールラウンダーのエース・高木美帆が、決勝の序盤を比較的、時間帯を長くする滑りでオランダをリードした後、ヨハン・デビットの「戦略・戦術」通り、高木美帆が余力を残すため後ろに下がり、姉の高木菜那(なな)と佐藤綾乃(あやの)が粘り、中盤で逆転を許すものの、ラストで再び、余力を残した高木美帆が先頭で牽引(けんいん)して再逆転し、一気にゴールを走り抜けていく。
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日本が金メダル スピードスケート女子チームパシュート |
だからと言って、日本女子の「チームパシュート」は、オランダとの決勝に辿り着く行程が、常に万全だったと評価し得る訳ではない。
中でも、結果的には勝ったが、中国との準々決勝で、後ろからの「待って」という声に反応し、フライングと勘違いした先頭の高木美帆がスタート直後、一瞬、体を起こし、足を止めてしまったレースは冷や汗ものだった。
スターターの「レディー」から号令までが長いので、スタートの絶妙なタイミングを逸してしまったのである。
「間が長くて、タイミングが難しい」
レース後の選手の言葉である。
号令までの長さは、テレビ視聴者にも分かるほどで、フライングが起こりやすい印象を拭えない。
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中国との準々決勝でのミス |
何が起こるか、予想の範疇に収まらないのだ。
「競争的偶発性」の「偶発性」が、「五輪」のような大きな大会で発現するからこそ、瞬時でも集中力を切らすわけにはいかないのである。
その辺りが近代スポーツの面白さであるが、だからこそ、逆に、過緊張のセルフコントロール能力が求められるとも言える。
現に、中国との準々決勝では、中盤までタイムが遅れていたが、最後は実力の差が出て、一気に抜き返した。
しかし、相手がスケート王国・オランダだったら、得意の後半の逆転劇が頓挫(とんざ)した可能性が高い。
そこに、「五輪」の怖さがある。
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ジャンプを失敗したネイサン・チェン |
―― ここで、「4人目」の選手・菊池彩花(あやか)の存在価値について書き添えておきたい。
日本女子の「チームパシュート」は、高木美帆、高木菜那、佐藤綾乃、菊池彩花の4人チームで臨んでいた。
前3者が中心だが、最年長で170cm近い身長の菊池彩花は、絶対負けられない準決勝に出場し、その身長の高さが「壁」として重宝され、高木姉妹の完璧な風よけになった。
準決勝の対戦相手は、オランダと並ぶ強豪のカナダ。
菊池彩花に期待されていたのは、50キロの風圧を受け続け、自らが疲弊し切ることで、高木姉妹の脚力の負担を軽くすることである。
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左から菊池彩花、高木美帆、高木菜那・準決勝のカナダ戦 |
これが、「チームパシュート」の最大の魅力であり、「団体追い抜き」という競技の本質的価値である。
菊池彩花の存在の決定的価値は、まさに、ここにあった。
その準決勝で快心の滑りを見せた菊池彩花にとって、「平昌五輪」の意味は、ミスが許されないオランダとの決戦において、疲労を抜いた高木姉妹を万全の状態で送り出すことである。
だから、菊池彩花は、単に4人目の選手ではない。
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菊池彩花 |
「チームパシュート」の不可欠で、絶対的に要請される選手なのだ。
こういう選手が普通にいて、普通にチームに溶け込み、いつものようにレースに参加する。
そして、勝ち切って優勝する。
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左から菊池彩花、佐藤綾乃、高木美帆、高木菜那 |
日本女子の「チームパシュート」の本来的な力道感は、「競争的偶発性」の純度が、中国との準々決勝でのミスによって、一瞬、負荷を負ったが、ここに至るまで蓄積した、「黄金のワンライン」に収斂される総合的且つ、科学的トレーニングの鍛錬の成果が実を結び、プレッシャーの片鱗(へんりん)も拾えないような落ち着いたレース運びを完遂し、再構築する強さのうちに裏付けられたのである。
それは、ミスによって破綻してしまうレベルを超えていた。
―― この事実は、開催国・韓国女子の「チームパシュート」の信じ難い結束力の脆弱さと比較すれば、充分に検証できるだろう。
殆ど「チーム」が瓦解しているような韓国女子の「内紛」は、その後の7・8位決定戦まで尾を引き、惨憺(さんたん)たる様相を呈していた。
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韓国女子パシュート |
元々、五輪前からチーム内の確執(かくしつ)が表面化していたと指摘されるが、そんな状態を野放しにしてきたスタッフ・選手の非主体的な行動様態に疑義を呈するばかりである。
3人又は4人で構成されるチームを組み、隊列を組んで速さを競う「団体追い抜き競技」・「チームパシュート」という、考え抜かれたルールを持つ競技から、万全の態勢で臨む「チーム」を構築する結集力が削(そ)がれてしまったら、個々のスピードスケーターを寄せ集めた小さな集団でしかないだろう。
「チームワークの崩壊は予想されたことだった」
朝鮮日報(日本語版)の記事である。
「一度も、一緒に練習しない」などという、伝えられている情報が事実なら、韓国女子の「チームパシュート」の自壊は、「約束された破綻」を上塗りするだけの現象だったと言う外にない。
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キム・ボルムが涙の謝罪会見 |
これは、韓国批判のブログとは無縁なので、エビデンス(根拠)の不明な言及を繋ぐのは止めておく。
私としては、「チームパシュート」の生命線が、「一糸乱れぬ隊列」=「黄金のワンライン」を完成形にするための鍛錬の累加にあると考えるので、その意味で、日本女子チームの優勝もまた、ほぼ、「約束された金メダル」であったと評価できる達成点だったと誇れるだろう。
日本女子の「チームパシュート」の達成点は、「競争的偶発性」の純度の高さと、合理的・科学的なトレーニングをコアに据え、「戦略・戦術」が最も重要な要素になったことで、極めて鮮度の高い競技の訴求力を保証した。
まさに、「平昌五輪」は、近代スポーツの宿命と結晶点を表現する格好のステージになったのである。
(2018年3月)
追記・【2018年3月10日に、「スピードスケート世界選手権」がアムステルダムで行われ、高木美帆が日本勢初の総合優勝を果たした。世界選手権で総合優勝6度に及ぶ、スケート王国・オランダの女王・イレイン・ブストを破り、遂に頂点に立った。快挙である】
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