2008年11月8日土曜日

高校野球という物語


 近代スポーツの勝敗至上主義にのみ流れないで、「道修行」による人格完成の理念を模索し続けているように見えるスポーツがある。我らが国の高校野球である。
 
 それは厭味たっぷりに言えば、「ひたむきな青春が、汗と涙と友情に溢れたスポーツを純粋に追求する」という風に括られるだろうか。理念がプレーにまで影響を与えるスポーツは、この「高校野球」をもって極北とすると言っていい。

 かつて、星陵高校時代の松井秀喜選手に対して、5打席連続敬遠という挙に出た相手バッテリーと監督が、連日のようにマスコミ、大衆の非難を浴びたエピソードはあまりに有名である(注1)。

 このときの人々の声高な主張を要約すれば、「高校野球らしくない」ということ。敬遠四球という、全く普通のプレーの技巧が、甲子園では暗黙の禁じ手になっているのである。このグラウンドでは、高校生は押し並べて、「高校生らしい」野球のプレーの実践が要請されているのだ。

 誰によってか。

 恐らく、高野連(注2)のみではあるまい。過半の高校野球ファンによってである、と考えた方がいい。高校野球フリークと、その周囲に屯(たむろ)する無数の愛好者たちが、主催者側に架橋し得る唯一の強力なコード、それを私は、「高校野球という物語」と呼ぶ。 

 この物語の普遍的様相を持つ理念への蹂躙はおよそ看過できないものであり、侵犯者への情緒的反応のヒートぶりは、物語への酩酊と、その連年に及ぶ確認を必要とする人々にとって、殆ど自然な現象であると言えるのである。
 
 高校野球という物語。

 私はそれを、「純粋・連帯・服従」という三命題によって把握している(「夢スポーツの三命題」とも呼んでいる)。

 球児たちは、甲子園という夢舞台で物語をなぞることを要請される。

 彼らはスポーツ天使となって「純粋」を表出し、「連帯」を作り出し、「服従」を演じて見せる。天使たちはそこで、野外公演の有能なパフォーマーと化し、ステージの其処彼処(そこかしこ)にユニフォームの黒が駆け抜ける。しかし踏み越えることはない。そこに眩い肉体が炸裂することがあっても、彼らが規範を踏み越えることは殆どない。

 仲間のミスを責めないし、連投のエースが打ち込まれたら、このスポーツの本来的な性格から言って、多くの場合、マウンドに友情の輪が作られる。「連帯」こそ、夢スポーツの中枢的テーマなのだ。

 頭から一塁に滑り込み、そのしなやかな肉体で打球をブロックする。一つのアウトに地団駄を踏み、一つのヒットに踊り上がる。「純粋」こそ、物語を貫流する最強の表現なのだ。

 そして天使たちは、監督や審判の指示や判断に決して異を唱えず、追随の姿勢を露にする。「服従」というシャドウワークの命題も、ここでは不可欠なのだ。「野球の聖地」に足を踏み入れた人々は、天使たちの服従のさまを目撃し、確認することで安堵し、予定調和の世界に誘(いざな)われるのである。

 人々は、物語をリアルタイムで堪能する。そこに秩序の不滅を読み取って、変転極まりない世相の浮薄さの向こうに、青春の普遍的な輝きを幻視するのであろうか。

 高度成長期を支えた基幹的なメンタリティであった、人々の「幸福競争」の果てに喪失した、共同体と安寧の秩序。これを観劇するために仮構された舞台こそ、「野球の聖地」が最も輝くであろう、この国の公式祭事であるかの如き、「我らの夏の甲子園」なのではないか。

 夢スポーツとしての高校野球という物語は、実は大いなる夢芝居でもあったのだ。そこに究極のアマチュアリズムの仕掛けがあるのかも知れない。

 たかだが、高校生の多々あるスポーツの一つに過ぎない高校野球が、この国では殆ど国民文化の様相を呈していることが、既に充分に驚異である。そのことは、夏の高校野球のピーク(準々決勝辺りが、最もエキサイティングすると言われる)が、お盆の民族移動のリターン期と重なっていることでも分る。

 郷里で寛(くつろ)ぎながら野球観戦する人々(帰郷期には、郷里の代表校が勝ち残っている確率はそれほど低くない)の意識には、都市近郊で集中的に崩壊していった地域共同体への観念的回帰への思いが、色濃く投影されている。郷土を代表する球児たちの一挙手一投足は、都会からエスケープしてきた人々が、既に実体を持たない郷土を追体験するために、そこに仮託された青春の日々の輝きなのか。

 高校野球は甘美であったと信じたい過去を定着させ、その過去との往還から、熱源を受給することを願う人々の、様々な含みを補償する最後の夏祭りであるのか。だからこそ、あの石油危機の激震がこの国をヒットしたとき、省エネ政策の一環として、高校野球中継の中止案が国会に提出された際、与野党こぞってこれに反対したというエピソードが異様にリアリティを持つのである。

 夏の高校野球 ―― それはこの国では、スポーツ以上の何かであるらしい。

 年に一度、過去と出会うために苛酷な渋滞を縫って帰郷した人々が、僅かな時間を切り取って、その絶妙なタイミングで届けられる夢スポーツの饗宴を追体験することの意味は、幾重にも増して深いものがある。それは既に郷土性を持たないプロ野球や、冠野球と化した都市対抗野球では到底及ばず、本来、郷土色の強いJリーグサッカーも尻窄(しりすぼ)みの現状では、夏祭りを彩る術がない。

 因みに、そんなサッカーでも、五輪やワールドカップ予選での注目度が高いので、郷土愛(パトリオティズム)より愛国心(ナショナリズム)の求心力への傾斜が無視し難くなってきたと言えるのだろうか。

 自壊しつつある郷土愛を、今は一人、高校野球のみが塞き止めているのかも知れない。或いは、高校野球にラベリング(注3)された、「夢スポーツの三命題」に内包するものの求心力の大きさが、ここでは侮れないのか。

 夢スポーツとしての高校野球とは、「純粋」、「連帯」、「服従」という三重奏に乗せられて、変形著しい郷土なる何かと情緒的にクロスすることで、束の間、過去との往還を愉悦する娯楽の切り札なのではないか。
 
 そこには、変化の速度が性急過ぎる時代に生きる人々の、なお変わって欲しくないものへの大いなる思いが熱気含みで集合し、それらの思いを最もよく収斂するカードとして選択されたものの持続性が、充分過ぎるほどに自己顕示しているかのようである。

 高校野球というシンボリックなスポーツは、変わらざるものの価値を確認し得る最も直接的な文化様態であった。

 その確認を必要とする人々をも巻き込んだ時代の速度感、それがこの文化様態の底流を這っている。良かれ悪しかれ、過去とクロスしながらでないと流れに乗っていけないような何か、それがまだこの国に、充分な思いを馳せて生き残っているということだ。

 流れの形而上学 ―― 高校野球のシャドウテーマの一つに、それがある。
 
 この国の高校野球はスポーツであると同時に、いやしばしば、それ以上に教育であると言っていい。夢スポーツに夢教育が濃密に絡んできて、現実の枠内で踊るスポーツ天使たちは、ひたむきに感動をリレーさせながら、予定調和の世界を駆けていく。

 「殉教」、「変身」、「奇跡」。これを私は「夢教育の三命題」という風に捉えている。天使たちのステージでの身体疾駆もまた、この見えないゴールデンルールをどこかでなぞっている。天使たちの熱きステージは、父母に公開された教育参観の場であるとも言えるのである。

 三命題の基本イメージはこうだ。

 こに熱血教師がいて、不良生徒がいる。教師はその生徒の教育に、彼なりに命を賭けたつもりになっている(殉教)。愛に飢えているに違いないと勝手読みされた生徒に、熱血教師は肯定的ストローク(注4)を連射して、ここに変化が起こる(変身)。生徒の変身は教師の確信的ストロークの結実である、という善意に満ちた思い込みの中から、何人も為しえなかっただろう行為の稀少性への称賛が生まれ、これを記憶のうちに特殊類型として固めていく。「ここに遂に、橋が架けられた」(奇跡)と。

 やがてこの類型は、こうすれば全ての生徒の歪みが是正されていくという類の確信的指針として般化されていき、成就された夢教育の一つの銘柄が、そこに普遍的価値を持つ貴重なる情報として巷にセールスされていくのだ。

 この殆ど定番的な物語は、教師の過剰な使命感と、本来は純粋であるはずの不良生徒の過剰なリバウンドが、メンタルに絡み合う情景をベースにして、生徒の一大改心で大団円を迎えるという構図を自明にするものとなっている。この一大改心を、正義と良心への語り口で貫徹するには、当然、「不良生徒は本来純粋であるにも拘らず、斬り捨て御免の詰め込み教育が彼らの心を蝕んだのだ」、というような独善的把握を前提にした方が、善悪二元論で一刀両断できる分だけ分りやすく、俗受けもするのである。

 困ったことに、このような短絡的文脈の中にも常に一片の真実が含まれているから、一切の語り口を一蹴するには及ばないが、「大人=悪、子供=善」という二元論の決定付けには、ゆめゆめ加担すべきではないだろう。

 夢教育は幻想である。

 それはあまりに過剰な物語である。

 バイアスの濃度も相当に深い。それは、教育のリアリズムと相対主義を軽視し過ぎているから、実体のない理想論と倣岸な決定論が安易に繋がって、徒(いたずら)に正義のマーチを奏でずにはいられなくなるようだ。

 この夢教育が、丸ごと夢スポーツの黄金律と重なって、高校野球という物語は、誰にも文句を言わせないほどのパワーをまとうことになった。夢スポーツは夢教育の強力な補完を受けることで、物語をより純化させるのだ。純化された物語が感動をより強め、そこに名状し難い余韻を残し、これが物語の継続性を保証しにかかるとも言えるのである。

 高校野球という物語の、複雑で多様なる要素の集合性に、今更ながら驚きを禁じ得ない次第である。

 大人を悪と決め付けた夢教育の語り口の中から、純粋であるべきはずの不良生徒の改心という基幹ストーリーが分娩される。そしてこの改心の重要な契機に、高校野球という、丸ごと教育的なスポーツを媒介させてみる。更にそこに、「汗と涙の猛特訓」というスポ根ワールドの定番メニューを適当にあしらえば、教育サイドの「殉教」、「変身」が、スポーツサイドの「純粋」、「服従」というコンセプションと符合することが読み取れるのである。

 また、教育サイドの「奇跡」が夢スポーツの中に表現されていることを確かめるには、「爽やかイレブン」(徳島池田高校)が全国制覇した、あの快進撃を想起してもいい。或いは、「野球の聖地」に於ける、ノーシード校の「甲子園化け」という快挙を例示してもいいだろう。

 例えば、徳島池田高校の快進撃のときの名物監督のように、包容力豊かな養父でありながら、ハートを持つ監督の野球への「殉教」が、そこに生徒(球児)たちの様々なリバウンドに反応しつつ、彼らを夢舞台で「変身」させ、全国制覇という「奇跡」を達成した著名な物語をなぞっていくだけで、既に充分に、高校野球という物語の真髄を追体験することが可能である。
 
 スポーツ天使たちの野外公演は、本来、異質であるはずの二つの世界を溶融させて、読み切りの感動篇をリアルタイムで作り出す、このロマンティシズムの芳醇な快楽は捨て難い。だから聖域への侵犯に対して過敏に反応してしまうのだ。

 物語に背馳(はいち)するなら、本当の所、商業マスコミが勝手に作り出した「怪物君」の存在だって不要である。この夢舞台には、選手たちの個性を際立たせてしまうほどの英雄伝説は特段に必要ないのである。ここでは、完全試合と、先発全員安打を並立させるようなワンサイドゲームは、それほど待望されないのだ。圧勝の快楽はプロスポーツに譲ればいい。江川卓(すぐる・注5)という豪球投手を擁した作新学院が呆気なく散ったように、強豪高が必ず勝つというリアリズムそのものが要らないのである。

 連続打席敬遠という、おぞましいまでのリアリズムは、夢スポーツと夢教育へのアンチテーゼとしか捉えられないに違いないのだ。それはスポーツでありながら教育であり、そこで溶融されて昇華したロマンティシズムが、スポーツという身体表現を介して、苦渋なまでに美しく、それ以上攪拌(かくはん)できないほどの純度で振舞われ、突き抜かれていると言えるのである。

 それ故、この国の人々は、連続打席敬遠の底流を貫く勝利至上主義に、単に反発したのではないのだ。安直に一塁に歩かせて、場面ごとの力関係の優劣でゲームを組み立てていくスポーツ合理主義や、そのような小賢しい処理によって、香しきロマンティシズムを遠ざけてしまう効率の論理等に対して、明らかに物語の侵犯を嗅ぎ取ったのである。

 物語への侵犯という見えないジャスティスが、ここでは空気を支配するのだ。問題行動の出来に対して、常に高野連が当該高校に連帯責任を求めるのは、結局、この世界だけには、個人と組織を分離させない全体主義の風潮の温存を強いていることを示している。

 マスコミ、大衆も高野連を批判しつつも、恐らく、その官僚的体質を毛嫌いしているだけで、物語の共有性を反古にしようとは思っていないであろう。その関係は対立的ではなく、単に非協力的であるに過ぎないのだ。空気を支配するジャスティスは、一貫してそこに堅固な呼吸を繋いでいるのである。

 今年もまた暑い夏がやって来て、新しい伝説を物語に加えて、足早に駆けていく。物語の基幹ラインは、無論変わらない。大人たちが求めて止まない少年たちのひたむきさが、そこに集中的に身体化され、その一つ一つが、恰も、宝物のような記憶のポケットに収納され、守り継がれていく。

 そして天使たちは、いつの日か大人になる。

 ある者はプロになり、そこで初めて本物のスターになる。未完の英雄伝説を完結させるのである。ベンツに乗り、浮名を流し、億単位のプレーヤーになるのだ。

 その変貌に、誰も異議を唱えない。天使は別の世界に旅立ったに過ぎないのだ。天使を卒業させた人々がいて、卒業証書を手にしたかつての天使が、そこにいた。羽ばたいた天使たちに、人々は拍手を届けた。それだけのことである。

 人々はまた今年も、聖域が守り継がれたことに安堵する。

 秩序は生きている。来年も守られるはずだ。泣きながら土を持ち帰る天使がいる限り、物語は壊れない。それで充分なのである。

 元々、この国でスポーツが普及していくベースには、武士道的な徳育主義を重視した一高的野球観が濃密に含まれていた。これが大学野球に進化を遂げていっても、武士道的な理念が温存されていった流れは、かの有名な飛田穂洲(とびたすいしゅう・注6)の精神野球論によって裏付けられている。

 ここに、彼の精神野球論の真髄ともいえる表現があるので、その一文を紹介する。

 「ベースボールを遊戯視した時代もあり、現在でも娯楽的に取り扱うものもあろう。野球の面白さ、それを一種の球遊びと考えるものがありとしても強いて異論をとなうる必要はないかも知れない。しかし吾々がしっかり抱いて来た真の野球というものは決して娯楽的に空虚な球遊びではない。

 (略)今日われらがいうところの野球には、精神がなくてはならぬ。ことに学生野球というものにあっては、厳然たる精神を持たなければ存在の意義を為さない。わずかに娯楽的のものに過ぎなければ、多額の費用を投じて野球部を支持するなどは、学校本来の目的上許すべくもないことである。

 (略)野球が好きだからやる、あえて苦痛を忍んでまでやる必要があるか、こうした事を考えるものがあれば直ちに野球部から追い出さねばならぬ。

 (略)学生野球は遊戯ではない。遊戯でない野球には堅苦しい約束があり、修行者はその約束を守って野球部のため粉骨砕身せねばならない。部長の命ずるままコーチの命ずるまま先輩の命ずるままに従ってグラウンドを馳駆しなければならぬ。

 各野球部にはそれぞれ野球部としての伝統があり、確立したる野球部精神がある。

 (略)・・・精神団体として集まった野球部というものは、自然堅い約束がとりかわされ、すべてチームの指示するところによって行動しなくてはならない」(「飛田穂洲選集 野球読本 第四巻『精神野球』」ベースボールマガジン社刊より ―― 昭和10年、『スポーツ良書刊行会』より、『中等野球読本』として刊行された・注7/筆者段落構成)

 以上の文脈を貫流する「精神野球論」についての解説は、殆ど無用と思われる。

 「野球というものは決して娯楽的に空虚な球遊びではない」と断じて止まない男の理論は、倫理学の範疇で語られる何かですらあるだろう。

 飛田穂洲という稀有なる人格にとって、「野球」とは既に、「道修行」の対象以外の何ものでもなかったのである。だから彼は思春期の盛りにある少年たちに対して、「天真無垢」のキャラクター像しか求めないし、そのキャラクター像の共有を、野球を愛する大人たちにも同時に求めて止まないのだ。

 「天真無垢の少年がただ男らしい勝利に向かってまい進する実景に接しては、自然に心気清浄ならざるを得ないだろう。甲子園の観衆が非常に洗練されているのは純良な選手行動の感化を受けたこと甚大であることを否まれない。熱のない試合の行われているスタンドに悪やじの声の高いのは、選手そのものにも負うべき罪なしとしない」(同著 第五巻『穂洲庵独語』より)

 「甲子園」―― そんな飛田の熱い思いが、この「高校野球の聖地」に花開いて、今なお先述した、「学生野球憲章」の前文の中に、脈々と受け継がれているのである。その飛田の熱い思いは、この国の敗戦によって、より強靭な「思想」として猛々しく結ばれていったのである。

 「戦に負けたのだからと、諦観すれば、それも一応はうなづけるであろう。しかし、日本人三千年の教養が、一敗地にまみれただけで跡形もなくなってよいであろうか。戦争は呪わしいものであろうが、吾々は、悲運戦禍の中に翻弄されたけれども、敗れてなお且つ日本人の矜持を失いたくない。敗戦を生かして、一種の教訓とし、新しい人生を創造せんために、今後日本の生くべき道を探求せんことに、努力傾倒しなくてはならぬと思う(略)本来の熱情をそのまま新日本の生くべき道を樹立せん為に、勇往邁進すべき心構を十分にして、ヒットを打たなければならぬ。それが青少年のとるべき唯一の道なのである」(同著 第五巻『進め!野球の大道へ!』より)

 「進め!野球の大道へ!」という表現は、殆どアジテーションのそれに近いものである。彼は一人のアジテーターとなって、この国の戦後の「野球道」を鼓舞して止まなかったのだ。このような気概のある大人は近年とんと見かけないが故に、却ってある種のノスタルジーすら感じさせるそのメンタリティは、「人格表現者としての日本の男」という意味において稀少価値ですらあると言えようか。

 然るに、彼はポップフライを打ち上げた打者や、スローカーブを投げた投手を、精神が欠如した選手として痛罵した。

 飛田イズムと呼ばれる、この「道修行」であるべき野球というスポーツは、他のスポーツのそれを凌駕するかのような、激越な練習至上主義を生み出した事実は否めないだろう。今日では、スポーツ科学でも否定されているノードリンクのランニング漬けや、非合理的な兎跳びと、過剰な腹筋に代表される、かつての野球少年たちの定番的な練習メニューを貫流するのは、「精神が野球を作る」という徳育野球の中心的なイデオロギー以外ではないのである(注8)。

 あの伝説的な、読売巨人軍の「茂林寺の千本ノック」(注9)のエピソードは、精神野球のエッセンスが草創期のプロ野球にも浸透していたことを能弁に物語っている。本来、アマチュアリズムとしての飛田イズムが、一貫して野球界にその影響を留めていることは疑問の余地がないところである。

 先述したように、その飛田イズムの原形を濃厚に留めているのが、我が高校野球である。そこには、飛田イズムの極北的テーゼが生きているかのようだ。

 そのテーゼを要約すると ―― 第一に、プレーと人格を直結させたこと。第二に、アフタープレーと人格をも直結させたこと。この二点に尽きる。

 前者については、既に書いた。怖いのは後者である。野球選手は私生活でも点検され、罷り間違っても恋愛などに溺れてはならぬ。まして、監督たる者が不倫や金儲けに走ることなど、言語道断。そういう思想が、この世界に睨みを利かせている。

 試合に負けて泣かない者を、人格欠陥者と決め付けた飛田という男の過剰さは、紛れもなく、このような男を必要とする時代の産物であるだろう。無論私も、このような男がいて、それなりに若者に説教を垂れる場面が散見される状況の有りようを、決して否定するものではない。いや寧ろ、このような男の不在の状況を嘆いてもいる。

 だが特定の権力をバックボーンにして、あまりに非科学的な精神主義の過剰な押し付けだけは御免蒙りたい。その個々の能力の限界を明らかに越えていくことを求める、一切の人間的振舞いは、百害あって一利なしであるという外にないのだ。過剰なる人間の非合理的な振舞いこそ、この世で最も注意すべき現象であると考えているからである。

 然るに、この些か独善的なイデオロギーが、良かれ悪しかれ、今も高校野球を少なからず覆っていて、球児はプレーと同時に、その態度までも射抜かれているようだ。徳育野球を信仰する人々が、球児たちを過剰なまでに包囲している。その包囲網は、体力を持て余した少年野球こそ、教育のカテゴリーに含まれる主要な何かであるからだ。

 高校野球という物語の過剰さ。

 それは結局、夢スポーツと夢教育という二つの物語が、絡み合って放たれる豊穣な熱源を供給源としていた。その甘美なリリシズムと比類なきパワーが、人々を夢の世界に誘(いざな)って、それぞれの含みを持った自我に消し難い記憶を焼き付ける。物語の継続力を、そこに保証しにかかるのだ。

 エンドレスな快楽の転がしゲームに明け暮れている感のある、このナルシズム文化濃厚なる平成の世に、規範体系を決して逸脱しないこの国の高校野球が、長々と呼吸を繋いでいる。何故、それが可能なのか。それは先述来のテーマと当然リンクしてくるはずだ。

 高校野球という物語の深い所で、時代の速度とバランスを取ることを強く求める人々の、密かな思いが揺蕩(たゆた)っている。時代の速度は過剰だから、それに拮抗する物語もまた過剰となる。揺蕩っている思いは見えないが、そこで身体化するラインは溢れるほどに叙情的である。ラインの叙情性の向こうに物語の叙情性がある。物語の叙情性の更に奥深い所に、物語のシャドー・モチーフかも知れない、もう一つの叙情性がある。

 時代の過剰が物語をリバウンドさせた。時代の性急なる速度が、物語を叙情のラインで固めていったのである。だから物語は叙情の氾濫になったのだ。

 時代に繋がって生きるしか術がない人々には、叙情による癒し以外に物語の整合性をキープできないのか。人々がとうの昔に失ってしまった自己完結感を随伴した、循環型社会システムへの原点回帰への密かな思い ―― これが物語のシャドー・モチーフとなって、奥深い所で、寄せては返す波のように揺蕩っている。物語に張り付いた様々な要素が集合して、高校野球は常に必要以上に泡立っているのである。


(注1)1992年8月16日、夏の甲子園でのこと。1回戦を完勝した星稜高校に対して、2回戦の相手である明徳義塾高校(高知県)は、サードで4番を打つ、スラッガーの松井秀喜選手の全打席において、無走者の場面でも敬遠策をとるという作戦によって勝利した。

 その際、明徳義塾高校の、野球ルールに則った当然の作戦を許容しない甲子園の観客によって、明徳義塾高校の全ての関係者は激しいブーイングを浴びせられたり、グラウンドにメガホンやゴミを投げ入れられたりして、一時、「高校野球の聖地」は騒然となった。

 当然の如く、その愚行の根柢にあるメンタリティは、「甲子園球児らしからぬプレー」であるという強靭な物語。その後、高野連会長による、ものものしい記者会見を開く事態にまで発展するというおまけつきだった。

(注2)財団法人日本高等学校野球連盟の略。高校の野球部員に「高校生らしさ」を求める余り、しばしば、問題を起こした高校の出場を辞退させるという処置に対して批判されることがある。その拠って立つ根拠は、日本学生野球協会が定めている「学生野球憲章」である。

 因みに、「学生野球憲章」の前文の文章は以下の通り。

 「われらの野球は日本の学生野球として学生たることの自覚を基礎とし、学生たることを忘れてはわれらの野球は成り立ち得ない。勤勉と規律とはつねにわれらと共にあり、怠惰と放縦とに対しては不断に警戒されなければならない。元来野球はスポーツとしてそれ自身意昧と価値とを持つであろう。しかし学生野球としてはそれに止まらず試合を通じてフェアの精神を体得する事、幸運にも騎らず非運にも屈せぬ明朗強靭な情意を涵養する事、いかなる艱難をも凌ぎうる強健な身体を鍛練する事、これこそ実にわれらの野球を導く理念でなければならない。この理念を想望してわれらここに憲章を定める」

 そしてこの肩章の附則の中に、「学生野球の本義に違背し、又は違背するおそれのある行為があると認めるときは、審査室の議を経て、その部長、監督、コーチ、選手又は部員に対しては、警告、謹慎又は出場禁止の処置をし、その者の所属する野球部に対しては、警告、謹慎、出場禁止又は除名の処置をすることができる」という一文があり、これが出場辞退の一つの根拠になっている。(高野連HPより)

(注3)ロバート・キング・マートン(アメリカの社会学者)が提示した「自己成就的予言」(誤った規定が、その規定に沿った新しい行動を惹起させ、それがやがてリアリティを持つという考え)に起因する概念だが、ここでは単に、「レッテルを貼る」と言う意味で使っている。
        
(注4)相手の心情を理解し、肯定的に働きかけていくこと。

(注5)作新学院時代に、2度の完全試合、9度のノーヒットノーラン、とりわけ5試合を投げて75奪三振という記録を打ち立てた、栃木県大会(甲子園の予選大会)での快投は有名。江川は後に法政大学に入学し、大学時代での成績も群を抜いていた(通算47勝)。江川事件(ドラフト会議前日の「空白の一日」を利用して、巨人に入団した際の一連の騒動)で世間を騒然とさせたが、巨人時代にも速球主体の投球で活躍した。

(注6)「一球入魂」という言葉で有名な、「学生野球の父」。早稲田大学在学時代から野球に打ち込み、後に同大学野球部の初代監督として活躍する。マスコミでの評論活動の傍ら、学生野球の普及と発展に尽力した。「穂洲」の名はペンネーム。
                          
(注7)因みに、本書には、野球の実践プレーについての詳細な記述があって、それが本書の大半を占めている。彼が単に、一人の観念的な精神主義者でなかったことだけは確かである。

(注8)兎跳びは膝を痛めるだけであり、また腹筋に至っては、首を痛める確率が高く、明らかに間違ったトレーニング方法であるとされている。

(注9)「『茂林寺の猛練習』とも言う。春の公式戦、満州遠征の終了後、群馬県内で行われた合宿練習は、2度に渡るアメリカ遠征で成功を収め、“天狗”になっていた選手たちを叩きなおす意味合いも込められていた。この練習で、今に続く巨人の基礎が形作られたと言える。この年春は2勝5敗と満足の行く成績が挙げられなかったが、秋には18勝9敗の好成績で優勝。早くも特訓の成果が現れた」(「読売巨人軍の公式サイト」より引用)

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