2024年12月13日金曜日

大谷翔平 ―― そのパイオニア魂に限りなし

史上初の「シーズン50本塁打、50盗塁以上」をマークした大谷は3度目のMVPを受賞した

同上


1  想像を絶するプレッシャーを撥ね除けたアスリート

 

 

 

大谷翔平について書くにあたって、何にも増して驚かされる事件がある。

 

複数の経歴について疑問を投げかけられている現在、日ハム時代から球団通訳を務めてきた水原一平が、カリフォルニア州では違法とされるブックメーカーで野球以外のスポーツ賭博に手を染め、およそ26億円を不正に送金したなどとして、「銀行詐欺の罪」と「虚偽の納税」の申告をした罪でアメリカの検察から起訴されている事件である。 

スポーツ賭博が「違法」となる州は少数派 2018年に最高裁で「合法」判断 一気に広がる

耳を疑うような事件が発覚し、矢面に立たされた大谷は記者会見するに至った。

 

2024年3月26日のことである。

 

【大谷が騒動を知ったのは、韓国での開幕戦後(2024年3月21日)のミーティングの場である】

 

以下、会見の要諦。

 

「数日前まで、彼(水原一平)がそういうこと(スポーツ賭博)をしていたのも全く知りませんでした。結論から言うと、彼が僕の口座からお金を盗んでいて、尚且つ、皆に彼はウソをついていたというのが…結論から言うと、そういうことになります」 

大谷の記者会見

率直な思いを吐露した10分間に及ぶ記者会見で、そこに虚偽を読み取れなかった。

 

この間、ウォルト・ディズニーが所有する米スポーツ有線局「ESPN」は、水原のコメントを報じている。

 

「翔平はもちろん、怒っていました。しかし彼は、私が二度と(ギャンブルを)しないように、という意味も込めて(借金を)払ってくれました」 

スポーツ賭博に関与か、大谷選手の通訳・水原一平氏解雇」より

ところが、翌20日になって彼は、「翔平はギャンブルの借金について、何も知らなかった。翔平がお金を送金したこともない」と前日のコメントを撤回したのである。 

大谷選手声明、送金口座の管理に言及なし…米メディア『答えが出るまで問題は収まらず』」より


事もあろうに、この前言撤回の情報が駆け巡ったことで、俄(にわ)かに「大谷翔平・共犯説」がSNSなどで拡散されていったのは周知の事実。「(大谷選手が)知らなかったはずはない」「勝手に人のお金を送金できるはずない」という類いの憶測である。

 

同年4月12日、連邦検察は水原を刑事訴追したと発表すると同時に、「大谷選手は被害者である」と明言したのである。 

米ロサンゼルスで、水原容疑者の訴追について記者会見するマーティン・エストラーダ連邦検事


それでも、止まない批判コメントの嵐が大谷を強襲するから厄介だった。

 

「英語ができないから今回のことが起こった」

「海外に来るんだからその国の言語ができないと!」

「(大谷選手は)もっと大人にならなくてはいけない」等々。 

「大谷選手は社会人として甘い」


また、「『オオタニはウソをついている?』 米メディアの冷めた視線」によると、ニューヨーク・ポスト紙は、大谷選手の今の(記者会見での)説明を考えてみると、「彼は要するに、自分が騙されやすく、バカだと言っているのだ」と決めつけ、水原氏が何をしているか全く気づいていなかった大谷選手は愚か者だと断罪し、大谷選手の潔白という説明は納得がいかないと述べている。

 

とりわけ問題になったのは、記者会見の場において質疑応答の時間が設けられていなかったこと。

 

本人の説明のみの会見への苛立ちが、徹底的に追及する米メディアの批判的論調が殺到したのである。

大谷翔平会見『グダグダぶり』に酷評の嵐」より

 

その批判的論調を覚悟の上で、大谷は会見の最後に言い切った。

 

「気持ちを切り替えるのは難しいですけど、シーズンに向けて、またスタートしたいです」 

「気持ちを切り替えるのは難しいですけど、シーズンに向けて、またスタートしたいです」


こんな苛酷な状況下で大谷翔平の「特別なシーズン」の幕が切って落とされた。

 

97%が後払いながら、10年総額7億ドル(約1000億円)という破格の契約と絶対的人気を背景にして、鳴り物入りで入団したMLB屈指の名門球団・ロサンゼルス・ドジャース(ナ・リーグ)にワールドチャンピオンを目指す優勝請負人として迎えられたのである。 

97%が後払いながら、10年総額7億ドルという破格の契約でドジャースに入団(エンゼルス時代のユニフォーム)


だから、外部からの圧力は尋常ではなかった。

 

増して、スポーツ賭博に関わる米メディアの批判的論調を全身で受けているから、その外圧に押し潰されるわけにはいかないのだ。

 

「気持ちを切り替えるのは難しい」と正直に吐露したアスリートが負うプレッシャーは、殆ど想像を絶するほどだった。

 

並みの人間なら責任感の強さや、分かっていても最悪の結果を予期するネガティブシンキングに捕捉されたりして、自らを過剰に追い込んで、本来の力を発揮することが叶わなくなるだろう。

 

面白いことに、私たちはしばしば自己の未来の感情を過大評価する傾向がある。

 

敢えて良くない事例を挙げれば、何かに失敗したら、もう自分は何をやっても成功しないだろうとか、恋人との別離を経験したら、もう二度と恋愛できないだろうなどと考えてしまう傾向があり、これを心理学で「インパクト・バイアス」と呼んでいる。 

インパクト・バイアス

実際はバイアスに過ぎないにも拘らず、極端に振れやすくなるのだ。

 

ところが、大谷翔平は違った。

 

気持ちを切り替えることの難しさのトラップに嵌らなかったのである。

 

想像を絶するプレッシャーを撥ね除(はねの)け、結果を出したのである。

 

影響が心配される中でも変わらない大谷に、チームの指揮官ロバーツは称賛を贈ったのだ。

 

米スポーツ専門局「FOXスポーツ」は、「デーブ・ロバーツは今季のショウヘイ・オオタニの落ち着きを高く評価している」と記し、ロバーツ監督のコメントを紹介している。

 

「逆境を経験するまでは、本当に人となりを知ることはない。フィールド上のことでも、今回のフィールド外のことでもね。私は彼がうろたえないということを学んだよ」。 

逆境で見えた大谷翔平の人となり 水原騒動受けても打率.360、指揮官『うろたえないと学んだよ』」より

ドジャースのデーブ・ロバーツ監督

こう言い切ったのである。

 

大谷の精神力に感服する指揮官の称賛がリップサービスではないことは、大谷の長いシーズンを通しての驚くべき躍動が証明している。

 

何より大谷翔平の存在が、組織(ドジャース)が目標(ワールドチャンピオン)を達成するために必要な能力を構築・向上させる「キャパシティ・ビルディング」を遺憾なく発揮した事実が如実に物語っている。 

ドジャースがワールドシリーズ制覇

このことは、仲間同士の信頼関係の結束力が強化される「集団凝集性」の高さの証左でもある。 

集団凝集性

「大人ではない」と揶揄されながら、被害者ぶることなく警察の捜査に協力しつつ、本業に集中して結果を出していった一人の若者の行動様態に、度肝を抜かれた次第である。

 

これほどまでに難しい時期を克服したことで、彼に対する様々な誹議(ひぎ)を払拭したのである。

 

スポーツ賭博事件が「ワールドシリーズ勝利を目指すドジャースに支障を与えるかもしれません」と書いた、ウォール・ストリート・ジャーナルに次ぐ発行部数を誇るUSA Today紙を沈黙させという顛末だった。

 

大谷翔平というアスリートは並みのMLBの選手ではなかったのである。

 

【「賭博推進に回った米プロスポーツ界 『非合法』の日本は世界で少数派」(朝日新聞デジタル 2024年6月4日)によると、「スポーツベッティング」(スポーツの賭け)は欧米を中心に世界に広がっていて、合法化されている現状がある。米国でも野球・サッカー・バスケ・アメフトなどが賭けの対象になっていて、2012年に、税収増を狙うニュージャージー州が世論の後押しを受け州法を成立させ、2018年にスポーツベッティングが解禁されるに至った。但し、合法化の議論の過程において、米国人が40兆~50兆円レベルで海外や違法なブックメーカーを通じて賭けていることも明らかになり、業者にライセンスを付与し、健全な範囲で楽しむ。それに対して課税をする。すべてガラス張りにして、誰が、いつ、どこで、いくら賭けたかも分かるようにする。反社会的勢力の資金源になるよりは、合法化して管理する方がいいという方向に進んだわけである。但し、米国では50州のうち約40州で合法化されている】

 

 

 

2  一人、高みへと飛翔してしまった若者

 

 

 

2024年、MLBで2年連続3度目のMVPを受賞したばかりか、史上初の「シーズン50本塁打、50盗塁以上」をマークした大谷翔平。 

大谷翔平2024


他リーグ(ア・リーグ=アメリカンリーグ)からナ・リーグ(ナショナルリーグ)に移籍した1年目で、これだけの成績を残したこと。

 

それ自体驚異だった。

 

ナ・リーグ西地区でMLB162試合を消化した後、プレーオフ出場権の獲得を決める、ダルビッシュ擁するパドレスを劇的な逆転で地区優勝を果たした9月26日。 

ドジャース本拠地で地区優勝


この時、どれだけのMLBファンの人が、半年前にメディアを賑わしたスポーツ賭博事件のことを覚えていただろうか。

 

「大人ではない」と揶揄され、「気持ちを切り替えるのは難しい」と吐露したアスリートは、かつてないほどの逆境を乗り越えて次の難関なステップ(メッツとのリーグ優勝と、ヤンキースとのワールドシリーズ)に満面の笑みで挑んでいった。 

ドジャースがメッツに勝利して4年ぶりリーグ優勝、ワールドシーリーズ進出へ

その結果は、勝負強いフレディ・フリーマンの活躍が光って4年ぶのワールドシリーズ制覇を果たしたことは周知の事実。 

ドジャースがワールドシリーズ制覇

フリーマンが史上初のワールドシリーズ6戦連発


この艱難な1年を終えて、大谷翔平がスポーツシーンの枠を超えて世間を驚かせたのは、前述した通り、以下の2点。

 

右肘の手術で「投手・大谷」を封印し、打者一本で数多の猛者たちと渡り合って勝ち切ったこと。

 

そして何より、屈指のランナーとしての才能を開花させ、「打」と「走」という「もう一つの二刀流」を観る者に可視化させたこと。

 

にも拘らず、圧巻のパフォーマンスでシーズンを快走しながら、大谷の3度目のMVPの受賞に異議を唱える声が上がった。

 

理由は守備につかず、攻撃面の貢献に限定されたこと。

 

思えば、今季の大谷と同様に、ア・リーグで本塁打と打点の2冠に輝いた強打者デビッド・オルティーズ(レッドソックス)を想起したい。 

オルティス氏、米野球殿堂入り レッドソックスの英雄」より

松井秀喜(ヤンキース)が左手首を骨折した2006年のことだ。 

レッドソックス戦でレフトライナーを捕球できずに骨折し、手首を押さえるヤンキースの松井秀喜外野手(2006年5月11日)


両リーグから最も活躍した打者を選出するハンク・アーロン賞を受賞し、2年連続でMVPの有力な候補となったオルティーズが、守備で貢献しない指名打者(DH)であるという理由でMVP(ヤンキースのAロッドが獲得)を逃した経緯がある。

 

理由はそればかりではない。

 

レッドソックスの最強打者でありながら、鈍足であったこと。

 

これも大きかった。

 

ところが、オフェンスに専念した大谷は59盗塁をマークした。 

大谷の59盗塁成功の瞬間

走力は数値化できるので、重要なオフェンス力として走力も評価されている。

 

確かに今季は守らなかったが、そもそも大谷には「最大の守備者」としての投手の能力を十二分に発揮してきた実績がある。

 

大谷翔平、可能性の翼広げた1年 前例打破の3度目MVP」(日経新聞)の記事を参考にすれば、「走れない、守れない」という一般的なDH像とは一線を画す万能性に、史上初の「シーズン50本塁打、50盗塁以上」の偉業。

 

打撃、走塁、守備、投球を総合的に評価して選手の貢献度を表す指標「WAR」(ウォー)で、守備もこなしてきた数多の打者たちを抑えてナ・リーグトップの9.2(米データサイト「FANGRAPHS」による)をマークした快挙も思えば、大谷が三度(みたび)MVPの栄誉に浴したのは当然のことなのだ。 

【2024年MLB】WARランキング


【データを統計学的見地から客観的に分析し、選手を評価する「セイバーメトリクス」による大谷の「WAR」が9.2というのは、チームの9勝分に貢献したことを意味する驚異的な数値で、平均的なレギュラー野手、先発投手のWARは2.0とされている】

セイバーメトリクス

 

かくて、過去2度に続く満票選出の結果とともに、DHの受賞の適格性を巡る議論に大谷は終止符を打ったのである。

 

要するに、大谷翔平は二刀流(投打=攻守)に留まらず、三刀流(走攻守)のアスリートだったということ ―― これに尽きる。

 

ここでも、日経の記事を添えておきたい。

 

「二刀流は無理」という雑音を結果で吹き飛ばし、投手降板後もDHとして出られる「大谷ルール」の制定に繋げた。 

大谷ルール

2022年には、あり得なかったはずの「規定打席、規定投球回の同時到達」も果たした。 

【シーズン162 イニングの規定投球回&502打席で「投打同時規定到達」を実現した/因みに、投手の「規定投球回」はチームの試合数×1イニング(162投球回)、打者の「規定打席」はチームの試合数×3.1(502打席)と定義されている】


さすがに、この「投打同時規定到達」という快挙には仰天したが、多くの者が「限界」と決めつけた障壁に囲まれた世界で悪戦苦闘する中、無限の可能性の翼を持った大谷は今年もまた、一人、高みへと飛翔してしまったのだ。

 

 

 

3  アドバンテージを持った選手が、誰よりも学びを重ね、効率的に進化を探る

 

 

 

これも日経新聞の記事(「大谷翔平、ブレない構えの秘密 テクノロジーで可視化」)を参考にして書き添えておく。

 

テレビ朝日で放送された「タモリステーション 大谷翔平〝記録と記憶〟に残る2024 歴史的快挙の真実」では、大谷の打撃の根幹をなす「構え」が取り上げられた。 

同上

地味なテーマでもあるが、これまでも、そして今年も、何度も大谷は自分の打撃を説明する際に「構え」という言葉を口にしてきた。

 

以下、大谷の発言の一部である。

 

「打球の角度は、スイングの軌道で決まる。そのスイングの軌道は構えで決まるので、構えが大事だっていうのが、僕の考え方。構えが決まれば軌道も良くなるし、力の伝わるスイングにもなる」(4月8日)

 

「同じ位置で同じように構えるというのが、まず同じようにボールを見ることに対しては一番大事なことなので、動く前の段階が一番大事。調子が悪いときっていうのは、やっぱり動きどうのこうのというより、構えがしっくりこない」(6月19日)

 

「(打撃の状態が上がったのは)構えが安定しているのと、ストライクゾーンがしっかり把握できているっていうことじゃないかなと思う。結果的にそれが甘い球をヒッティングするっていうことにつながっている」(6月21日) 

大谷は「同じ位置で同じように構える」ことを重視する


「(ボールの見極めが良くなったのは)いい待ち方ができているので、いい結果に結びついている。いい構えの結果、ボール球を見送れているので、いい結果に結びついている」(6月25日)

 

「ストライクゾーンは基本的にヒットにできるボール(が来る範囲)でしかないと思っているので、自分が正しい構えをして、正しい動作を行えば、ストライクゾーンに来たボールはヒットになると思っている」(7月27日)

 

「いつ、どんなときもちょっとしたズレで、構えは崩れていくものですし、逆にいえば、少しの感覚が戻れば、調子の波はすぐに来るものだと思うので、それを持続するのはいつでも難しい」(9月17日)

 

「いいときっていうのは必ず、ストライクゾーンを維持できていると思うので、単純に(いまは)調子がいいなとは思う。振るべき球を振っているし、打ったときにもいい結果が出ているっていうのは、構えもいいし、それに伴ってスイングの軌道自体もズレていないんじゃないかなと思う」(9月25日)

 

その構えを安定させるためにまず必要なのは、「同じ場所に立つこと」だと大谷は話す。 

大谷はしばしば構えの重要性を説いてきた


6月14日から、打席に入る度に、ホームベースの先端と三塁線の延長線上にバットを置いて距離を測り、左足の立ち位置を決めるようになった。

 

右足は投手が右か左かで変化する。

 

左投手の場合はやや右足を引き、体を開く。

 

では、なぜバットで距離を測るようになったのか?

 

「球場によって(バッターボックスの)ラインの太さが違ったりするので、そこでずれたりとかということがないように」

 

その次の段階が構えであり、その重要性について大谷はこう説明した。

 

「同じようにボールを見ることに対しては一番大事なことなので、動く前の段階が一番大事」

 

立ち位置、構えがブレると、ボールの見え方が変わってくる。

 

例えば、立ち位置や構えが、無意識に5センチ後ろにずれていたとする。

 

すると外角の球が遠く見え、ストライクなのにボールに見える可能性がある。

 

前にずれていれば逆に、内角の球の判断に影響を及ぼし得る。

 

ボールの直径は約7.4センチなのである。 

大谷は「スイング軌道は構えで決まる」と話す

立ち位置に関しては、バットで距離を測ることで固定させた。

 

ところが構えは、「いつ、どんなときも、ちょっとしたズレで、崩れていく」と大谷。

 

ならば「おかしい」と感じるたびに、どう修正をしたのか。

 

実は今回、タモリステーションの取材に携わり、大谷の打撃についてドジャースのロバート・バンスコヨック打撃コーチにインタビューをしたのがマイアミだった。

メジャー経験どころかプロ野球選手としてプレーした経験が皆無だが、優れた打撃理論を持つと評価されるバンスコヨック打撃コーチ


そこで彼に大谷が構えを安定させるために工夫していることを問うと、こう教えてくれた。

 

「翔平は、キナトラックスのデータを確認したりしている」と話した後、「内角高めを攻め続けられていると、そこを意識するあまり、上体が立ってしまう。逆に外角低めの球に意識がいき過ぎると、前かがみになってしまう」と指摘し、続けた。


「もちろん、投手は打者の構えを崩すために、そうした配球をしてくる。すると知らず知らずのうちに構えがブレていく。それを確認し、修正するために、翔平はキナトラックスのデータを確認するようになったんだ」


以下、米キナトラックス社が作成してくれたデモ画像。 

バットで立ち位置測る/解析技術

キナトラックスとは、野球だけでなく、スポーツ全般の動作解析に用いられる「モーションキャプチャー」技術のこと。

 

【モーションキャプチャーとは人やモノの動きをデジタル化する技術で、関節などの動作の特徴的部位の位置と動きを記録することで、その「動作」を記録するもの】 

モーションキャプチャー/開発中の画像

大谷はモーションキャプチャー技術を駆使して常に同じように構えられるようにしている


モーションキャプチャーでは人間の動作をデジタルデータとして記録し、3Dモデルとして再現することが可能。

 

映画やゲームの制作での利用がよく知られるが、スポーツにおいては、故障予防、パフォーマンスの向上などに用いられている。 

大谷は打席に入る際にバットで距離を測り立ち位置を決めている

キナトラックスは、球場に設置された高精度カメラ(投手用8台、打者用8台の計16台)によって、試合中における動作(関節や骨の動き)を追跡し、投球、あるいは打撃動作を可視化する。

 

現時点において、大リーグの他に、マイナー・大学まで含めると、設置されている球場の数は75に上るが、残念ながら日本ではゼロ。

 

打者の利用はまだ決して一般的とはいえないが、大谷もかつてトレーニングをしたシアトル郊外にあるドライブライン・ベースボールなどでは、モーションキャプチャーを使った動作解析を何年も前から行い、ボールにいかに力を伝えるか、スイングスピードをどう上げるか、といった指導をしている。

米シアトル郊外のトレーニング施設「ドライブラインベースボール」

 

持って生まれた身体能力、素質もさることながら、大谷は新しいテクノロジーに対する興味、読解力にたけている。

 

知識の土台があるからこそ、活用、あるいは取捨選択が巧みで、吸収し、自分なりにアレンジして応用もできる。

 

すでにアドバンテージを持った選手が、誰よりも学びを重ね、効率的に進化を探る。

 

大谷翔平の凄さの一端を知って驚きの連続だった。

 

それは旺盛に未知の世界に挑む大谷翔平のパイオニアとしての側面である。

 

次章では、それに言及したい。

 

 

 

4  大谷翔平 ―― そのパイオニア魂に限りなし

 

 

 

大谷翔平を見て、つくづく思う。

 

「誰もやったことがないようなことをやりたい。野茂英雄さんもそうですし、成功すれば高校からメジャーへという道も拓けると思う。160kmの目標を掲げた時には『無理じゃないか』という声もあったが、そう言われると、絶対やってやるという気持ちになる。刺激というか、やる気になる」(ウィキ)

 

この言葉が、彼の芯にある。

 

挑戦を恐れず、常に新しい分野を切り拓いていこうとするパイオニア精神である。 

「自分は自分だと思ったこともないので……」(花巻東高等学校)

パイオニア魂と言っていい。

 

世界で初めてエベレスト初登頂を目指して、のちにエベレストで消息を絶ったイギリスの登山家ジョージ・マロリーは、生前に「なぜ、あなたはエベレストに登りたかったのか?」と問われて言い切った。

 

「そこに、それ(エベレスト)があるからだ」 

「そこに山があるから」と答えて、エベレストの頂上に初めて迫り、消えていった登山家ジョージ・マロリー


また、ベースキャンプからエベレスト無酸素単独登頂に初めて成功し、更に、人類史上初の8000メートル峰全14座完全登頂(無酸素)を成し遂げたイタリアの登山家ラインホルト・メスナー。 

意志の力で限界を打ち砕いてきた男ラインホルト・メスナー


まさに「誰もやったことがないことをやる」というパイオニア魂そのものである。

 

そんなパイオニア魂が、大谷翔平の自我の底層に張り付いている。

 

だから怖れない。

 

何を言われようと怖れない。

 

挑むことは自らの可能性を広げ、膨らませ、未知の領域を拓いていくことだ。 

通訳を失っても変わらなかった男のパイオニア精神

そこにのみ快感がある。

 

ドーパミン、セロトニン、アドレナリンという神経細胞のニューロンで産生される神経伝達物質が分泌され、脳や体をストレスに対処できる状態へ切り替えてくれるから、快感が保障される。 

主な神経伝達物質

この快感は崩れにくい。

 

なぜなら、大谷の身体能力の特筆すべき高さと負けず嫌いの性向が、一人の抜きん出たパーソナリティの土台を作っているように思われるからである。

 

このパーソナリティーが、衆に優(すぐ)れた彼の「オートテリックパーソナリティー」(後述)の根幹を成しているので、不可能への挑戦それ自身を内深くから支え切っているのではないか。

 

プロ野球(NPB)入団前から「パイオニアになりたい」ということを公言していたというから、根っからの性向なのだろう。

 

大谷翔平は現代のジョージ・マロリーなのか。

 

「そこに、MLBというベースボールの最高峰があるからだ」

 

そんなイメージが沸き起こるのである。

 

彼の場合、たまたま、それがMLBだっただけで、さすがに、大自然を相手にする登山家はイメージにそぐわないが、サッカーをやらせれば敵なしのストライカーに、走らせれば短距離のフィールドの記録を更新するスピードランナーに化けるのではないか。

 

誰かも似たようなことを言っていたが、そう思わせる資質を印象づけてしまうのである。

 

2012年のドラフトで目玉とされた高校生だった大谷は、日本ハムに1位で指名されて拒否した際に、「高校生からは初めてなのでパイオニアとしてやっていきたい。メジャーで長くやりたい」と凛として答えたというエピソードはよく知られている。

 

だから、入団への難色を示した。

 

その思いを覆したのは、栗山監督(当時)に「誰も歩いたことのない道を歩いて欲しい」と言われたことが決断の決め手となりました」(ウィキ)と答え、入団の運びになったという経緯がある。 

大谷「あの時直接行くより…」。日ハム入りに後悔なし


「僕にはメジャーで長くやれる選手になりたい想いがあって、そのためには早くアメリカへ行って3年間、マイナーの厳しい環境の中でしっかり体をつくろうという意気込みがありました。でも、必ずしもそうじゃない。日本でやってからでもメジャーで長くプレーする選手になれると思ったんです」(石田雄太コラム「大谷翔平が求め続ける“パイオニア”」 

同上

この精神だけは一貫して変わらない。

 

ここで勘考する。

 

パイオニア精神の本質のことだ。

 

人から評価されなくとも実践していく。

 

仮に頓挫したからと言って、他人の責任に転嫁しない。

 

成功しても、それで終焉せずに次のチャレンジにステップしていく。

 

この進化の思考法は、目標のイメージから逆算して、今、何をすべきかという視座がコアになる。

 

これを「バックキャスティング」と言う。 

バックキャスティング


教育心理学の概念である。

 

如何なる状況にも冷静に対峙し、今、自分に何が可能かという問題意識を捨てないのだ。

 

パイオニア精神の凄さは、自らが得た有効な情報を出し惜しみせずに堂々と披露し、より進化するために競合する他者との共有をも求めるメンタリティを有していることである。

 

競合する他者が進化したら、自分はより高みを目指して駆動していくのだ。

 

最も少ない努力で最大の利益を得るという人間の本性を「最小努力の法則」と呼ばれているが、この法則を具現化するには高度の合理的思考が必至であり、知性の質が求められる。

 

【最小努力の法則/今年逝去した米国の心理学者ダニエル・カーネマンは代表作『ファスト&スロー』の中で、人間の思考体系を直感的・感情的な「速い思考」(システム1)と、意識的・論理的な「遅い思考」(システム2)と分けて、行動経済学の心理学的な根拠として提示している】


大谷のパイオニア精神は「最小努力の法則」をも呑み込んで、更なる進化を止めない可能性を秘めているということなのか。

 

充分な睡眠を確保し、栄養管理や体調維持のために外食を避ける大谷の、生活万般に対する問題意識の高さは、彼をアスリートとしてフル稼働させる必要条件だったのだろう。

 

そのパイオニア精神の中枢には、自らが設定した目標に向かって集合する「激情的習得欲求」の束が息づいている。 

「球質自体を上げていく作業もそうですし、なおかつ自分のベストのボールを投げ続けなければならない」


私は物事に熱中するパワーの凄みである「激情的習得欲求」こそ「天才」の特性として定義しているが、大谷に垣間見える圧倒的な集中力は、この「激情的習得欲求」の賜物のように思われる。


彼のパイオニア精神のコアには、これがある。


だから、限りがないのだろう。


大谷翔平 ―― そのパイオニア魂に限りなし。

 

そう思えるのだ。

 

 

 

 

5  「オートテリックパーソナリティー」という性格特性の強さ    

 

 

               

本稿の最後に、時論公論「ドジャース大谷翔平選手 3回目のMVP その意義は」(NHK)のレクチャーを紹介する。


以下、「松田直樹さんのポスト」がまとめたほぼ全文を引用します。 


大谷選手の大リーグ7年目は右ひじ手術からのリハビリのため、指名打者に専念したシーズンでした。

 

二刀流を封印したことで、はからずも「バッターだけなら、どこまで成績を残すのか」に関心が集まる中、自己最多の159試合に出場してほぼ休みなくプレーを続け、打率・ホームラン・打点・盗塁のすべてで自己最高の成績をマーク。

 

ホームランと打点の二冠王に輝いただけではなく、OPSと呼ばれる長打率と出塁率をあわせた指標(選手の評価を客観的に分析する手法として「セイバーメトリクス」と呼称/筆者注)など、表彰の対象にならないランキングの多くでもリーグトップとなりました。

 

ホームランは日本選手で初めて50本を突破したほか、盗塁も日本選手最多を記録。

 

大リーグの歴史で誰も成し遂げたことのない「50-50」の偉業を達成し、ワールドシリーズも制覇して、本人も「最高の一年だった」と振り返った、異次元の1年となったのです。

 

大谷選手は満票で3回目のMVPを獲得、両リーグでの受賞は史上2人目となりました。

 

そして指名打者としては史上初めてとなる快挙でしたが、その意義はどこにあるのでしょうか。 


守備につかない指名打者は長年、「打つだけの選手」というイメージを持たれることが多く、他のポジションよりチームへの総合的な貢献度は高くないという考え方が根強くありました。

 

今シーズンも一時は、主な成績で大谷選手に及ばないメッツのショート、リンドー選手の方がMVPにふさわしいのでは、という声が上がったほどです。 


MVPは全米野球記者協会の記者による投票で決まりますが、投票の根拠には「WAR」と呼ばれる指標が重視されることが多くあります。

 

「WAR」はバッティングや走塁、守備などを含めて、総合的にチームの勝利にどれだけ貢献したかを示す指標で、数値はポジションごとに補正され、キャッチャーやショートが大きく加点される一方で、守備につかない指名打者は加点どころか減点されてしまいます。

 

このため指名打者はWARの数値を伸ばしにくく、指名打者が素晴らしい打撃成績を残してもMVPに選ばれない要因の一つになっていました。

 

しかし指名打者に専念した大谷選手は計算上、減点されているにもかかわらず、WARは9点台でリーグトップ、最終候補に残った他の選手に大きく差をつけました。 


つまり、大谷選手の成績は、指名打者にとって不利なWARという指標でもトップに立ってしまうほど圧倒的だったと言え、これまでの二刀流とは異なる、指名打者に専念してのMVP受賞は、「50―50」という歴史的な偉業達成のストーリー性に加えて、バッターのみでも大谷選手が超一流であることを改めて証明したのではないかと思います。

 

MVPを4回以上受賞したのは歴代最多ホームランを記録したバリー・ボンズの7回のみ、次に多いのは大谷選手らの3回で、ここにはジョー・ディマジオやミッキー・マントルといった野球殿堂クラスの11人の選手が顔を揃えています。 


(略)そもそも今シーズンは、手術明けのリハビリの1年でもあり、本来、選手としてベストとは言えない状態だったように思います。

 

こうした中、大谷選手はなぜ「最高の自分」を引き出すことができたのでしょうか。

 

複数の要因があると思いますが、ここではスポーツ心理学の観点から考えてみたいと思います。

 

スポーツ心理学には「オートテリックパーソナリティー」という言葉があります。

 

これは報酬や評価といった、外から与えられる目的のために行動するのではなく、自分が今行っている、その行動自体に喜びや楽しさを見出しやすい性格特性を指す言葉です。

 

スポーツ心理学博士の布施努さんは大谷選手について「“野球はこういうものだ”という考え方がなく、自分の理想の姿に向けて常に目標を設定し、成長し続けている」とし、「オートテリックパーソナリティーの性格特性が強くうかがえる」と言います。

 

そのもとになるのは自分の行動を決める力、自己決定力で、第1段階から第5段階まであるとされます。

 

“言われたからやる”に始まり、“重要だからやる”などの段階を経て、“楽しいからやる”という段階に達します。 


“楽しい”というのは、得意や楽という意味ではなく、課題について研究し、成長のための挑戦を続ける中で、その行動への面白さや興味を持てることを指し、布施さんは、大谷選手はこの第5段階に達しているのではないかと言います。

 

“人に言われたから”、“重要だから”というような外発的な動機づけだけでは、それがなくなるとともにエネルギーも湧きにくくなりますが、“楽しいから”という内発的な動機づけだと環境には左右されません。

 

こうした人は自分の理想の姿を設定し、さらに、“難しそうだけど、方法を考えたらやれるかもしれない”という小さな目標を立てて、仮説、実行、分析というサイクルを繰り返しながら目標をクリアするケースが多く見られる。

 

大谷選手の進化の要因は、どんな状況でもこうしたサイクルを心から楽しむ、「内発的動機に従ってただ没頭しているだけの状態」になれるからではないかというのです。

 

こうした意味で、布施さんは大谷選手の走塁に注目しました。

 

大谷選手は今シーズン、マウンドに立てないという状況の中、キャンプから走塁の強化に取り組み、スピードアップのトレーニングや相手ピッチャーの研究などを続けました。

 

その結果、盗塁は成功率を去年より17ポイントも上昇させて94%とし、その数も自己最多を大きく上回る59個となりました。 


布施さんは、大谷選手がチームの勝利に貢献できる、走攻守でよりレベルの高い理想の野球選手への進化を目指し、マウンドに立てない今だからこそ、「自分がやるべきこと、やりたいことはなにか」を考えたのではないかと言います。

 

すべての人が“大谷翔平”になれるわけではありませんが、アスリート以外の人にとっても、環境に関わらず、日々の行動を自己決定し、設定した小さな目標の達成を続けることで理想の姿に近づいていくという考え方は、応用できるのではないでしょうか。

 

自分なりの“最高の状態”はどのようにすれば引き出すことができるのか、大谷選手の活躍は多くのことを示唆していると思います。 

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(2024年12月)