2024年10月22日火曜日

「私たちは強い」 ―― 国旗を掲げる最強のアスリート

  

船上パレードで笑顔を見せるウクライナの選手たち


1  一燈を提げて暗夜を行く。暗夜を憂うること勿れ

 

 

 

ウクライナ侵略を続け、今なお暴虐の限りを尽くすロシアの戦争犯罪を追及する人権関連の国際法律事務所「グローバル・ライツ・コンプライアンス」が、報告書を発表している。

 

それによると、2024年8月、IOCがパリ五輪への出場を承認したロシア人選手のうち3分の2は、ウクライナ侵略への支持を表明しているか、軍と関係があるとのこと。 


既に7月には、「中立選手」としてパリ五輪への参加資格を得たロシアとベラルーシの選手の一部が国際オリンピック委員会(IOC)の参加基準を満たしていないと指摘していた。

 

基準を満たさない選手はロシア10人、ベラルーシ7人に上ったという。

 

国を代表せず、国旗や国歌を使用しない“AIN”と呼ばれる「中立な個人資格の選手」。 

トランポリンの男子決勝では、ベラルーシ出身のイワン・リトビノビッチが東京大会に続く2連覇を果たした。国を代表しない中立選手(AIN)の今大会での金メダル獲得は初めて


これがロシアとベラルーシの選手のオリンピック参加資格である。

 

にも拘らず、IOCと開催国フランス側は、適切な審査規則に従っているとして、「グローバル・ライツ・コンプライアンス」の報告書の内容を否定した。

 

IOCによると、26日に開幕するパリ五輪では、これまでにロシア選手15人とベラルーシ選手16人が中立旗の下での招待に応じている。 

パリ五輪、ロシアとベラルーシの中立参加容認 ウクライナ非難

国を代表しての参加が禁止されたロシアとベラルーシ

「違法で残虐な侵攻を支持する選手を容認することで、IOCは一つの国家が他国を暴力的に侵略しても世界の舞台で歓迎されることを実質的に示している」 

ロシア選手ら中立参加に反対する団体

「グローバル・ライツ・コンプライアンス」の指摘である。

 

「審査はIOC理事会の決定および確立された原則に従って行われている。それ以上付け加えることは何もない」 

IOCはロシア・ベラルーシの選手のパリ五輪参加を認める(写真はバッハ会長)

これがIOCの反応。

 

両者の対立は、依然として燻(くす)ぶっている。

 

【因みに、ロシアとベラルーシの国内オリンピック委員会(NOC)は、「グローバル・ライツ・コンプライアンス」の報告書を無視】

 

このIOCと開催国フランスの対応に対して、欧米諸国は「われわれとの連帯」を表明しながら、ロシアとベラルーシの選手の五輪出場を認めるという「ダブルスタンダード」を適用していると非難した選手がいる。

 

パリ五輪の女子走り高跳びで金メダルを獲得したウクライナのヤロスラワ・マフチク選手(以下、敬称略)である。 

パリ五輪の女子走り高跳びで金メダルを獲得したウクライナのヤロスラワ・マフチク選手

同上

また彼女は、五輪に臨んでいるロシアの選手らに対し、ウクライナ侵略に抗議するよう呼び掛けたものの沈黙していることに落胆したとの考えを示した。
 

同上

同上

個人の中立選手として五輪に出場しているロシア人選手らがウクライナ侵略に「反対する意見を一切言わない」ことに失望していると語ったのである。

 

IOCとフランスが言う通りなら、パリ五輪に中立の立場で出場している両国の選手は、各国際スポーツ連盟とIOCによる二重チェックを受け、ウクライナへの軍事侵攻を積極的に支持していないこと、軍と無関係の立場だという確認を受けているはずだからだ。

 

また、開会式などへの参加や自国の国旗の下での競技参加は認められておらず、表彰台に上がったとしても、メダル獲得数の順位表には含まれない。

 

当然のことである。

 

だったら、なぜ自国が起こした国連憲章違反のウクライナ侵略に対して沈黙するのか。 

ロシアのウクライナ侵略は国連憲章の明白な違反であり、国際法の犯罪である侵略にあたる

ロシア軍を示す「Z」が記載された装甲車(ウクライナ南東部マリウポリ/2022年3月)

残虐なウクライナ侵略

ブチャの遺体

プーチンを怖れていると言うのか。

 

彼女らにとって「中立」と沈黙は同義なのか。

 

ヤロスラワ・マフチクは、そう言いたいのだろう。 

同上

恐らく、少なくないロシア国民がそうであるように、「パン」の問題を保障してくれる限り、「中立」と沈黙は同義であるに違いない。

 

ここで言う「中立」がウクライナ侵略を支持・加担する事実の証左であるが故に、ロシア人選手の立ち位置は「中立」という沈黙に逃げ込むしかないのである。

 

そういう難しいテーマを、オリンピックは宿命的に内包しているのだ。

 

人種差別にプロテストする行為にも振れるのも、オリンピックの宿命である。

 

【1968年メキシコシティー大会で、黒い手袋を履いて拳を高く掲げ黒人差別に抗議する示威行為、所謂「ブラックパワー・サリュート」で知られる陸上の金メダリスト、トミー・スミスと銅メダリストのジョン・カーロスの政治的行為は大きな波紋を呼び、迫害を受け、壮絶な人生を歩むことを余儀なくされ、のちにオリンピックから追放されるに至った。その後、二人は誹謗中傷の荒波に揉まれ、カーロスの妻の自殺などの悲劇も惹起したが、銀メダルのオーストラリア選手ピーター・ノーマンを巻き込みつつも、彼らは生涯にわたって自らのスタンスを変えることがなかった】 

【ブラックパワー・サリュート/メキシコオリンピック陸上男子200mの表彰台で、黒人差別に拳を上げて抗議するアメリカのトミー・スミス(写真中央/金メダル)とジョン・カルロス(写真右/銅メダル)】


いずれにせよ、ウクライナのアスリートが国家を背負い、国旗を誇らしげに掲げ、競技場を疾駆することを批判するのは自由だが、そんな批判など、どこ吹く風と言わんばかりに、国家を背負い、国旗を誇らしげに掲げるのも当然のこと。 

ヤロスラワ・マフチク

彼女らは命を懸けてオリンピックの競技場に迷いなく立ち、絶対負けられない競技のプレッシャーを撥(は)ね退けて、全世界に侵略の不正義を訴えるのだ。

 

思えば、ウクライナ選手の侵略の犠牲者487人超の中で、夏季五輪の中で最少の140人の参加者に留まったからこそ、競技それ自身の鮮烈な意思表示を不可避とせざるを得なかったのである。 

パリ五輪前にウクライナ選手487人追悼のオブジェ設置 イギリス

ウクライナ人のサッカー選手2人が死亡したことを伝える国際プロサッカー選手会のツイッター

今も前線にいるウクライナのアスリートらは4000人以上に上っている

ヤロスラワ・マフチクの競技での一挙手一投足・一言一句の表現は、マグマのように吹き溜まる彼女の侵略の不正義への、それ以外にない異議を申し立てなのである。

 

ヤロスラワ・マフチクの振る舞いの総体こそ、侵略によって心が折れ続けてもなお闘うウクライナの〈現在性〉に、「一燈を提げて暗夜を行く。暗夜を憂うること勿れ」のスピリットを復元させたのだ。

 

 

 

2  「私たちは強い」 ―― 国旗を掲げる最強のアスリート

 

 

 

パリ五輪でウクライナ待望の金メダルを獲得した、フェンシング女子サーブル団体の選手たちの満面の笑みには、怒りを力に変え、国家を背負ったアスリートの誇りが垣間見える。 

ウクライナ待望の金=戦禍の母国へ勇姿―フェンシング女子

パリ五輪で今大会初の金メダルを獲得/オリガ・ハルラン(右から二人目)


グラン・パレ(パリ美術界の殿堂)の観客席は、さながら地元フランスが勝ったかのような熱狂に包まれ、韓国との大接戦を最終盤で逆転して掴んだ今大会初の金メダルを祝福するようだった。 

グラン・パレ

ウクライナ国旗があちこちで翻(ひるがえ)っていた。

 

最年長でエースの5大会連続出場のオリガ・ハルランにとって、パリ五輪の意味は特別なものだった。 

ウクライナの「国民的剣客」オリガ・ハルラン


ロシアの侵略後は世界各国を転々としてのトレーニングを余儀なくされ、日本でも何度も合宿を組んでいた。

 

それでも参加する。

 

その強靭な意志は不変である。

 

「ロシアの侵略後、ウクライナで何が起こったか、世界に思い出して欲しい。金メダルはロシアに殺された人、祖国を守る兵士に捧げる」

 

試合後のオリガ・ハルランの凛としたメッセージである。

 

彼女にとっては、サーブル個人の銅メダルに続く今大会2個目のメダルだった。 

フェンシング女子サーブル団体決勝で韓国選手(左)と対戦するウクライナのオリガ・ハルラン


表彰式で哀愁のある国歌「ウクライナは滅びず」を感極まりながら歌うのだ。 

「ウクライナは滅びず」


「ウクライナは毎日爆撃されている。子供やアスリートが殺され、インフラが破壊されている。この2年半で私たちは戦うことを学んだ。命を捧げて最前線で戦う仲間がいる。私たちも立ち止まることはできなかった」

 

オリガ・ハルランの中枢に張り付く祖国防衛への意志は一貫して変わらない。

 

この強い意志を耳にして想起するのは、世界選手権で、ロシア出身のアンナ・スミルノワに勝利後、握手を拒否して失格となり、パリ五輪出場が危ぶまれた有名な一件。 

女子サーブル個人の1回戦で、ロシアのアンナ・スミルノワ(右)に勝利した後、握手を拒むウクライナのオリガ・ハルラン

昨年7月のことだ。

 

最終的にIOCのバッハ会長のサポートで道が開け、出場可能になったという顛末だった。

 

オリガ・ハルランの祖国防衛への意志の背景には、彼女がロシアによる有無を言わさぬ侵略で、甚大な被害を受けているウクライナ南部のミコライウ出身である事実に起因する。

 

戦略上、黒海に面した重要拠点であったことで、外国軍による相次ぐ占領の餌食になったミコライウは、2022年2月26日のウクライナ侵略を機に、1ヶ月強続いた「ミコライウの戦い」によって132人以上が死亡し、住民の半数に及ぶ市民25万人が避難するに至り、造船の街ミコライウが危機に瀕する事態が惹起した。

ミコライウでロシア軍の砲撃で破壊された建物
 
ミコライウでロシア軍の砲撃で破壊された家。屋根もブロック塀も崩れ落ちていた。住民は激しい砲撃ですでに脱出し、村は無人になっていた


「私たちはロシアとは違う生き方をしたいのです。ウォッカを飲むのに明け暮れるような…汚い言葉でごめんなさい、クソみたいな生活はしたくないのです。自分たちの国家を持ち、文明的な世界で暮らしたいのです。この戦争はウクライナとロシアの戦いではなく、世界観をめぐる戦いです。ロシアはソビエト時代に戻ることを望んでいます。皆が同じスタイルで暮らし、自分の頭で考えることもせず、誰かが刑務所の中で生きる世界です。一方ウクライナは自由な暮らしを望んでいます。ウォッカを飲むのか、冷蔵庫を買うのかを自分たちで決められる世界で生きたいのです」(「“つらいことを乗り越えるために、ユーモアを” 南部・ミコライウ市長/NHK」より) 

オレクサンドル・センケービッチ市長

2022年5月時点におけるミコライウのオレクサンドル・センケービッチ市長のこの言葉は、途轍もなく重い。

 

そんな街で生れ育ったオリガ・ハルランの思いは、痛いほど分かる。

 

母が住む実家近くも攻撃を受け、同じ地方にある町は跡形もないほどに破壊されたばかりか、ミコライウは大会の直前の7月19日にもロシア軍のミサイル攻撃を受け、子供4人が死亡、20人以上がけがをするなど今なお激闘が続いている状況下にあって、オリガ・ハルランはパリ五輪で弾け、気丈に振る舞うのだ。 

【ロシア軍が7月19日、ウクライナ南部ミコライウをミサイルで攻撃し、子供を含む3人が死亡、少なくとも14人が負傷した。国連総会は26日開幕のパリ五輪に合わせ、19日からの「五輪休戦」決議を採択していたが、順守されなかった】

オリガ・ハルラン

彼女が、オリンピックに初めて出場したのは2008年の北京大会。

 

個人種目では13位だったが、女子サーブル団体では、メンバーの1人として金メダル獲得に貢献した。

 

その後、前回の東京大会まで連続出場して3つのメダルを獲得し、ウクライナ国内では絶大な人気を誇るスター選手。

 

しかし、侵略後、彼女の選手生活は一変する。

 

故郷を離れて身寄りのあるイタリアに逃れて競技を続けられたが、家族にはウクライナに残らざるを得ない人もいて、ニュースで母国の悲惨な状況を知るたびに競技のことを考えることもできないほど、気が落ち込む日々が続いたと打ち明ける。 

オリガ・ハルラン

「国に残っている人たちや国を守るために戦っている人たちは、前を向いて進み続けていた。だから私もできることをして前に進み続けようとした」 

「前に進み続けようとした」(オリガ・ハルラン)


再び立ち上がったオリガ・ハルランの言葉もまた、途轍もなく重い。

 

そして、例の握手拒否失格事件。 

「戦禍においてスポーツと政治を切り離すことなどできない」


「握手拒否は心と魂でやったことでそれ以外の選択肢はなかった。人々を殺している軍隊を支持する可能性がある選手が平和を象徴するオリンピックに出場してよいのか。握手をすれば、母国での戦争は終わるのか。戦禍においてスポーツと政治を切り離すことなどできない」

 

ここまで言い切ったのである。

 

オリンピックが宿命的に内包する恒久のテーマに、誰が正解を提示できるのか。

 

そして、迎えたパリの舞台。

 

悔しいかな、オリガ・ハルランは準決勝で地元・フランスの選手に敗れ、金メダルの道は閉ざされた。

 

それでも3位決定戦では、会場から「オリハ!オリハ!」と背中を押すコールが沸き起こり、逆転勝利でウクライナ選手団にとって今大会初めてのメダルを獲得した。

 

彼女は試合後、その場に跪(ひざまず)いて、天を仰ぐように喜びを表現する。 

ウクライナ選手団で今大会初メダルをもたらして嗚咽するオリガ・ハルラン

直後、関係者席から駆け寄ったチームの仲間などと抱き合って喜びを分かち合うオリガ・ハルラン。 

【「国にささげる勝利だ。戦禍で失われた選手たちのため今も国を守ろうと戦っている人たちのために戦った。私たちはまだ困難な道を歩いているが、ウクライナは絶対に負けない。そして必ず自由を手にする」(オリガ・ハルラン)】


まさに彼女こそ、最強のアスリートである。 

オリガ・ハルラン

「私たちは強い」 ―― 国旗を掲げる最強のアスリート。

 

そう思うのだ。

 

そして今、朗報が届く。

オレクサンドル・ヒジニャク


東京五輪銀メダリストのオレクサンドル・ヒジニャク選手(ボクシング男子80キロ級)が遂に金メダル。万感の国歌に「私は国を愛しています。土地、水、空気…全てを愛しています。涙をこらえるのが大変でした…」とコメント。

涙を堪えながら国旗掲揚を見るオレクサンドル・ヒジニャク


録画を観ていて、涙を抑えられなかった。


【2024年8月8日正午の時点で、ウクライナが獲得したメダルは金3個を含む計8個】

 

【参照・引用】 

ウクライナの金メダリスト、ロシア選手の沈黙に落胆」 「オリハ・ハルラン銅メダル “ウクライナは絶対に負けない”/NHK


【本稿は「時代の風景」からの転載です】


 (2024年8月)

2021年9月16日木曜日

パラスポーツが世界を変える


【全ての医療従事者たちに深い感謝の念を抱きつつ、起筆します】  

 

若きエース・鳥海連志選手


1  今、地球上で最も変革を起こす力のあるスポーツの祭典が始まる

 

 

 

「失ったものを数えるな。残された機能を最大限に生かそう」(It's ability, not disability, that counts

 

この言葉は、「パラリンピックの父」と呼ばれるユダヤ系神経学者・ルートヴィヒ・グットマンが、先の大戦で傷痍(しょうい)軍人たちを治療している頃に残したものである。 

ルートヴィヒ・グットマン


COVID-19の広がりの只中で、パラリンピックの中止が真顔で語られ、開催批判の嵐に晒されていた。

 

それでも、パラアスリートらは開催を信じて、苛酷なトレーニングを続けていた。

 

「大会に無事に出ることのほうがメダルを取るより難しい、そういう時間を過ごしている選手がたくさんいる。それでも世界中がコロナと闘った先にパラリンピックを開ければ、コロナ禍を生き抜いた選手たちと世界中の人たちの心が1つになれると信じている」

 

こう語ったのは、「車椅子の鉄人」として、多数のパラアスリートから尊敬される伊藤智也選手。 

伊藤智也選手


2008年北京パラリンピック400mT52、800mT52で金メダル。

 

2012年ロンドンパラリンピックの400mT52で銀メダルを獲得した、現58歳のパラアスリートである。

 

【因みに、「T52」とは、障害に応じて競技グループを形成する「クラス分け」された等級の一つで、「T52」の場合は、肩関節、肘関節、手関節の機能は、正常もしくはほぼ正常である。指の曲げ伸ばしに重度の制限があり、投擲(とうてき)用具を把持(はじ)することが出来ない(C7 頚髄損傷レベル)クラスで、「日本パラ陸上競技連盟 クラス分け運営委員会」が規定している】

陸上クラス分け


日本パラ陸上競技連盟


Wikipediaによると、34歳の時に、難病の「多発性硬化症」(厚労省指定の特定疾患)を発症し、車椅子生活に入り、翌年から陸上を始めた伊藤智也選手にとって、COVID-19の広がりは、免疫系が自己の中枢神経組織を破壊する「自己免疫疾患」を持つ難病の故に、命の危険に関わる重大事である。

 

「僕にはウィズコロナはない」

 

伊藤智也選手の言葉である。 

「僕には“ウィズコロナ”はない。死に直結するので、大変な脅威だ。最大限、臆病にならざるをえない」


しかし、自宅にひきこもる生活を余儀なくされながらも、彼は「東京2020パラリンピック」を目指し、トレーニングを重ね、出場するに至った。

 

その理由が、先の言葉の中に結ばれている。

 

「東京2020パラリンピック」でもメダルが期待されていたが、その結果は、400mT53予選で敗退。

 

大会直前に障害の軽いクラス(T53)に変更されても、レース後半に両腕が動かなくなるくらい力走し、57秒16の自己記録をマークするものの、残念ながら決勝に進めなかった。

 

自己ベストの記録でも予選落ちしたのは、直前でのクラス変更のためだったが、本人は「クラスがどうであれ、全力でゴールラインを目指す姿勢に変わりはなかった。一生懸命走れた」と語った。 

陸上男子400メートル(車椅子T53)予選を走り終えた伊藤智也選手


そこに添える言辞の何ものもない。

 

失ったものを数えず、残された機能を最大限に生かした男の生きざまに、脳天を撃ち抜かれるようだった。

 

「車椅子の鉄人」伊藤智也選手のみならず、「東京2020パラリンピック」の限定されたスポットで、最大級のパフォーマンスを有形化したアスリートたちこそが、ルートヴィヒ・グットマンの言辞の体現者だったということである。

ルートヴィヒ・グットマン(中央)
 

       「失ったものを数えるな 残されたものを最大限生かせ」



ここで、改めて想起する。

 

2021年8月24日、「東京2020パラリンピック」の開会式での、アンドリュー・パーソンズIPC(国際パラリンピック委員会)会長のスピーチである。

 

アンドリュー・パーソンズIPC会長は、こう語ったのだ。 

          アンドリュー・パーソンズIPC会長

 

「多くの人がこの日が来ることを疑問に思っていました。多くの人が不可能だと思っていました。しかし、大勢の方々のおかげで、地球上でもっとも変革を起こす力のあるスポーツの祭典が始まろうとしています。

(略)日本にパラリンピック大会のレガシーとして、障害のある人々に対する新たな認識を残します。それにとどまりません。世界全体を変えたいと思います。

日本にパラリンピック大会・開会式


(略)パラリンピック競技大会はまさに変革のプラットホームです。

しかし、4年に一度では十分ではありません。よりよい共生社会(より包摂的な社会)を創れるかどうかは、それぞれの国で、街で、コミュニティで、私たち一人ひとりが自らの役割を日々果たすことにかかっています。

人類が団結してコロナウィルス感染症と戦うべき今、その調和を乱そうと望む者もいます。



私たちを一つにするものを見過ごし、違うところばかりに目を向けることは、差別を引き起こします。そして私たち人類がともに達成できるものを弱めていきます。

 

違いは強みであって弱さではありません。 

「違いを強みに変える」パラアスリートの山本恵理(パワーリフティング)


よりよい形での再建を目指す中、ポストコロナの世界がすべての人に機会が開かれる社会でなければなりません。

 

大会が延期された去年、パラリンピック・アスリートは希望の光となりました。不確実性の影が差す中でも、決してトレーニングを辞めませんでした。夢を追い続け、信じ続けたのです。必ず今夜この競技場に立てる、と。彼らは計り知れない力、良いことを巻き起こす力です。彼らの打たれ強さは多くの人に力を与えました。

しかし、彼らだけで成し遂げたわけではありません。彼らの後ろには、各国・地域のパラリンピック委員会、国際競技連盟が支え、そして導いて、人類が経験したことのない事態を乗り越えようと努めたのです。

これがパラリンピック・ムーブメントの力です。力を合わせ、アスリートが輝ける最高の舞台を用意したのです。

 

パラリンピアンの皆さん!

皆様はここに来るために、血と汗と涙を捧げました。

今こそ、世界に、皆様の技、力、強い意志を示す時です。

パラリンピアン

パラリンピアン

パラリンピアン・国枝慎吾選手


もしも、世界が一方的にあなたたちのことを傷つけたことがあるなら、今こそ、それを覆すときです。

自分はチャンピオン、英雄、友情、仲間、ロールモデル、或いは、一人の人間だと。

皆様は人類最高の姿です。

そして、皆様だけが、自分たちは何者かを決めることができるのです。

皆様は本物です。

皆様は素晴らしいのです。

皆様は、一番の高みを目指すと決められました。

皆様の活躍は、皆様の運命を変えるかもしれません。

でも、何より大事なことは、12億の人々の人生を永遠に変えるだろうということです。

それがスポーツの力です。

人々の行く末と社会を変革する力です。

変化はスポーツから始まります。

そして明日から、パラリンピック・アスリートたちは再び世界を変えていくでしょう」

 

この一文は、スピーチの原文が手元にないが故に、NHKでの同時通訳をベースに、国際パラリンピック委員会公式ホームページの開会式レポートを参照にして翻訳したもので、訳者・髙岡敦史氏が「誤訳の可能性あり」と自ら認めたもの。

 

しかし、その後のパラアスリートの躍動を目の当たりにしたとで、開会式で熱弁したアンドリュー・パーソンズIPC会長の思いがオーバーラップされ、ストレートに受容できる。

 

「地球上でもっとも変革を起こす力のあるスポーツの祭典」

「変化はスポーツから始まる」

「違いは強みであって弱さではない」

「パラアスリートたちが、再び世界を変えていく」

 

文字通り、この熱弁をトレースする「東京2020パラリンピック」だったからである。 

        お台場海浜公園に設置されたパラリンピックのロゴ


「さまざまな障害を持つ選手らは、外部との接触を断つ『バブル方式』に加え、補助器具などの消毒といった感染対策を徹底した」(日経社説 2021年9月6日)

 

加えて、開催中の活動拠点・選手村(中央区晴海)が、建物内の通路を幅広く取り、段差も解消するバリアフリー仕様だったこと ―― この事実を認知したい。 

パラリンピックの選手村のバリアフリー設計

共用廊下は車椅子と歩行者がすれ違える幅を確保する


この日経社説によって、「東京2020パラリンピック」が無事に閉幕したことが分かるだろう

 

【「バブル方式」とは 選手や運営関係者を隔離し、外部と接触させない方式】

 

【選手村跡地が高齢者向けの住宅やシェアハウス、保育所、医療モール、そして何より、水素ステーションを設置し、そこからパイプラインを通じて、マンションや商業施設、学校などに電力を供給する「水素タウン」が建設され、クリーンエネルギーの拠点になる】 

選手村

選手村はオリンピック開催後にどうなる?


COVID-19の広がりの渦中にあって、7000人の医療従事者や、延べ7万人以上ものボランティアの人々の強力なサポートを得て具現した「東京2020五輪・パラリンピック」。

 

只々、深謝(しんしゃ)の念しかない。

 

 

 

2  条件に関係なく、個々の能力に合わせて権利を担保する「公平性」こそ、パラスポーツの最強の知恵である

 

 

 

パラリンピックの競技種目は22種だが、獲得できる金メダルの数は、539個もある。

 

メダル数の違いが現出するのが、パラリンピックの大きな特徴。

 

なぜなら、パラリンピックでは、アスリートが同じ土俵で戦えるように緻密な「クラス分け」・「ポイント制度」という独自のシステムが存在するからである。

 

これは、IPC(国際パラリンピック委員会/本部はドイツ・ボン)の基準に沿って、国際競技連盟と、各種の国際障害者団体がルールを定めていることで判然とするだろう。 

ボンにあるIPC本部(ウィキ)


「クラス分け」の一つの要素は、選手の筋力や障害レベル、日常生活での動作能力、競技スキルなどを総合的に判断すること。 


IPCが定める障害基準は、以下の10種類。

 

・筋力低下

・他動関節可動域障害(療法士などによって保持される、関節を動かせる範囲=「関節可動域」の障害)

・四肢欠損(ししけっそん:「肢体不自由」の状態)

・脚長差(きゃくちょうさ左右の脚の長さの違い)

・低身長

・筋緊張亢進(こうしん:手足の筋肉が過剰に緊張し、動作が困難になる疾患)

・運動失調(協調性、バランス、言語に影響を及ぼす神経系の疾患)

・アテトーゼ(無意識に手足を動かすような運動障害)

・視覚障害

・知的障害

 

これには、「視覚障害者5人制サッカー」(「ブラインドサッカー」のこと)や「ゴールボール」鈴の入ったボールを互いに投げ合い、得点を競う視覚障害者スポーツ)のように、視覚障害の選手限定の競技もある。 

「ブラインドサッカー」

「静寂の中の格闘技」と言われる「ゴールボール」日本銅メダル ブラジル破り2大会ぶり表彰台


「クラス分け」の二つ目の要素は、パラアスリートのパフォーマンスにどの程度影響するかを判断すること。

 

障害レベルは多様なので、この分類システムは、同等の障害レベルがある競技者にグループ分けし、不利な状況を最小限に抑えるために行われるもの。

 

例えば、視覚障害者は視界の鮮明度によって3つのクラス(B1、B2、B3)に、「ブラインドサッカー」は、B1クラス(障害レベルが最も重いクラス)の基準を満たす選手に限定され、3つのクラスに分けない「ゴールボール」は、選手全員に、強い光から目を保護するための「アイシェード」の着用を義務づけている。 

ゴールボール競技専用アイシェード(目隠し)

【「ゴールボール」「アイシェード」を着用し、各選手のユニフォームの前後には、20cm以上の番号をつけ、番号は1番から9番のいずれかでなければならない】


また、陸上競技の「クラス分け」の精密さには驚かされる。

 

前記・10種類のいずれかの障害がある選手に対し、多くのクラスが設けられていて、各カテゴリーごとの選手や、障害レベルが異なる選手が参加できるという構成を成し、その各クラスには、それぞれのメダル種目があるのだ。

 

「選手たちの公平性を担保する」

 

これが、医師、理学療法士、コーチ、トレーナーなど、公認資格を持つ「クラス分け委員」によって、パラアスリートの残存能力を徹底的にチェックして判定される「クラス分け」の基本理念である。

 

かくて、視覚障害者を誘導するガイドランナー(伴走者)と、各種の音声ガイダンス(音声案内システム)、更に、聴覚障害者への競技スタートの合図の方法(スタートに合わせて光るシグナルを使う)など、様々な工夫が施されることになる。

 

ガイドランナーは、選手と紐(ひも)を握り合い、声をかけたりして選手を誘導するので、選手と息を合わせて走ることが重要で、且つ、高い競技力も求められる。トライアスロンの男子・PTV(視覚障害)で銅メダルを獲得した米岡聡(さとる)選手のコメントにもあったように、ガイドランナーの役割の大きさは、単に、選手の「伴走者」に留まらなかった】 

視覚障害者のガイドランナーは「特別な存在」

【1本のロープで繋がれた絆 ―― 全速力でゴールすると失格となるガイドランナーは、視覚障害の選手と一心同体となってサポートする】

米岡聡選手(左)とガイドランナー

同上

メダル獲得の背景には、万全の暑さ対策とガイドの椿浩平選手のレースの読みがあったと言われる


上肢切断の選手が身に付ける義手には、画像で分かるように、スタートや走る際の補助の役割があり、これが、スタート時のクラウチングスタート(両手を地面についた状態からのスタート)を可能にする。

選手は競技用の義手を使うことで、クラウチングスタートの時に体を支えることができる



左手に日常生活用の義手をつけて投擲(とうてき)する選手もいれば、義手を身に付けず、用具を活用する選手もいる。 

義手をつけて投擲する白砂匠庸(しらまさ たくや)選手

【白砂匠庸選手「農作業の機械に手を入れてしまって、左手関節から先を失いました。今でも記憶に残っていますね。でもその当時は、『僕の左手なくなっちゃった』という軽い感じで受け止めていたので、精神的なショックはあまりなかったです」】

 

「義足で跳ぶ走幅跳」では、力を加えると強く反発する義足の特性を生かし、障害を受けていない側の健足ではなく、義足で力強く踏み切って跳躍するのだ。 

【陸上女子走り幅跳び(T63)に出場した前川楓(かえで)選手は、「障害や義足を個性の一つとして日常に溶け込ませたい」と発信する】


「こん棒投げ」は、握力を失い、投擲が困難な選手を対象に、台座に座って、木製のこん棒を投げて飛距離を競うパラ陸上独自の種目で、槍投げと同じ規則で行われるが、都立工芸高校の定時制の高校生が製作した木製のこん棒(長さ40センチ、重さ400グラム)が、初めて使用される競技として知られていて、常に、縁の下の力持ちが伏在していることを示す適例でもある。 

高校生が製作したこん棒

こん棒投げの様子。座った状態であれば、選手は自由なフォームで投げられる


そして、東京大会から新種目として加わった「ユニバーサルリレー」。

 

パラ陸上における多様性の象徴として際立つこの競技は、各走順ごとに障害の種類が異なる選手が走り、男女混合で行われるリレーで、各走者の障害カテゴリーが決まっているのだ。

ユニバーサルリレー

 

第1走者(視覚障害)⇒第2走者(切断・機能障害)⇒第3走者(脳性麻痺/立位)⇒第4走者(車椅子)で構成される。 

【松本選手(写真左)|初めてリレーに参加してみて、新鮮でした。4走の車いすの選手にタッチするとき、思ったより低くて、「ひくっ!」と思いました。難しかったので練習したいです】


興味深いのは、各カテゴリーで、最も障害レベルの軽いクラスの選手が、最大2名しか出場できず、且つ、男女2名ずつでメンバーを構成するという点。

 

ユニバーサルリレー、パラの魅力凝縮 障害異なる男女4人

銅メダルを獲得した4人の選手


障害の種類も性別も混合という凄みに圧倒される。

 

多様性を象徴するパラリンピックの極点が、ここにある。

 

それは、パラ陸上の徹底的な「クラス分け」の凄みである。

 

この「クラス分け」によって、前述の通り、自己記録をマークしたにも拘らず、決勝に進めなくとも晴れ晴れとしたコメントを残した、「車椅子の鉄人」伊藤智也選手の心情を察することができるだろう。 

58歳の“鉄人”伊藤智也選手が意地の自己ベスト クラス変更の壁、予選敗退


「大切なのは、個性の尊重、多様性と調和、共生社会の実現といった理念を言葉だけに終わらせず、内容を咀嚼(そしゃく)し、血肉化することだ」(朝日社説 2021年9月6日)

 

「パラリンピックでは政治が前面に出る場面は少なかった。競技そのものに人々の関心が集まり、パラアスリートの魅力が印象づけられた。五輪のあり方にも一石を投じたのではないか」(毎日社説 2021年9月6日)

 

「私たちが大会で出会ったのは『かわいそうな人々』ではない。残された体の機能を使い、全身で自分を表現する、生命力に満ちた『本物』のアスリートだった」(産経社説 2021年9月6日)

 

パラ競技の底力と奥深さ。 

【「ジャックボール」と呼ばれる白いボール(目標球)を投げ、赤・青のそれぞれ6球ずつのボールを投球して、いかに近づけるかを競う「ボッチャ」は、重度脳性麻痺や四肢重度機能障者のために考案されたスポーツ。団体で日本は銅メダル】


ボッチャのルール

2008年の北京パラリンピックでのボッチャの競技風景(ウィキ)

【車椅子フェンシング/男子フルーレ個人(障害B)に出た藤田道宣(日本オラクル)選手は、1勝5敗で1次リーグ敗退。本来は今大会で実施されていない重度の障害Cの選手(19歳の夏に頸椎損傷し、下半身麻痺となり、上肢にも障害があり、握力は右手がゼロ)だが、言い訳は一切せず「まだまだ経験が足りないと感じた」と受け入れた】

【パワーリフティング/専用の台にあおむけになって行うベンチプレスのみで競われる。競技は障がいの程度に関係なく、体重別に男女各10階級に分かれて競われる。男子59キロ級(運動機能障害)の光瀬智洋(こうせともひろ)選手は、出場10選手中10位だったが、納得の記録を残した。6月のワールドカップで出した日本記録を2キロ更新する145キロに成功。「最高です。自分を信じてやってきたことが大きい」と喜んだ】  

【パラリンピックの卓球の知的障害のクラスでは、日本選手初のメダルとなる銅メダル獲得した伊藤槙紀(いとうまき)選手。「メダルを取れたことはうれしいが、今は悔しい気持ち。相手のショットは返すのが難しかったが、試合中に少しずつ返せるようになった。いい勉強になった」】

【今大会から採用されたバドミントン女子シングルス(車いすWH1)で、里見紗李奈(さりな)選手が、逆転勝ちで金メダルを獲得した。高3の時、交通事故で脊髄損傷し、両下肢に障害が残るが、知り合いに会うのを恐れ、1ヶ月間、家にこもっていた彼女は、「プライドもあったし、同情されたくなくて、車椅子になったのも隠していた」と言う。「起きてしまったことは仕方がない」という両親の支えがあって、パラバドミントンと出会い、のめり込んでいったと述懐する】

【木村敬一選手 悲願の金メダル「『この日』のために頑張ってきた『この日』って本当に来るんだなって。すごい幸せです」】


 
まさに、パラスポーツの底力と奥深さを実感させられた13日間だった。


―― 条件に関係なく、権利を一様にする「平等性」と、個々の能力に合わせて権利を担保する「公平性」との違いこそ、私たちがパラリンピックで学ぶ最強の知恵であるということ。

 

これに尽きないだろうか。

 

 

 

3  笑みを捨てない少女は「天使」になったのか

 

 

 

それにしても、杉浦佳子(けいこ)選手のパフォーマンスには驚嘆する。 

練習に励む杉浦選手

「五輪では日本最年少の13歳が金に輝いた。注目を集めたのは若者だけではない。パラリンピックでは日本の金メダリストの最年長記録が更新された。自転車個人の女子ロードで、50歳の杉浦佳子選手が金2つを獲得。『最年少記録は更新できないけど、最年長はまた更新できる』。挑み続ける杉浦選手の姿は、障害の有無を問わず『同世代として誇り』などとSNS上で反響を生んだ」 

「最年長記録はまた更新できる」


「静岡県で行われたロードレース大会のレース中に落車し、脳挫傷、外傷性くも膜下出血、頭蓋骨・鎖骨・肋骨・肩甲骨を粉砕骨折、三半規管損傷を負う」(Wikipedia)という大事故によって、生死の境を彷徨(さまよ)い、意識が戻ったのは1週間後だった。

 

本人によると、脳へのダメージは大きく、母親以外の記憶はほぼなく、字も読めなかったと言う。

 

「一生、施設暮らしだろう」

 

これが、担当医からの言葉。

 

2016年4月のこと。

 

45歳だった。

 

薬剤師として働きながら、30代から趣味でトライアスロンを始め、自転車レースにも出場し始めた彼女が負った大事故は、絶望からの人生をリスタートさせていく。 

杉浦佳子さん(薬剤師+パラアスリート)


大事故を機に生まれ変わったのである。

 

トライアスロンを楽しんでいた薬剤師の、パラアスリートへの人生は、ここから開かれていくのだ。

 

記憶力などが低下する高次脳機能障害と、右半身の麻痺が残る彼女が奇跡的回復を遂げたのは、懸命にリハビリに取り組んだこと。

 

「体力の回復に、エアロバイクを使いました。有酸素運動なので、脳の回復にも良かったのだと思います。さらに記憶の回復のために、漢字や計算ドリルもこなしました。一役かったのは、友人からのメールでした。写真つきのメッセージを見ても、字が読めません。でも見たことはあるんです。そこで、写真から想像し、思い出していきました」

 

杉浦選手の言葉である。

脳挫傷に記憶障害…自転車レースの大事故から驚異の回復をとげた杉浦佳子選手

 

私自身、20年余に及ぶ「リハビリ人生」を送っているが、絶対に治癒せず、そのまま放っておくと動けなくなる脊損の恐怖で絶望の淵に押し込まれてしまうので、ベッドに身を預けている時は、手足を動かすことを止められない。

 

動かさなければ、終わってしまう。

 

それでも命を繋いでいられるのは、「これをやらねば死ねない何か」を持っているからである。

 

何の能力もない私の場合、こんな文章を書くことが、「これをやらねば死ねない何か」になっている。

 

杉浦選手にとって、「これをやらねば死ねない何か」になっているか不分明だが、自転車競技への参戦が彼女の人生のリスタートの「何か」であったのではないか。

 

そして、上り詰めた彼女の人生のリスタートは順風満帆だった。

 

パラサイクリング選手として登録した彼女は、2017年8月に、パラサイクリング世界選手権大会に出場し、ロードタイムトライアル種目で金メダルを獲得する。

 

事故から、僅か約1年半後のことで驚かされる。

 

その後の活躍には目を見張るものがあり、「彗星のごとく現れたロードの女王」として、パラサイクリング業界を大いに沸かせるに至るのだ。

 

そして迎えた「東京2020パラリンピック」。

 

1周8キロのコースを2周する16キロで争われた、自転車女子個人ロードタイムトライアル(運動機能障害C1~3)で、彼女が日本人最年長の金初出場メダルを獲得したことは広く知られている。 

ロード女子タイムトライアルで金メダルを獲得した杉浦選手

女子個人ロードタイムトライアル(運動機能障害C1~3) 力走する杉浦佳子選手

「障害のある私でも喜んで受け入れてくれた」


9月11日に配信されたスポニチの記事によると、自身のツイッターで、「ずっと私を支えてくれた人達のお陰で掴んだ結果です!!ありがとうございました」と感謝の言葉を記したあと、杉浦佳子選手は以下の思いを綴ったのである。

 

「生きていてよかった」

 

この一言は、彼女の人生のリスタートの、それ以外にない結晶点だったことを凝縮していて、深く胸に響く。

 

―― 杉浦佳子選手と同様に、驚嘆させられたパラアスリートがいる。 

西島美保子選手

日本選手最年長66歳で、女子マラソンT12(視覚障害)の西島美保子選手である。

 

「自分のペースで、周りに惑わされることなく走れた」

 

暑さに苦しんだ初出場のリオ大会では、脱水症状で終盤に途中棄権した彼女の言葉である。

 

レース前半から力強い走りを見せたが、「30キロ以降から足の調子がおかしくなった」と明かす西島選手。

 

足が痙攣し、何度も立ち止まることになる。

 

私のように心臓疾患がある者にとって、マラソンはとても怖い競技である。

 

昔、マラトンからアテネ(古名はアテナイ)までの40キロを、伝令使が走って、倒れて死んだという古代ギリシアの故事でも分かるように、マラソンは身体に大きな負荷(特に心臓)をかける競技なのである。

 

現に、西島選手は、動画を見る限り、40キロ近辺でふらついていて、今にも転倒しそうだった。 


それでも最後まで走り切り、3時間29分12秒で8位入賞を果たしたのである。 

西島美保子選手 悲願の完走

「悔しい思いで5年間やってきたので、ゴールすることができて、それだけは良かった」 

「ゴールが見えた時はうれしかった」

この言葉の中に、完走することに全てを懸けた西島選手の思いが詰まっている。

 

「家族はもちろんですけど、何年も(一緒に)走っている伴走の方とか、送り迎えとかいろいろなところでサポートしてくれているので、ありがとうの気持ちでいっぱいです」

 

彼女を支えてくれた視覚障害者で現役ランナーの夫や息子2人、地元の視覚障害者らのマラソン愛好会、伴走を担ってくれたランナーへの感謝の念が、このコメントに表現されている。

 

「2回も走れてよかった。ありがとう…今回で最後にさせていただきたい」

 

彼女の最後のパラリンピックは、目を輝かせて語る一人の強靭な日本女性の、その人生の一つの最高の収束点だったのである。 

西島美保子さん


道下美里選手が金メダル(3時間0分50秒)の栄光に輝いた女子マラソンで、42キロもの距離を完走し、8位入賞した視覚障害者の姿に心打たれる。 

ガイドランナーと並走し、金 メダルに輝く道下美里(みちした みさと)選手

陸上 女子マラソン(視覚障害T11、12)。藤井由美子選手が5位に入った



―― そして、どうしても紹介したいパラアスリートがいる。

 

報道で知られていると思うが、アーチェリーの岡崎愛子選手である。 

岡崎愛子選手


彼女が有名なのは、同志社大2年の時に、107名の犠牲者を出した福知山線脱線事故(2005年4月25日)で、大破した先頭車両に乗っていたため頸髄(けいずい)を損傷し、肺挫傷による肺炎で呼吸困難に陥り、死を覚悟する日々の中で、377日間に及ぶ入院生活を経て、脱線事故の最後の退院者となった経緯があるからである。 

       福知山線脱線事故・事故現場の空撮写真(ウィキ)



「死んだ方がまし」

 

奇跡的に一命を取り留めたものの、首から下に麻痺が残り、体の自由を奪われた彼女の思いは、頸髄損傷に罹患した私にはよく分かる。

 

「どんな状態でも生きていてほしい」

 

この家族の願いを受け入れるには時間を要したが、「できないことを嘆くより、できることを見つけていこう」という心境に達した彼女の人生を変えたのが、母の勧めで25年から始めたアーチェリーだった。

 

卒業すると上京し、ソニーに勤め、一人暮らしをして必死に働いていた頃である。

 

事故の後遺症で握力は、ほぼゼロで、肺活量は一般女性の半分しかない。

 

それでも、滑車などの補助用具が付き、弱い力でも引ける弓「コンパウンド」(弓を引き切ると力が軽減される)を使い、試行錯誤を繰り返して腕を磨いていく。 

「コンパウンド」を使い、弓を引く


2019年に初出場した、オランダで行われたパラアーチェリー世界選手権男女ミックス戦(W1)で3位となり、「東京2020パラリンピック」への出場枠を獲得した。

 

「もう15年。この先も被害者と言われ続けるのは嫌。変えられない過去にとらわれたくない」

 

「事故の被害者」というラベリングを嫌う彼女の気持ちもよく分かる。

 

どこまでも、一人のアスリートなのだ。

 

だから、射手としての高みを目指す。

 

「東京2020パラリンピック」で惜しくもメダルには届かなかったが、苦難を乗り越えて出場した夢の舞台で、最後まで堂々と矢を放った彼女は、こう振り返った

 

「自分のアーチェリーをすることに集中した。楽しめた」 

岡崎愛子選手

嘘偽りのない言葉として受容できる。                        

 

岡崎愛子選手

岡崎愛子選手


―― 度肝を抜かれるパラアスリートもいた。

 

「東京2020パラリンピック」で、「生まれつき両腕がなく両足の長さも異なる。水を蹴り、両肩を揺らして進む唯一無二の泳法」によって、「最年少メダリスト」となった水泳女子の山田美幸(みゆき)選手である。 

山田美幸選手


何度、動画を見ても感動する。

 

14歳の少女(中学3年生)がプールに登場するや、場内から大きな拍手が巻き起こる。 

日本選手団最年少で初出場の山田美幸選手

14歳「新世代ヒロイン」山田美幸選手


生まれつき両腕を失っている少女は、左右長さの違う足を上げて、声援に応えていく。

 

彼女から、笑みしか拾えないのだ。

 

「この船に乗ってみたらどうだ」

 

そう言って、世界へと背中を押してくれたのは、2019年に逝去した亡き父だった。

 

「お父さんはカッパだった」

 

父の口癖である。

 

「頑張ったよ。私もカッパになったよ」

 

レース後の取材での、少女の言葉である。

 

この時は、声を詰まらせた。

 

少女の場合、父の決断なしに何も進まなかった。

 

家族内で議論が必至だったのは、全て障害の重さに起因する。

 

だから、病を患う父が背中を押してくれなければ、パラスイマーとして名を残すことは叶わなかった。

 

これを可能にした、前述した父の力強い言葉。

 

ここから開かれていく少女の旅は、決して順風満帆とは言えなかった。

 

癌を患う父の永逝(えいせい)。

 

衝撃を受け、少女の心理的ダメージは酷薄な風景に呑み込まれいくようだった。

 

「水泳を続けたい」

 

そんな少女が、強い意思に結ばれた。

 

父を喪って、1カ月余り経った頃だった。

 

爾来、内面に負った辛い心情を、人前で見せたことは一度もないという。

 

心的外傷を内深く押し込めることなど、容易にできようがない。

 

それでも、電動車椅子を駆使して生きる少女は、パラ競泳のプールを泳ぐ。 

14歳「新世代ヒロイン」山田美幸選手

女子50メートル自由形(S2)で日本新記録をマークした山田美幸選手


残された足の機能をフル稼働させ、唯一の泳法でカッパになるのだ。

唯一の泳法でカッパになる山田美幸選手

 
唯一の泳法でカッパになる山田美幸選手


140センチ、33キロの小さな体を巧みに駆使して掴んだ、二つの銀メダル。

 

笑みを捨てない少女は「天使」になったのか。 

銀メダルを受け取り笑顔の山田美幸選手

少女は「天使」になったのか


その表情から推し量れない思いの向こうに、いつも、昇天した父が生き続けているようである。 

少女は「天使」になったのか

 

 

4  「可哀そうな人々」ではない若者たちが、パラスポーツの価値観を変えていく

 

 

 

私にとって、視線が釘付けになる競技があった。

 

車椅子ラグビーと車椅子バスケである。

 

車椅子競技の中で唯一、相手へのタックルが認められている男女混合の競技である車椅子ラグビーの魅力は、車椅子同士が激しく衝突する迫力あるプレーが特徴で、観ていて興奮が収まらない。 

車椅子ラグビー


NHKの「東京パラリンピック“車いすラグビー”競技ルールとポイント」によると、 後輪の車軸より後ろにタックルして、相手のバランスを失わせたり転倒させたりするのは反則ということ。

 

ルールも興味深い。

 

車椅子の2つの車輪がトライラインを通過すると得点になり、ラグビーとは異なり、前方へのパスが認められている。

 

1チーム12人まで登録でき、試合には4人が出場し、交代の人数や回数については制限がない。 

車椅子ラグビーのルール

そして、障害の程度によって「0.5」から「3.5」まで7段階の持ち点があり、コート上の4人の持ち点が、合計で8点を超えてはいけない。

 

何より興味が掻(か)き立てられるのは、女子選手が入る場合は、持ち点の上限が女子1人につき「0.5」プラスされること。

 

これは利点である。

 

そんな車椅子ラグビーの屈強な男たちの中に、ポニーテールをなびかせ、躍動する選手が視野に入った。

 

倉橋香衣(くらはしかえ)選手である。 

車椅子ラグビー混合準決勝で競り合う倉橋選手


大学のトランポリン部に入部し、トランポリン大会の練習中に技を失敗し、首の骨が折れ、頸髄損傷に罹患する。

 

「背中から落ちれば怪我はないと思ったのですが、上下がわからなかったので頭を入れることができずに、そのまま頭から落ちてしまったのです」 

倉橋選手


事故現場では、トランポリンが安定するように、男子部員たちが下から背中で支えて、救急隊員の処置を受けた。

 

過去に、頚髄損傷の事故を経験していたコーチによる的確な指示が幸いし、彼女は首を動かされることもなく、救急隊に引き継がれたのである。

 

鎖骨から下の感覚を失い、動かせなくなるのは、肩と腕の一部のみ。

 

大学3年生の時だった。

 

大学教育学部卒業後に商船三井に入社し、17年、日本代表に女子選手として唯一選出された倉橋選手にとって、ポイントが加算されるメリットがあっても、自問自答を重ねるのだ。

 

「あまり試合にも出ていないのに、選考合宿に呼ばれるなんて、私のどこを見て選んでくれたんだろうと思っていたのですが、呼ばれたからには頑張ろうと思っていました」 

倉橋選手

彼女を選んだのは、元アメリカ、カナダの代表監督を務めたケビン・オアー氏。

 

ヘッドコーチである。 

ケビン・オアー監督

その根拠は、倉橋選手の「センスの良さ」だった。

 

障害の重いクラスの選手なので、倉橋選手の役割はディフェンスにある。

 

守備用・車椅子ラグビーの前部には、相手の動きをブロックするバンパーが装着されていて、相手チームのハイポインターの動きを止めることが使命になる。

 

ゲームの展開を先読みして、コースを押さえたり、走り込む相手選手にコンタクトして、動きを封じ込むのだ。 

倉橋選手

障害が重いが故に、常に、先を読んだプレーが求められる大切な役割を、彼女は担っているのである。 


相手のエースの行く手を、彼女がタックルで阻むのだ。 

   第2ピリオド、フランス選手と競り合う島川選手(左)と倉橋選手(右)



そんな大切な役割を担う倉橋選手は、逞しく頑丈な男たちの中に存在する、唯一の女性選手への偏見に対して、こう言い切っている。

 

「ジャパンパラで記者の方々に囲まれましたが、日本代表初の女性選手だからとか、珍しいからという理由でインタビューを求められるっておかしいと思っていました。いいプレーをしてインタビューを受けるならいいのですが、そうではありません。私が女だからです。男女混合の競技なので女性がいてもいいはずです。そう思ったら余計にがんばろうと思いました」

 

とても共感する。

 

障害の程度や、性別の異なる様々な選手の持ち味を、重要な局面に応じて生かすことが、この競技の魅力を高めている。 

車椅子ラグビーのポイント制度


東京五輪で、LGBTQ(性的少数者)を公表して参加した選手が、180人以上に達した事実に端的に現れているように、多様性の奥深い意味を、私たちは学習するのである。 

LGBTQ


かくて、ライリー・バット選手擁するオーストラリアとの銅メダルを懸けたゲームにも、倉橋選手は出場していた。 

ライリー・バット選手


そこで勝利した車椅子ラグビー・日本代表には、金メダルを獲得できなかった不満よりも、銅メダル戦を制した喜びが吐露されていたように思われる。 

    銅メダルを獲得した(左から)池選手、島川選手、池崎選手は笑顔で記念撮影

日本が誇るスピードスター・池崎大輔選手


車椅子ラグビー3位決定戦、豪州を破り銅メダルを獲得し笑顔を浮かべる倉橋香衣選手(左)、池透暢選手(中央)

倉橋香衣選手


9月10日、神戸市役所を訪れた倉橋選手は、市から神戸栄誉賞が贈られた。 

倉橋選手

「銅メダルを持ってかえってこられたことに安心感と、メダル以上にお祝いしていただける環境がすごくうれしく思っています」

 

その際の彼女のコメントである。

 

「環境」への感謝は、殆どのパラアスリートから聞かれる言葉である。

 

賛否両論渦巻く渦中で、「東京2020オリンピック・パラリンピック」の開催が如何に困難であったかという事態を、私たちは忘れてはならない。 

「東京2020パラリンピック」開催式


それでも開催できたことに感謝するパラアスリートの思いに対しても、私たちは忘れてはならないだろう。

 

―― 本稿の最後に、車椅子バスケットボール男子について言及したい。

 

【チーム力の公平性を保つために、車椅子バスケットボールにも「ポイント制度」がある。障害の程度に応じ、各選手に対して、1.0~4.5の持ち点を設定し、障害が軽いほど点数が高くなる。そして、5人の選手の持ち点の合計が14点以内になるようチームを編成しなければならないというルールである。以下、各選手の()内にポイントを表示】

 

決勝にまで進み、「東京2020パラリンピック」の最終日に行われた、アメリカとの壮絶な闘いに惜敗した12名のアスリートのパフォーマンスに感動し、衝撃さえ受けた。 

【メダルセレモニー後、集合写真に納まる車椅子バスケットボール男子日本代表/手を挙げているのは秋田選手、藤本選手(中央)と香西選手(その左)】


全試合を見ていて、震えが走ったほどである。

 

リアルに考えれば、点差は60対64と僅か4点であるが、この4点の差は、恐らく、僅差として片づけられないほどの、アメリカとの決定的な実力差を示す数字であるだろう。

 

それは、相手エースで、キャプテンであり、アメリカの得点源であるスティーブ・セリオ選手(3.5)の完璧なフリースローを見せつけられ、実感させられた。 

スティーブ・セリオ選手


【選手村に入村後、米国との練習試合を実施していたが、全く歯が立たなかった。京谷和幸監督は、後日、米国の日本評が「プリティー・イージー(非常に楽)」だったと耳にし、「次に対戦したら、一泡吹かせてやる」と意気込んでいた。そして、大会最終日の大一番でその誓いを示したのである】

 

「チャレンジャーの気持ちで臨んだ。勝つことはできなかったけれど、今までやってきたことを最後まで出し切ろうと言っていました。このチームの目標はメダル獲得。それを達成できたのは良かった。接戦をできたというところで(世界一に)届きそうという希望も見えてきた。次の代表がこの借りを返してくれると思います」

 

主将を務めた豊島英(とよしまあきら/2.0)選手の言葉である。 

男子代表の小さな大黒柱・豊島英選手


体調不良で、翌日の会見に出席できなかったのは残念だったが、彼の言う「一心」という言葉の意味は、「チームの心を一つにして戦おう」ということ。 

豊島(左から4人目)は、京谷HC(右端)に「このチームは豊島じゃなければだめだった」と言わしめるキャプテンシーでチームをけん引した】


このキャプテンの存在が、17歳もの年齢差の選手を、「一心」という言葉でチームビルディングを構築し、男子バスケの結束力を体現していった。

 

「試合直後は、この大会が最後という選手たちと、もうバスケができないんだなと思うと涙が出た。この試合、もうちょっとだったのになという気持ちが強い。一緒に強化を図ってきたこの12人以外のメンバーにも感謝したい」

 

スリーポイントの名手で、ポイントゲッターの香西宏昭(こうざいひろあき/3.5)選手の、この言葉が、チームが「一心」と化し、「東京2020パラリンピック」でゲームごとに力をつけていったと思われる、12人の男たちの強力な結束力を代弁しているだろう。 

香西選手(中央)

香西選手


「メンバーが変わってもちゃんと仕事を発揮する後輩たちを見ながら、自分自身も支えられながら勇気づけられながら過ごした40分間でした」

 

5大会連続でパラリンピックに出場している藤本怜央(れお/4.5)選手のコメントもまた、強力な結束力を体現したチームへの誇りが感受できる。 

共にチームを支えた香西選手(左)と日の丸を持ち、そして銀メダルを掲げる藤本選手


「ちゃんと仕事を発揮する後輩たち」の中で、目を引いたのは、最年少の赤石竜我(りゅうが/2.5)選手と、鳥海連志(ちょうかい れんし/2.5)選手。 

決勝進出を決め、赤石竜我選手(左)と喜ぶ鳥海選手


5歳の時に、ホプキンス症候群(当時、日本で3人目と言われる、遺伝性疾患の難病)により脊髄損傷によって車椅子生活に入った赤石選手だが、トランジション(攻守の切り替え)が求められるバスケにおいて発揮される、攻撃的なディフェンスとスピードのあるプレーは、決勝戦でも際立っていた。

 

「(決勝戦終了後)アメリカ代表が喜んでいる姿を見て、本当にあの色のメダルが欲しかったなと。金メダルに向けてリベンジしたい。それでも、世界で2番目に強いチームということなので、胸を張って堂々と帰りたい」

 

赤石青年の力強いコメントである。 

ガッツあふれるプレーで日本の力になった赤石選手


2022年に延期された「U23世界選手権」(千葉ポートアリーナ)で、存分に躍動して欲しい。 

千葉ポートアリーナ(ウィキ)


そして、誰よりも目立っていたのが、鳥海連志選手。

 

「自分で限界を決めない」という言葉をモットーにしている彼は、持ち前のスピードを生かし、従来のローポインター像(比較的障害が重い2.5)にとどまらない活躍を見せ、一気に若きエースの実力を発揮し、車椅子男子バスケで弾けていた。

 

鮮やかなバックパスや、車椅子の片輪を持ち上げての体を張ったブロック。

 

スピードある切り込みやチェアワークを披露し、次々と得点を決める。

 

これが、初戦のコロンビア戦において、15得点、17リバウンド、10アシストという「トリプルダブル」を達成し、観る者を釘付けにした凄みは、私自身が見聞きしたこと。 

初戦のコロンビア戦で「トリプルダブル」を達成し、勝利を喜ぶ鳥海連志選手(右)


驚かされたのは、ゲーム後のコメント。

 

「今日、うまくできなかったところを明日は良くすること。今日、良かったことを明日も継続すること。大会を通じてより良いチームになり、結果を残したい」

 

感心することしきりだった。

 

彼は、こんなことも言う。

 

「ディフェンスで、代表チーム内でのキャラクターを確立してきたと自負しています。泥臭いプレーでチームに貢献するのが僕の役割」

 

自分がシュートを打つことを最優先せずに、よりいい位置にいる選手にパスを回すのだ。

 

特に鮮烈だったのは、コロンビア戦でのバックビハインドパス。

 

技術的には難しくないが、これを瞬時に判断し、パスする光景は流れを変えたのでビッグプレーになっていた。

 

仲間を生かす視野の広さ。

 

この客観性が、彼の最大の武器とも言える。

 

その後の躍動は、よく知られている。

 

「(右手指が1本、左手指が3本欠損)があって、パスもシュートも左手ではできません。逆に、下半身の障がいは軽度。だからスピードやチェアワークは、ほかのローポインターと比較してもそれなりのレベルにあると思います。片輪を上げて高さを出す『ティルティング』など、大きいアクションでプレーすることで、相手チームのローポインターとのマッチアップで違いを作りだすことを意識しながらプレーしています」

 

草なぎ剛に吐露した、鳥海青年の歯切れのいい言葉である。

 

生まれた時から両手の指がなく、両足の脛(すね)の骨の障害のため3歳で太腿(ふともも)の半分から下を失うが、保育施設に通っていた時は、健常者の子供と共に自然の中で遊び、小学校の体育の授業でも義足で受けていたほど、活発な子だった。 

鳥海選手は、右手指が1本、左手指が3本欠損している


義足不要の自宅では、逆立ちで階段を上がり、「空中腕立て伏せ」もやってのけているのだ。

 

「お母さんは連志とは体が違うけん、できることできないことが分からない。やってみて判断しなさい。できなかったら、他の方法を考えてごらん」

 

このように、母から幼少期に言われ続けられたらしい。

 

「できること」を探求して、行動に繋いでいく少年。

 

それが、「自分で限界を決めない」というモットーに結ばれているのだろうか。

 

障害を特段に意識しない一人の活発な少年が、中学生の時に学校関係者に誘われ、車椅子バスケットボールと出会うことになり、少年の競技人生が開かれていく。

 

高校時代には日本代表強化合宿に初招集されるや、抜群の身体能力によって日本代表に定着するようになる。

 

2016年のリオデジャネイロ大会では17歳で代表入りし、チーム最年少で世界の舞台を経験した。

 

そして迎えた「東京2020パラリンピック」。

 

この特別なスポットで、鳥海青年は弾け捲(まく)るのである。

 

驚異のスピードで敵を攪乱(かくらん)し、攻守の切り替えが速い「トランジション・バスケ」を体現していく。 

「トランジション・バスケット」の戦術で生きた鳥海選手の速さ

カナダ戦、車椅子バスケットボール界のマイケル・ジョーダンとも呼ばれるパトリック・アンダーソン選手(左)と競り合う鳥海選手(右)


中でも、車椅子の片輪を浮かせて(「ティルティング」)、その高さでシュートを決めるのだ。 

第3クオーター。片輪を上げて高さを出す、高度な「ティルティング」からシュートを決める鳥海選手/香西選手(右)


圧巻だった。

 

この妙技は、決勝戦でも発揮された。

 

第4クオーターの中盤で、「ティルティング」の姿勢からシュートを決め、アメリカに5点差をつける。

 

数時間後に「閉会式」が待つ決勝戦で、最もエキサイティングな時間帯になり、テレビ観戦していて、感情の昂(たか)ぶりが抑えられなくなった。

 

しかし、そこまでだった。

 

アメリカは甘くない。

 

スティーブ・セリオ選手を中心としたアメリカバスケの底力を見せつけられ、万事休す。 

スティーブ・セリオ選手と鳥海選手


「1本のシュート、一つのミス、何か一つで流れが変わる」

 

この鳥海選手の反省の弁が端的に表現しているように、日本のオフェンスに狂いが生じる。

 

堪(たま)らずに、京谷和幸(きょうやかずゆき)ヘッドコーチがタイムアウトを取るが、ゲームの再構築は困難を極める。

 

古澤拓也(3.0)選手のスリーポイントシュートの失敗と、香西選手のファール。

 

それに対して、再三にわたる、スティーブ・セリオ選手の冷静なフリースロー。

 

もう、ゲームの流れを変えられなくなった。

 

【「シュートを決めるのは僕の仕事であり、責任。決め切れなかったのは悔しい」と、試合後に古澤選手は地団駄を踏んでいる】 

米国戦でゴールを狙う古沢拓也選手(3.0)


世界トップクラスの鳥海選手のスピードとクイックネス(俊敏性)は、アメリカの注目の的になっていた。

 

だから、背番号「2」に対するマークもきつい。

 

第4クオーターで、シュートも外してしまう。

 

勢いで勝ってきた車椅子男子バスケは、決定的な時間帯で、決定的に敗れたのである。

 

「リオからの約5年間、苦しい日々しかなかった。バスケットボールを続けるか悩んだ時期もあったが、続けてよかった。(銀メダルは)苦しい時間を乗り越えた結果。そう考えると、金メダルは近いものではないと思う」 

銀メダルを掲げ笑顔を見せる鳥海選手

ベテランの一人、宮島徹也選手(右)もゲーム終了後、涙が止まらなかった


鳥海青年の、試合後のコメントである。

 

「攻守両面でリズムを生み出せる。若いけど、強心臓な男。チームの中心選手になっている」

 

従来のローポインター像に留まらない活躍を見せた若者に対する、京谷和幸ヘッドコーチの評価である。 

開会式を翌日に控えた練習後、スタッフと話し込む車椅子バスケ男子の京谷和幸ヘッドコーチ(中央)


ベテランの藤本怜央選手(37歳)、香西宏昭選手(33歳)に頼りがちだったチームを勢いづけ、厚みをもたらした一人の若者が、パラスポーツの価値観を変えていく。


トルコ戦の第3クオーター、ドリブルで前進する鳥海連志選手

コロンビア戦で、片輪を浮かせて高さをかせぐ「ティルティング」でシュートを放つ鳥海連志選手


9月9日、「国際車いすバスケットボール連盟」は、「東京パラリンピック」の男子MVPに日本代表初の銀メダル獲得に貢献した鳥海連志選手を選んだと発表した。

 

「可哀そうな人々」ではないパラアスリートたちは、「今・自分に・何ができるか」・「できなかったら、他の方法を考えていく」という強い思いを抱懐し、未来に架橋していくだろう。

 

「東京パラリンピックが13日間の日程を終え、閉幕した。新型コロナウイルスの影響で無観客となったが、混乱の続くアフガニスタンも含め、各国から4400人超の選手が参加」(日経社説 2021年9月6日)し、躍動したパラアスリートたちにとって、特化された時間を日常に繋ぐ「明日」が待っている。 

東京パラリンピック 閉会式

東京パラリンピック 閉会式

【参照・引用資料】

 

パラスポーツにおける公平性とは? 独自のルールを解説」 「『失ったものを数えるな 残されたものを最大限生かせ』NHK WEB特集」 「パーソンズIPC会長 開会式スピーチ全文(日本語訳)」 「パラリンピックと共生社会-『公平性』のための『ルール』づくり:研究員の眼 パラリンピック前に覚えておきたい『パラ陸上』のクラス分け」 「【ここが知りたいパラリンピック】㊥クラス分けで公平に」 「陸上競技ガイド」 「日経記事 勝敗超えた感動、五輪・パラのあり方示す 大会閉幕2021年9月6日」 「選手村はオリンピック終了後どうなるの? - HALF TIME」 「パラリンピック 陸上 こん棒投げ 高校生が製作したこん棒使用」 「さらなる多様性へ ユニバーサルリレー、“ゼロスタート”」 「【パラサイクリング杉浦佳子選手】パラスポーツに全てを捧げた選手や家族の『パラリンピアン』STORY」 「東京パラリンピック“車いすラグビー”競技ルールとポイント」 「性別・国籍・障害超えて 多様性の意味学ぶ契機に」 「『日本代表初の女性選手』という葛藤と意義」 「車いすバスケ日本『歴史を変えるために集まった12人』歴史変えた銀メダル」 「『バスケやっててよかった……』車いすバスケットボール男子日本代表、アメリカと互角に戦い堂々の銀メダル」 「車いすバスケ躍進の象徴 新星・鳥海連志、家族思いの『背番号2」毎日新聞』 「『スラダン流川みたい』とSNSで話題! 車いすバスケ鳥海連志(22)が草なぎ剛に相談していた Number Web」  「【パラサイクリング杉浦佳子選手】パラスポーツに全てを捧げた選手や家族の『パラリンピアン』STORY」 「日経 勝敗超えた感動、五輪・パラのあり方示す 大会閉幕2021年9月6日」 「西島美保子悲願の完走…応援し続けた夫の献身 東京パラリンピック女子マラソン視覚障害福井新聞」 「66歳西島美保子が8位入賞両脚けいれんの逆境にも前のめりで完走  スポーチ報知」 「JR脱線事故で負傷、アーチェリー岡崎愛子 産経新聞」 「福知山線脱線で障害 事故から15年 パラアーチェリー・岡崎愛子 東京新聞」 「パラアーチェリー岡崎愛子『楽しめた』4強逃すも充実 日刊スポーツ」  「車いすラグビー・倉橋香衣選手に『神戸栄誉賞』 東京パラリンピックで銅メダル MBSニュース」 「『両腕のない競泳選手』14歳・山田美幸を最年少メダリストに導いた"亡き父親の言葉"」 「亡き父へ『カッパになったよ』 14歳、世界に船出―パラ水泳・山田美幸選手」 「車いすバスケットボール界の『流川楓』 日本男子の若き顔、鳥海連志 朝日新聞デジタル」 「次代のエースの『トリプルダブル』で、日本が白星発進 読売新聞オンライン」 「車いすバスケットボール男子日本代表 マイナビニュース」 

 

(2021年9月)