船上パレードで笑顔を見せるウクライナの選手たち |
1 一燈を提げて暗夜を行く。暗夜を憂うること勿れ
ウクライナ侵略を続け、今なお暴虐の限りを尽くすロシアの戦争犯罪を追及する人権関連の国際法律事務所「グローバル・ライツ・コンプライアンス」が、報告書を発表している。
それによると、2024年8月、IOCがパリ五輪への出場を承認したロシア人選手のうち3分の2は、ウクライナ侵略への支持を表明しているか、軍と関係があるとのこと。
既に7月には、「中立選手」としてパリ五輪への参加資格を得たロシアとベラルーシの選手の一部が国際オリンピック委員会(IOC)の参加基準を満たしていないと指摘していた。
基準を満たさない選手はロシア10人、ベラルーシ7人に上ったという。
国を代表せず、国旗や国歌を使用しない“AIN”と呼ばれる「中立な個人資格の選手」。
トランポリンの男子決勝では、ベラルーシ出身のイワン・リトビノビッチが東京大会に続く2連覇を果たした。国を代表しない中立選手(AIN)の今大会での金メダル獲得は初めて |
これがロシアとベラルーシの選手のオリンピック参加資格である。
にも拘らず、IOCと開催国フランス側は、適切な審査規則に従っているとして、「グローバル・ライツ・コンプライアンス」の報告書の内容を否定した。
IOCによると、26日に開幕するパリ五輪では、これまでにロシア選手15人とベラルーシ選手16人が中立旗の下での招待に応じている。
パリ五輪、ロシアとベラルーシの中立参加容認 ウクライナ非難 |
国を代表しての参加が禁止されたロシアとベラルーシ |
「違法で残虐な侵攻を支持する選手を容認することで、IOCは一つの国家が他国を暴力的に侵略しても世界の舞台で歓迎されることを実質的に示している」
ロシア選手ら中立参加に反対する団体 |
「グローバル・ライツ・コンプライアンス」の指摘である。
「審査はIOC理事会の決定および確立された原則に従って行われている。それ以上付け加えることは何もない」
IOCはロシア・ベラルーシの選手のパリ五輪参加を認める(写真はバッハ会長) |
これがIOCの反応。
両者の対立は、依然として燻(くす)ぶっている。
【因みに、ロシアとベラルーシの国内オリンピック委員会(NOC)は、「グローバル・ライツ・コンプライアンス」の報告書を無視】
このIOCと開催国フランスの対応に対して、欧米諸国は「われわれとの連帯」を表明しながら、ロシアとベラルーシの選手の五輪出場を認めるという「ダブルスタンダード」を適用していると非難した選手がいる。
パリ五輪の女子走り高跳びで金メダルを獲得したウクライナのヤロスラワ・マフチク選手(以下、敬称略)である。
パリ五輪の女子走り高跳びで金メダルを獲得したウクライナのヤロスラワ・マフチク選手 |
同上 |
また彼女は、五輪に臨んでいるロシアの選手らに対し、ウクライナ侵略に抗議するよう呼び掛けたものの沈黙していることに落胆したとの考えを示した。
同上 |
同上 |
個人の中立選手として五輪に出場しているロシア人選手らがウクライナ侵略に「反対する意見を一切言わない」ことに失望していると語ったのである。
IOCとフランスが言う通りなら、パリ五輪に中立の立場で出場している両国の選手は、各国際スポーツ連盟とIOCによる二重チェックを受け、ウクライナへの軍事侵攻を積極的に支持していないこと、軍と無関係の立場だという確認を受けているはずだからだ。
また、開会式などへの参加や自国の国旗の下での競技参加は認められておらず、表彰台に上がったとしても、メダル獲得数の順位表には含まれない。
当然のことである。
だったら、なぜ自国が起こした国連憲章違反のウクライナ侵略に対して沈黙するのか。
ロシアのウクライナ侵略は国連憲章の明白な違反であり、国際法の犯罪である侵略にあたる |
ロシア軍を示す「Z」が記載された装甲車(ウクライナ南東部マリウポリ/2022年3月) |
残虐なウクライナ侵略 |
ブチャの遺体 |
プーチンを怖れていると言うのか。
彼女らにとって「中立」と沈黙は同義なのか。
ヤロスラワ・マフチクは、そう言いたいのだろう。
同上 |
恐らく、少なくないロシア国民がそうであるように、「パン」の問題を保障してくれる限り、「中立」と沈黙は同義であるに違いない。
ここで言う「中立」がウクライナ侵略を支持・加担する事実の証左であるが故に、ロシア人選手の立ち位置は「中立」という沈黙に逃げ込むしかないのである。
そういう難しいテーマを、オリンピックは宿命的に内包しているのだ。
人種差別にプロテストする行為にも振れるのも、オリンピックの宿命である。
【1968年メキシコシティー大会で、黒い手袋を履いて拳を高く掲げ黒人差別に抗議する示威行為、所謂「ブラックパワー・サリュート」で知られる陸上の金メダリスト、トミー・スミスと銅メダリストのジョン・カーロスの政治的行為は大きな波紋を呼び、迫害を受け、壮絶な人生を歩むことを余儀なくされ、のちにオリンピックから追放されるに至った。その後、二人は誹謗中傷の荒波に揉まれ、カーロスの妻の自殺などの悲劇も惹起したが、銀メダルのオーストラリア選手ピーター・ノーマンを巻き込みつつも、彼らは生涯にわたって自らのスタンスを変えることがなかった】
【ブラックパワー・サリュート/メキシコオリンピック陸上男子200mの表彰台で、黒人差別に拳を上げて抗議するアメリカのトミー・スミス(写真中央/金メダル)とジョン・カルロス(写真右/銅メダル)】 |
いずれにせよ、ウクライナのアスリートが国家を背負い、国旗を誇らしげに掲げ、競技場を疾駆することを批判するのは自由だが、そんな批判など、どこ吹く風と言わんばかりに、国家を背負い、国旗を誇らしげに掲げるのも当然のこと。
ヤロスラワ・マフチク |
彼女らは命を懸けてオリンピックの競技場に迷いなく立ち、絶対負けられない競技のプレッシャーを撥(は)ね退けて、全世界に侵略の不正義を訴えるのだ。
思えば、ウクライナ選手の侵略の犠牲者487人超の中で、夏季五輪の中で最少の140人の参加者に留まったからこそ、競技それ自身の鮮烈な意思表示を不可避とせざるを得なかったのである。
パリ五輪前にウクライナ選手487人追悼のオブジェ設置 イギリス |
ウクライナ人のサッカー選手2人が死亡したことを伝える国際プロサッカー選手会のツイッター |
今も前線にいるウクライナのアスリートらは4000人以上に上っている |
ヤロスラワ・マフチクの競技での一挙手一投足・一言一句の表現は、マグマのように吹き溜まる彼女の侵略の不正義への、それ以外にない異議を申し立てなのである。
ヤロスラワ・マフチクの振る舞いの総体こそ、侵略によって心が折れ続けてもなお闘うウクライナの〈現在性〉に、「一燈を提げて暗夜を行く。暗夜を憂うること勿れ」のスピリットを復元させたのだ。
2 「私たちは強い」 ―― 国旗を掲げる最強のアスリート
パリ五輪でウクライナ待望の金メダルを獲得した、フェンシング女子サーブル団体の選手たちの満面の笑みには、怒りを力に変え、国家を背負ったアスリートの誇りが垣間見える。
ウクライナ待望の金=戦禍の母国へ勇姿―フェンシング女子 |
パリ五輪で今大会初の金メダルを獲得/オリガ・ハルラン(右から二人目) |
グラン・パレ(パリ美術界の殿堂)の観客席は、さながら地元フランスが勝ったかのような熱狂に包まれ、韓国との大接戦を最終盤で逆転して掴んだ今大会初の金メダルを祝福するようだった。
グラン・パレ |
ウクライナ国旗があちこちで翻(ひるがえ)っていた。
最年長でエースの5大会連続出場のオリガ・ハルランにとって、パリ五輪の意味は特別なものだった。
ウクライナの「国民的剣客」オリガ・ハルラン |
ロシアの侵略後は世界各国を転々としてのトレーニングを余儀なくされ、日本でも何度も合宿を組んでいた。
それでも参加する。
その強靭な意志は不変である。
「ロシアの侵略後、ウクライナで何が起こったか、世界に思い出して欲しい。金メダルはロシアに殺された人、祖国を守る兵士に捧げる」
試合後のオリガ・ハルランの凛としたメッセージである。
彼女にとっては、サーブル個人の銅メダルに続く今大会2個目のメダルだった。
フェンシング女子サーブル団体決勝で韓国選手(左)と対戦するウクライナのオリガ・ハルラン |
表彰式で哀愁のある国歌「ウクライナは滅びず」を感極まりながら歌うのだ。
「ウクライナは滅びず」 |
「ウクライナは毎日爆撃されている。子供やアスリートが殺され、インフラが破壊されている。この2年半で私たちは戦うことを学んだ。命を捧げて最前線で戦う仲間がいる。私たちも立ち止まることはできなかった」
オリガ・ハルランの中枢に張り付く祖国防衛への意志は一貫して変わらない。
この強い意志を耳にして想起するのは、世界選手権で、ロシア出身のアンナ・スミルノワに勝利後、握手を拒否して失格となり、パリ五輪出場が危ぶまれた有名な一件。
女子サーブル個人の1回戦で、ロシアのアンナ・スミルノワ(右)に勝利した後、握手を拒むウクライナのオリガ・ハルラン |
昨年7月のことだ。
最終的にIOCのバッハ会長のサポートで道が開け、出場可能になったという顛末だった。
オリガ・ハルランの祖国防衛への意志の背景には、彼女がロシアによる有無を言わさぬ侵略で、甚大な被害を受けているウクライナ南部のミコライウ出身である事実に起因する。
戦略上、黒海に面した重要拠点であったことで、外国軍による相次ぐ占領の餌食になったミコライウは、2022年2月26日のウクライナ侵略を機に、1ヶ月強続いた「ミコライウの戦い」によって132人以上が死亡し、住民の半数に及ぶ市民25万人が避難するに至り、造船の街ミコライウが危機に瀕する事態が惹起した。
ミコライウでロシア軍の砲撃で破壊された建物 |
ミコライウでロシア軍の砲撃で破壊された家。屋根もブロック塀も崩れ落ちていた。住民は激しい砲撃ですでに脱出し、村は無人になっていた |
「私たちはロシアとは違う生き方をしたいのです。ウォッカを飲むのに明け暮れるような…汚い言葉でごめんなさい、クソみたいな生活はしたくないのです。自分たちの国家を持ち、文明的な世界で暮らしたいのです。この戦争はウクライナとロシアの戦いではなく、世界観をめぐる戦いです。ロシアはソビエト時代に戻ることを望んでいます。皆が同じスタイルで暮らし、自分の頭で考えることもせず、誰かが刑務所の中で生きる世界です。一方ウクライナは自由な暮らしを望んでいます。ウォッカを飲むのか、冷蔵庫を買うのかを自分たちで決められる世界で生きたいのです」(「“つらいことを乗り越えるために、ユーモアを” 南部・ミコライウ市長/NHK」より)
オレクサンドル・センケービッチ市長 |
2022年5月時点におけるミコライウのオレクサンドル・センケービッチ市長のこの言葉は、途轍もなく重い。
そんな街で生れ育ったオリガ・ハルランの思いは、痛いほど分かる。
母が住む実家近くも攻撃を受け、同じ地方にある町は跡形もないほどに破壊されたばかりか、ミコライウは大会の直前の7月19日にもロシア軍のミサイル攻撃を受け、子供4人が死亡、20人以上がけがをするなど今なお激闘が続いている状況下にあって、オリガ・ハルランはパリ五輪で弾け、気丈に振る舞うのだ。
【ロシア軍が7月19日、ウクライナ南部ミコライウをミサイルで攻撃し、子供を含む3人が死亡、少なくとも14人が負傷した。国連総会は26日開幕のパリ五輪に合わせ、19日からの「五輪休戦」決議を採択していたが、順守されなかった】 |
オリガ・ハルラン |
彼女が、オリンピックに初めて出場したのは2008年の北京大会。
個人種目では13位だったが、女子サーブル団体では、メンバーの1人として金メダル獲得に貢献した。
その後、前回の東京大会まで連続出場して3つのメダルを獲得し、ウクライナ国内では絶大な人気を誇るスター選手。
しかし、侵略後、彼女の選手生活は一変する。
故郷を離れて身寄りのあるイタリアに逃れて競技を続けられたが、家族にはウクライナに残らざるを得ない人もいて、ニュースで母国の悲惨な状況を知るたびに競技のことを考えることもできないほど、気が落ち込む日々が続いたと打ち明ける。
オリガ・ハルラン |
「国に残っている人たちや国を守るために戦っている人たちは、前を向いて進み続けていた。だから私もできることをして前に進み続けようとした」
「前に進み続けようとした」(オリガ・ハルラン) |
再び立ち上がったオリガ・ハルランの言葉もまた、途轍もなく重い。
そして、例の握手拒否失格事件。
「戦禍においてスポーツと政治を切り離すことなどできない」 |
「握手拒否は心と魂でやったことでそれ以外の選択肢はなかった。人々を殺している軍隊を支持する可能性がある選手が平和を象徴するオリンピックに出場してよいのか。握手をすれば、母国での戦争は終わるのか。戦禍においてスポーツと政治を切り離すことなどできない」
ここまで言い切ったのである。
オリンピックが宿命的に内包する恒久のテーマに、誰が正解を提示できるのか。
そして、迎えたパリの舞台。
悔しいかな、オリガ・ハルランは準決勝で地元・フランスの選手に敗れ、金メダルの道は閉ざされた。
それでも3位決定戦では、会場から「オリハ!オリハ!」と背中を押すコールが沸き起こり、逆転勝利でウクライナ選手団にとって今大会初めてのメダルを獲得した。
彼女は試合後、その場に跪(ひざまず)いて、天を仰ぐように喜びを表現する。
ウクライナ選手団で今大会初メダルをもたらして嗚咽するオリガ・ハルラン |
直後、関係者席から駆け寄ったチームの仲間などと抱き合って喜びを分かち合うオリガ・ハルラン。
【「国にささげる勝利だ。戦禍で失われた選手たちのため今も国を守ろうと戦っている人たちのために戦った。私たちはまだ困難な道を歩いているが、ウクライナは絶対に負けない。そして必ず自由を手にする」(オリガ・ハルラン)】 |
まさに彼女こそ、最強のアスリートである。
オリガ・ハルラン |
「私たちは強い」 ―― 国旗を掲げる最強のアスリート。
そう思うのだ。
そして今、朗報が届く。
オレクサンドル・ヒジニャク |
涙を堪えながら国旗掲揚を見るオレクサンドル・ヒジニャク |
録画を観ていて、涙を抑えられなかった。
【2024年8月8日正午の時点で、ウクライナが獲得したメダルは金3個を含む計8個】
【参照・引用】
「ウクライナの金メダリスト、ロシア選手の沈黙に落胆」 「オリハ・ハルラン銅メダル “ウクライナは絶対に負けない”/NHK」
【本稿は「時代の風景」からの転載です】
(2024年8月)